2015年8月25日火曜日

株価暴落の先にあるもの ―小説的思考で経済を考える―

※この投稿はフィクションであり、 実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません

 中国の株式市場の下落に歯止めがかからない。一時期は5000まで上昇していた上海総合指数も、とうとう3000を割ってしまった。しかもわずか2ヶ月の間にである。まさにナイアガラのようなフリーフォール状態なわけだが、これには理由がある。
 ところでその前に、そもそも何故わずか一年の間に株価が250%も高騰したのか? 上海総合指数は、じつは昨年の今ごろは2000辺りをうろうろしていたのだ。そのわけを知れば、今の急落もうなずけるだろう。
 そもそもが、バブルなのだ
 じつは中国の株式市場はそのプレーヤーの8割が個人投資家である。しかも海外からの投資を厳しく制限していることもあり、彼らは皆中国国民である。さらに言えば、株価自体には論理的な裏付けは何もない。つまり収益性だとか将来の成長性だとかは、あまり関係がないのだ。ではどうやって株価が決まっているのか。
 人気投票である
 人気がある銘柄は値が上がる。値が上がるから買う。この繰り返しなのだ。言い換えればババ抜きのようなもので、最後にババ、すなわち最高値をつけた銘柄を買った者が損をするわけだ。そして今こそのそのときであり、しかもそのババを引く者が無数にいるのだ。しかも当局の過剰な関与により、株価の変動に歯止めが利かない。
 一般的な株式市場では株価変動に対して過剰な損失を避けるためにヘッジをかける。そのひとつが「空売り」である。保有銘柄に一時的な下げ要因が見受けられたら、同類の銘柄に空売りをかけるのだ。そうすることで万が一保有銘柄が暴落しても、空売りした銘柄の収益でその損失を補填できるわけだ。そしてこの空売りは、じつは株式市場全体の過剰な変動にもブレーキとして作用する。急激に株式市場が下落したとき、この空売りした銘柄の買い戻しが入る。利益の確定である。これが急落を止める一員にもなるのだ。
 ところが中国当局は、この空売りを禁止にした
 もともとが人気投票だけで上がった株価、人気がなくなれば誰も相手にしない。落ちるナイフを拾う者など誰もいないのだ。空売りもないから買い戻しも入らない。それがまさに今の中国株式市場である。
 ではこの先どうなるのか?
 このまま下がり続けて指数が2500まで行くだろうというのが大方の見方だ。つまり高騰前に戻るというわけだ。だから元に戻るだけで何も問題はない、そういう無責任な意見も多見される。しかしそれは明らかに間違っている。
 きっと大変なことになるだろう
 そもそも株式市場の過熱を演出したのは中国政府である。その理由は、経済成長の維持だ。鈍化する経済成長を活性化するために、かつては公共事業に無謀とも言える資金をつぎ込んだ。雇用を創出し、消費を持ち上げるためである。しかしこれも長くは続かず、次に当局が考えたのが、バブリーな金融商品と不動産投資の創出だ。しかしそれでも経済は低迷し、逆にそれらの投資が不良債権と化してしまい、完全に行き詰まってしまった。そこで最後に打って出た手段が、株式投資の活性化なのだ。株式の上昇により含み益が生まれ、過去の不良債権の穴埋めをするはずだった。しかしそうはならなかった。株式相場が上昇前の水準に戻ったとき、そのときはもう元の姿ではない。おそらく、
 法外な不良債権が顕在化するに違いない
 需要もないところにつくった道路や橋、高利な金融商品、人の住まないマンション、これらの売買で架空の利益を得て、それによって実力以上の贅沢を謳歌した人々――高度成長が永遠に続くものと信じて将来何十年もの利益を先食いしてしまった彼らに、これからこのつけが回って来る。そして皆がそのことを知るのは、
 銀行の破綻かもしれない
 多額の不良債権を抱え資金の回らなくなった金融機関が破綻し、それが連鎖反応のように波及する。中国国内だけの話ではすまない。今や中華資本は世界中に浸透し、この国が風邪をひけば、世界中がくしゃみどころか、肺炎を患うレベルなのだ。ではそれはいったいいつ起こるのか?
 明日かも知れないし、半年後かも知れない
 いずれにしても、そう遠くはない未来だと私は思う。

