2013年8月30日金曜日

てへっ、ばれちゃいましたぁー、な事件に思うサルの独り言

 人々はかつてない恐怖に怯え、世界は、信じがたい現実を目の当たりにして、その身を打ち震わせていた――。
 突然現れ、容赦なくその非道な魔の手を振り下ろす悪魔、その名も、”個人情報晒し隊”。

 最初に被害に遭ったのは、まだ分別も付かない若者だった。”暑すぎる夏のせいに違いない”――環境保護団体はそれを地球温暖化のせいにし、”ゆとり教育が間違っていたのだ”――サディスチックな教育評論家は、それを教育行政のせいにした。

 でもそれは、どちらも間違っているかもしれない。

 なにしろ、そんなに暑くなかった昔から、或いは、スパルタ教育全盛の昔から、そういう輩はたしかにいたのだ。いや、皆さんにも心当たりがあるはずだ。一歩間違えれば同じような事態になりかねないような愚劣な行為をした経験が。そう思う人は手を上げて欲しい。

 はーい!

 と、まっ先に手を上げてどうする、自分……

 話を戻そう。別に暑いからアイスケースに入ったわけじゃなかろうし、口が寂しかったからソーセージを咥えたわけでもないだろう。ましてや、変身したくて顔にピザ生地をはっ付けたわけでもあるまいし。じゃあなぜ? と、?(はてな)を付けるだけ無駄というものだ。

 目立ちたかったからに決まってるだろ! このあほぽんが!

 僕が言ったんじゃない、彼らの魂がそう言っているように聞こえただけだ。もしかしたら幻聴かもしれない。

 目立ちたいからわざと奇異な行動をして、それを友達に見せる。そこそこ噂は広まり、なんだか満たされた気分になる。ではこの満たされた気分というのはいったいなんなのだろう?

 僕はその謎を解く鍵が、孤独にあると思う。(大丈夫か、おい?)

 かつて僕が――いや、僕の友達が――定食屋のソースと醤油のビンのラベルを貼り替えたのは、けっして人を困らせてやろうと思ったわけじゃない。自分の行為と、その先に起こりうるであろう社会的な現象に、つながりが欲しかったのだ。そうすることで、無為な自分、無力な自分を、少なくとも自分の中だけでは、ちょっとした影響力のある人間に昇華することができたのだ。(まあ言ってしまえば、ただのバカである)

 だからその行為自体は、決して今に始まったことじゃない。問題は、その先の拡散と社会的制裁である。
 仲間内で、或いは限られた狭い世界の中でしか話題にならないであろうと思っていた悪戯が、たちまち全国レベルで、”痴態”として広まってしまう。しかもその被害者である店に対してまで、”厳しい鉄槌を下さない企業は許さない”と責めてしまう。

 なんと恐ろしい(ガクブル)

 では、責める側の人間を突き動かすものはなんなのだろう?

 僕は思う。それは、鬱せきした不満、それにどこにも持って行きようのない憤りではないかと。かつて匿名のない時代は、その不満や憤りを、建設的な行動や意見で示す者だけが”大人”として認められていた。(今でも僕はそう思っている) でも匿名性がそれを変えた。あらを探し、民度の低い非人道的な誹謗中傷を浴びせる。浴びせる側にはなんのリスクもない。なにしろ、完全な匿名なのだから。

 と思っていたら、また、トンデモないことに

 そう、2chの個人情報流出事件である。困ったものである。知られるはずのない秘密が、まるで秘密でなくなってしまうのだから。匿名だからと信じて少し大げさに書いたのに、それが匿名でなくなると、まるで本音を言ったかのように捉えられてしまう。まったくもって、

 ご愁傷さま、である

 ところで、SNSでの痴態の暴露と、この2chの情報流出には、どこか共通点があるような気がしてならない。深酒のせいで溶けてしまった左脳の代わりに、僕の右脳が代弁しよう。それは、

 バレないと思っていたことが、しっかりバレちゃいました

 と言うことだ。恐ろしいことである。しかもバレちゃいました、ではすまないのだ。

 これからこの傾向はますます加速すると思う。ウエアラブル・コンピューティングの普及は人の行動を監視する目を世界中に張り巡らせ、人陰に隠れて鼻くそをほじる行為さえ危険になるかもしれない。みんな気をつけなければならない。でも、僕は大丈夫。なにしろ仕事以外は、

 部屋にこもって外に出ない、究極のオタクだから

 
 

 

2013年8月27日火曜日

WikIを見て泣いてしまった話 ―見世物小屋―

 思うところあって、先日アマゾンから、江戸川乱歩のある作品を購入した(もちろん電子書籍)。それは、

 人でなしの恋

 という、短編を集めたやつだ。毎晩寝る前に少しずつ読んでいるのだけど、昨夜ようやく一編目を読み終えた。

 百面相役者

 という一編だ。実は、読み始めたときは意外に思った。て・に・お・は・が抜けるという、誤字が散見されたからである。しかも、どこか表現がぎこちない。

 と思っていたのもほんの数ページ

 気づくと、僕は物語の中にどっぷりと浸かっていた。そして想い出した。小学生の頃、読書嫌いだった僕が唯一はまった、あの小説のことを。「怪人二十面相」だ。寝る間を惜しんで読んだあのときと、同じような感覚を味わっていたのだ。

