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2013年1月28日月曜日

書評

 アマゾンで、とある読者の方に身に余る書評をいただいた。その書評とは、一言でいえば、「とてもおもしろい」というものだ。小生にとって、これほど励みになる応援のメッセージはほかにない。
 元来「文学」というものにまるで興味のない小生にとって、小説とは、エンターテイメント以外の何物でもない。ポジティブな感動、それだけがすべてなのである。その世界を極めているからこそ、浅田次郎さんや奥田 英朗さんを信奉してやまないのだ。気付かないうちに読者を引き込む絶妙な表現とリズム。細微に至り演出されつくした物語の舞台、そして心躍るダイナミックなストーリー。

 インディーズ(と言えば聞こえがいいが、要するにアマチュア)作家の小生にとって、小説を書きそれを世に出すという行為の目的は、読者に感動を与えることである。(もちろん、いつかこれを生業にしたいという野望は捨ててはいないけれど) そんな私にとっての執筆の原動力は、読者の感動である。思えば今から2年前、小生が執筆を始めて初めての作品を数名の友人に披露した。彼らはこぞって言ってくれた。「面白いじゃないか」と。とても嬉しかった。そしてあれがすべての始まりだった。(もしかすると、大きな誤りの始まりだったのかもしれないが)

 ここ最近は、まるで読者の反応というものに出会うこともなく、たまに目にするものは辛辣なものばかりであった。もちろん、それはそれで励みになる。いつかもっといいものを書いて感動させてあげるさ、と。しかしそれだけで寸暇を惜しんで続ける執筆活動には色がない。小生言わせればそれは、ストイックを楽しむマディストに近い自己陶酔にしか過ぎないである。

 もう一度話を戻すと、今小生は、がぜんやる気にあふれているのである。それに加えて、緊張感もある。つまらない作品を出すわけにいかないな、という。これもまた、一つのやる気に他ならない。
 ありがたい書評を投稿いただいた方に、この場を借りて感謝の言葉を贈りたい。

 ――失望させないように、頑張ります

2012年11月12日月曜日

「ハッピーリタイアメント」

浅田次郎の「ハッピーリタイアメント」を拝読中であるが、これまた秀作である。かたぐるしい表現とくだけた表現が、まるで二重人格者の脳内のように小気味良く入れ替わる。著者が狙ってやっているのは見え見えなのだが、そこに全く嫌味が感じられない。天才ならではの技なのである。この中で、過去に借金を踏み倒し、今は文壇の重鎮という作家が登場するのであるが、きっとこれは浅田巨匠に違いないと、勝手に決めた。

2012年9月8日土曜日

「地下鉄(メトロ)に乗って」

浅田次郎さんの「地下鉄(メトロ)に乗って」を読み終えた。言葉にできない余韻が後を引き摺る。爽快な感動と、自虐的な反省と、そして絶望感。前の二つの感情は、おそらくこの本を読まれた読者であれば同様に感じられたのではあるまいか。たったの三百ページ強の中に、これほどの人間の情の複雑さと美しさを詰め込むこの巨匠は、やはり天才である。なおかつ、現在のひ弱な我々日本人が忘れてしまった、「生きることの難しさと、嗚咽が漏れるほどの魂の叫び」、その大切さがひしひしと伝わってくる。
私の覚えた最後の感情、つまり絶望感は、作家を目指す自分にとっての絶望感である。もちろん、これほどの巨匠に嫉妬を感じる資格もない小職ではあるが、それでもこの作品の描き出す世界は、あまりにも衝撃的だ。百年経っても越えられない。読後と言うよりも、むしろ自分自身が永い、それも極めて永い旅を終えてきたときのように、切なくて、そしてほろ苦いセピア色の世界から抜け出せないでいるのだ。
未読の方がいれば、ぜひ読んでいただきたい。いや、読まなければならない。俗物主義に染まった我々日本人が忘れてしまった熱い世界、メトロがそれを教えてくれるに違いない。