 ちなみに現在執筆中の作品「ライフ」は、その後のさらに未来を書いたSFです。(宣伝)

2015年8月15日土曜日

新作のプロモーションの成果と次作のご紹介

 現在アマゾンにて「エターナル」という作品を販売中ですが、評価はさておき、新しい形式でのプロモーションの効用もあって、予想を遥かに超える売れ行きを示しております。
 ここでいう新しい形式でのプロモーションというのは、1作品を2つに分割し、それぞれ前編と後編とで出版し、前編のみ無料にするというものです。といっても普通にやっても無料にはできませんから、アマゾンのプライスマッチをいう仕組みを利用して行います。これはアマゾン以外でより安値で販売された場合、その値段に合わせるという仕組みであり、小生の場合も他所で無料で販売することで、アマゾンでの販売価格を0円にすることができました。

発売を開始してすでに3週間が経ちますが、このプロモーションのおかげで、無料の前編はいまだにSF・ホラー・ファンタジーカテゴリで首位をキープしており、有料の後編も同カテゴリで上位に食い込んでおります。なんとも夢のような話です。といっても夢がいつまでも続くわけもありませんので、さっそく次作の執筆に取りかかっております。以下はその作品のプロローグです。あらすじはまだ明かすことができませんが、荒廃した世界の後に現れたユートピア、そこで起こる事件を綴った物語になります。