 解説によると、百面相役者と言う作品は、大正14年から15年に書かれた作品のようだ。信じられない。大げさではなく、鳥肌が立った。遙か時をこえ、まるで今まさにそこにいるかのような臨場感。最初に感じたぎこちなさも、実はこの臨場感を演出するための罠だったわけだ。江戸川乱歩という作家、やはり希有の天才だ――そんなことを、しみじみと感じた次第である。

 ところで、江戸川乱歩の話はまたの機会にということで、今日ご紹介したいのはそのことではない。この「百面相役者」に出てくる”見世物小屋”のことである。神社の境内にしつらえられた見世物小屋、若い人たちにはわからないと思うけれど、僕が幼少の頃には、まだそれが存在していた。大人たちには「ぜったいに入っちゃだめだからな」と念を押され、実は僕も一度も入ったことがない。(たぶん……)

 世にも恐ろしいヘビ女、だとか、見るもおぞましい怪獣だとか――怖いもの見たさの好奇心を煽る看板の前で、「お代は見たあとで」と、怪しげなおっさんが叫んでいたものだ。そんなことを想い出しながら、ふと僕はあることに疑問を持った。

 あの見世物小屋の中にはいったい何がいて、何をやっていたんだろう?

 ずうっとタブーとされていたせいか、そのことを調べようなどと思ったことは、これまで一度もなかった。でもこの本を読んで、どうしても知りたくなった。さっそく僕はググった。そしてあるサイトに辿り着いた。Wikiである。

 小心者で気弱な僕には、これ以上文章を綴ることはできない。とにかく感動し、そして反省した。辛いとか、苦しいとか、僕にその言葉を口にする権利はないのだと。
 以下が、そのWikiへのリンクである。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E4%B9%85%E5%AD%90

 何かあると自分の権利だけ主張し、不快なことはみな他人のせいにする。そんな大人が、以前より少し増えてしまったような気がする。とても悲しいことだ。せめて未来ある子供たちには、そんな大人に染まらないで育って欲しい。そう願う今日この頃なのである。そのためにも、大人たちには今一度、権利に課せられた重い責任のことを、しっかりと考えてもらいたい。ということで、今日も自分にひと言――

 そう思ってるんなら、まずはお前が変われよ。

 そのとおりである。反省だけなら、サルでもできる。

2013年8月24日土曜日

このクソ暑いのに汗をかかない憎い奴 ―グラスの話―

 今日はグラスの話。たまたまネット広告で目にしたグラス、なんでもダブルウォールグラスとか言うらしい。

 http://www.rayes-glass.com/

 後で知ったのだけれど、どうやら中が空洞になっていて空気が入っているらしい。それが(多分熱抵抗を上げて)熱を遮断するようだ。しかも結露しにくくて、グラスが濡れにくいというではないか。ほんまかいな? と言うことで、さっそく購入してみた。

 開封してまず驚いたのが、その軽さ。本当にガラス? と思わず疑ってしまったほど軽い。まるでプラスチックのようだ。



底に向かって厚くなっているけれど、どうやら中は空洞らしい。見た目ではまったくわからないけれど、手に持つと、その軽さから「なーるへそ」と納得してしまう。

 ではさっそくその保温性能とやらをテストしてみよう。普段使っている汗っかきのグラスを用意して、両方に同量の氷を入れる。

 暑い日が続き、今日も暑かった。僕の部屋も、もちろん暑い。テストにはもってこいである。20分もすると、さっそく変化が現れた。そして僕は思わず唸ってしまった。

 マ、マジかよ……


 おわかりいただけるだろうか? ふだん愛用している汗っかきはやはり汗をかき、氷もずいぶんと溶けてしまっている。しかしこの新参者は――
 ほとんど溶けていない! しかも汗一つかいてはいないではないか。さらに放置すること数十分――


 さすがの新参者も少しは溶け始めたようだ。でもほとんど汗をかいていない。一方で愛用のあいつは、もうグタグタである。

 悲しくて泣けてくるほどだ。

 さらにしばらく放置して、テストは終了。


 もはや説明の言葉も必要ないだろう。

 おそるべし、ダブルウォールグラス

 さっそくウィスキーを入れて、チビチビとたしなむ。いつものように慌てて飲む必要などない。なにしろ、時間が経ってもほとんど薄くならないのだから。


 見ていただければわかるように、壁の薄い上部は汗をかいているけれど、下の方はほとんど汗をかいていない。デブのくせにたいしたものである。それにしても、酒は美味い。

 しかも今日は、いつもよりもっと美味い。(ような気がする)


 最後に評価:★★★★☆
 
 星5つといきたいところだけれど、¥1,780+¥500(送料)は庶民にはちときつい。お金持ちは星5つを付けるかもしれないけれど、貧乏人はそんなに甘くはないのである。