ライフ  《前編 終末の後のユートピア》
                                     
                                                                如月恭介


 ※この作品はフィクションであり、 実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません
                                       
 プロローグ

 二〇二三年八月、上海(しゃんはい)――
 その年の上海の夏は、いつにも増して暑かった。地球温暖化が叫ばれて久しいが、それとこの暑さは関係がないように思われた。暑いのは冷房の効かないエアコンのせいであって、それ以前に電力さえまともに送られてこない。
「まったくもう!」
 額の汗を手の甲で拭いながら、楊(やん)青年は愚痴をこぼした。エアコンだけではない。三十年ローンを組んで買ったマンションは、まだ築十年というのに壁には無数の亀裂が走り、毎月の定例行事のように水漏れが発生する。しかし文句を言おうにも、もうその相手がいない。ディベロッパーはとうに破産し、施工会社も姿をくらましたままだ。しかしまだ住む場所があるだけ彼はいい方なのかも知れない。なにしろこの国じゅうが、二十年前には考えられなかったような惨状の元に置かれているのだ。
 いま思えばおかしくなり始めたのはあの頃からだったように思う。八年前、上海株式市場に激震が走った。株価の大暴落である。政府はあわてて株式市場の取引に介入した。取引銘柄の半数の売買を停止し、さらには大口の保有者に対してはすべての銘柄の売却を、半年間も禁止にしたのだ。
 といっても、けっして中国政府が間違ったことをしたわけではない。これには理由がある。当時の中国は過去の極端な少子化政策が原因となって、労働力不足、併せて内需の縮小という二重苦に見舞われていた。もはや老いた、巨大すぎる国家を支えきれなくなっていたのだ。だから政府は不動産バブルを誘引し、個人資産を見かけ上押し上げることで消費を拡大しようとした。しかしそれも行き詰まり、いよいよ株式投資に最後の希望を託した。不動産を担保とした株式投資や、個人の信用取引を解禁したのだ。株価が暴騰し、国民の含み資産が増大し、その結果消費が拡大すれば、ふたたび生産も伸びる――
 机上の計算では上手くいくはずだった。しかし、国民がそれを裏切った。
 含み資産はあくまでも架空の資産であって、現実に使えるキャッシュではない。彼ら国民は自分だけは損をすまいと、我先にと株式を売却し、不動産を投げ売りした。その結果、想像を絶する恐慌が中国全土を襲った。
 楊青年は、窓の外に目をやった。高層マンションの三十二階、街の景色が一望できる。しかし彼の目に映る景色は、かつてのそれとはまったく違っていた。方々で上がる炎に噴煙。暴動だ。
 資産を失い、職を失い、その日の生活にも事欠くようになった人たちが国中に溢れ返り、彼らの憤(ふん)懣(まん)の矛先は、自ずと政府へ向けられた。各所で暴動が起こり、役人の豪邸や国営企業までもが暴徒に襲われた。政府は躍起になって世論を統制し、暴動を鎮圧しようとした。しかしそれも手が回らなくなり、都市部を中心に治安は悪化の一途を辿っていた。
 しかし惨劇に見舞われたのは中国だけではない。中国が風邪を引けば世界がくしゃみをする、もはやそんなレベルではなかった。なにしろ生産から消費に至るまで、世界中の企業がその多くをこの国に依存していたのだ。中国発の恐慌は、世界中にかつてない、リーマンショックをも超える衝撃をもたらした。
 それから二年後の二〇二五年の冬――
 その日の夕方楊(やん)青年は、闇市で確保したポリタンク入りの灯油を大事そうに両腕に抱え、帳の降り始めた街を家路に急いだ。暗くなる前に帰らないと、いつ暴漢に襲われるかわかったものではない。警察に泣きつこうにも、そもそもこの灯油自体が違法な取引で得たものなのだ。逆に逮捕されてしまうのがおちだ。とにかく自分の身は自分で守る、そんな習慣がすっかり身についてしまった。
 マンションの部屋に戻ると、さっそくストーブに灯油を注いだ。あまりの寒さに、凍える手が震えて零してしまいそうだ。それでもなんとか無事に注ぎ終えるとさっそく火をつけた。そしてストーブに抱きつくようにして暖を取った。芯まで冷え切った体がようやく生気を取り戻した頃、彼は手回し式の防災用ラジオのスイッチをひねった。テレビもあるのだが、停電でまったく役に立たない。特に今日のように寒い日の夜は、決まって電気が落ちる。しかもいつ回復するのか誰にもわからない。
 楊青年に限らず、皆がこぞって闇市に足を運んだ。配給された燃料なんぞとっくに底をつき、次の配給まで待っていたら凍死しかねない。灯油を始めとした闇市の物資の出所は明かされていないが、どうも役人が横流しをしているらしい。でもそんなことは彼には関係ない。とにかくこれがなければ生きていけないのだ。法外な値段をふっかけられても、あるうちに手に入れるのが先だ。しかし彼はまだいい方だった。仕事があるからこそ、こうやって物資を確保できるのだ。そうでない人たち、特に体力のない幼児や老人は、厳しい冬を乗り越えることも叶わず、多くがその命を落としていた。
 そのとき楊青年は、ラジオから流れてくるニュースに思わず耳を傾けた。
「――押し寄せた暴徒によって庁舎が襲われ――」
 河北省のとある県の政府庁舎が暴徒と化した民衆に襲われたらしい。これまでも警察署や工場が襲撃された事件は数え切れないが、政府庁舎が襲われたとなると話は別だ。もはやたまりにたまった国民の不満は抑えが利かなくなり、ついに一線を越えてしまったのだ。
 そしてそれを機に、全国各所で、堰を切ったように政府庁舎が暴徒に襲われ始めた。
「たいへんだ……」
 何かとんでもないことが起ころうとしているのは確かで、でもそれが何なのかはよくわからない。彼がようやくそれを理解できたのは、それからさらに一年が過ぎてからのことだった。
二〇二六年――
 一時期の混乱はおさまったものの、なおも世界レベルでの不景気は続き、欧米先進各国は低迷に喘ぐ自国の経済の出口を探っていた。そんな折、混乱の続く中国に目をつけた国があった。アメリカである。
 その年の秋、またもや中国で暴動が起こり地方の政府庁舎が襲われた。それだけであればよくあることで、特に驚くことでもない。しかし今回の暴動はそれまでのものとは違っていた。それはただの暴動ではなく、クーデターだったのだ。政府庁舎を占拠した革命家たちが、独立国家の設立を宣言したのである。
 さっそく人民解放軍が動員され鎮圧に向かったが、ことは容易にはいかなかった。それは革命家たちの保有する武器が理由だった。なぜか彼らは最新の武器・兵器で武装していたのだ。そして鎮圧に手を焼く打ちに、また別の県でクーデターが勃発した。そこでもやはり革命家たちは最新の武器・兵器で武装していた。銃器はもちろんのこと、戦闘機や戦闘ヘリ、戦車まである。もはやこうなると戦争である。そしてそれらがすべてアメリカ製であることが判明すると、中国政府のみならず、先進各国に激震が走った。まさか――
 彼らの危惧は正しかった。不満を抱えた革命家たちに、アメリカが武器・兵器を提供し、裏でクーデターを支援していたのだ。こうなると他の国も黙ってはいない。ロシアが動き、欧州各国も動いた。こうして革命家たちによる地方の独立運動という名を借りて、先進各国による中国領土の奪い合いが始まることとなった。
 それから一年もすると、中国には二十強もの革命政府が乱立する事態となった。こうなるともう誰にも止められない。そもそも仲裁に入ろうとする者すらいないのだ。戦渦はまたたくまに中国全土に拡がり、本来の中国国家は北京を中心とする河北省の一部のみとなってしまった。そしてそれ以外の場所は乱立する独立国家の領土にその姿を変え、今度はそれぞれの独立国家同士までもが争うようになった。先進諸国が独立国家の名を借りて中国領土の奪い合いを始めたのだ。第三次世界大戦の勃発である。  
 二〇二八年になると戦渦は中国の国境を越え、インド、パキスタンと西に向かって拡大し、さらには中東までをも巻き込む大戦争へと発展した。
 最初は戦争特需による景気回復の恩恵を被った先進各国だったが、それも長くは続かなかった。逆に長引く戦況で需要は低迷し、せっかく手に入れた中国領土の資源も二束三文で買いたたかれ、戦争での出費が巨額の財政赤字となって重くのしかかっていた。経済的に追い詰められると、人間の判断も冷静さを失うものだ。早く争いを終わらせたいと願うあまりに、その行動がより過激になり始めた。
 そんななか中東はイラクで、ロシア軍によってついに化学兵器が投下された。この暴挙によって、イラク国民のみならずアメリカ軍兵士の多くが命を落とした。これに激怒したアメリカは、ロシアの禁じ手に対して、彼ら独自の正義をもって応じることとした。報復である。アメリカ軍はアジア大陸を北方に向かって侵攻し、ロシアの同盟国とも言える独立国家共同体(CIS)の諸国に対して容赦なく化学兵器を放った。もちろんロシアが黙っているわけもなく、やはり彼ら独自の正義を振りかざして報復に打って出た。今度は核兵器である。なんとアメリカの同盟国であるトルコに原子爆弾が投下されたのだ。これに過敏に反応したNATO諸国は一斉にロシアとその同盟国に攻撃を開始し、当然のようにロシアはそれに応戦した。こうしていよいよ戦渦は欧州にまで拡大していった。   
 すでに壊滅的な被害を受けていたアジア大陸のみならず、欧州も、半年も経たずして東側半分が火の海と化した。しかしそれだけではすまなかった。大恐慌と言うべき不景気は世界中に食糧不足、燃料不足をもたらし、戦争前には七十億もあった世界の人口は、二〇三〇年には三十億にまで減少していた。ある社会学者は、それを遺伝子に刻まれた生存本能として理由付けをしてみせた。増えすぎた種(しゅ)が存続するためにとる、一種の自発的な間引き行為であると。
 ようやく各国が戦いに疲れ果て、世界各所に燻(くすぶ)りを残しながらも戦況が落ち着き始めたのは、二〇三二年になってからだった。そして人々が再興への道を模索し始めたころ、その噂が世界中を駆け巡った。
 アメリカの西海岸に、若返りの希望と、文化的に生きるための魅力的な環境の用意された、夢のようなユートピアが誕生したという――