2013年8月23日金曜日

頑張れ、個人作家たち(お前もだ、自分)

 かつてキックボクシングをしているときに感じたのと似たような気持ちが、なぜか最近込み上げてくる。黙々と練習に励み、全力で試合に臨む青年たち――。決して裕福とは言えなかったにしても、それなりのサラリーマンで、生活にこと困るようなことのなかった僕には、彼らがとても信じられなかった。

 夕方まで日雇いの重労働をこなし、それが終わるとジムで汗を流す。でもそれは尋常な汗じゃない。体中の血液を絞りだすような苦行だ。僕には不思議でならなかった。どうしてそんなに頑張るのか――

 実は今でもよくわからない。当時の格闘技人気は、これ以上ないくらいに低迷していて、仮にチャンピオンに上り詰めたとしても、専業で喰っていけるかどうか疑わしいほどのレベルだった。そんな世界に身を投じ、彼らは何を求めていたのだろうか?

 そんな疑問を心のどこかに燻らせながら年老いた今、最近、その燻りがふたたび首をもたげ始めた。そう、小説書きの人たちのことである。

 活字離れ、出版不況、作家を取り巻く環境は決して順風満帆とは言えない。電子書籍の環境整備のおかげで、作品を発表するハードルは確かに低くなった。でも、とてもそれで喰っていけるレベルにはない。それどころか、小学生のお小遣い程度のお金を得るのがせいぜいなのだ。では、出版社の目に留まって紙の書籍を出したら世界は変わるのか? 僕はそれも疑わしいと思っている。なにしろ、数多い商業作家でも、専業で食べていける人は一握りだと言われているのだから。

 その先にはバラ色の世界なんてないかもしれない。じゃあ、どうしてみんなそんなに頑張るのか――僕には不思議でならないのである。小説を書くという作業は、とてつもなく辛く、自己の甘えとの極限の戦いと言っても過言ではない――と僕は思っている。

 しかも頑張ったあげくに、死にたくなるような辛辣な書評が待っているのだ。

 厳しい書評は、作家にとっての劇薬だと思う。これなくして成長はないけれど、一歩間違えるとそのまま沈んでしまう。だからこそ、創作は、いかなる書評をも叱咤激励として受け止める覚悟がなければ続けられない。でも、中には目を覆うような書評も散見される。作者の人間性をも否定するような書評である。もちろん気持ちはわかるけれど、できれば、魂を削って創作している作家のことも、少しだけでもいいから考えて欲しい、と思うのである。

 ただし例外もある。それは、評論家の方々だ。最近、個人作家の作品を読んで評論を書いてくださる方々が少しずつ増えてきた。とても嬉しい。僕のゴミのような作品ですら、取り上げていただくこともあるくらいだ。そういう方が書かれる書評は、おおむね厳しいものが多い。

 とても良いことだと思う。
 人間性を否定するのではなく、(ちゃんと読んで)作品を評価する。そこには利害関係もなければ、利己都合もない。 何を隠そう、僕の作品も、ケチョンケチョンに叩かれた。でも、

 とても嬉しかった。


 そしてそれは、これまでの商業出版、例えば著名な作家が美辞麗句を恥ずかしげもなく綴る嘘よりも、読者にとっては遙かに価値ある意見だと思う。個人出版に対する正直な意見こそ、長い目で見れば、読者の信頼を勝ち得るエンジンになると僕は信じて止まない。

 けっきょく何が言いたいのかわからないままに終わりにきてしまったけれど、最後に声を大にして言いたい。いや、言わせてください。

 頑張る若者、それを支える心熱き人たち、まだまだ日本は、捨てたもんじゃないですよ。

 

2013年8月21日水曜日

メガネ型ガジェットに思うこと ― その2 ―

 僕の考えが浅かった。テクノロジーは、僕が想っていた以上に進んでいて、しかもそれは、点と点とをつないで、SFの世界をも凌駕する、一般庶民には理解不能な世界を紡ごうとしているのかもしれない。

 Googleの検索エンジン、先日の出来後(ほんの2分間サーバーが落ちただけでネットのトラフィックが4割減少)で証明されたように、今やネットの世界の首根っこをつかまえていると言っても過言ではなかろう。そのGoogleがこれから世に放とうとしている、メガネ型ガジェット。ついこの前まで、僕はそれを単なる多角化経営の一環だと勘違いしていた。

 でも、実は違っていた(に違いない)。僕にそう想わせたのが、「Google Goggle」という、スマホ用のアプリだ。とんでもないアプリである。

 以下の記事を見ていただきたい。
 http://dekiru.impress.co.jp/contents/083/08309.htm

 ひとことで言えば、画像認識なのだけれど、それを実現しているのが、世界一の検索エンジンなのだ。写真で撮った画像を瞬時に解析・検索して、その情報を引き出す。なんと素晴らしい! と、ただ感動している場合ではない。

 たぶん、この機能はGoogle Glassに組み込まれるに違いない。眼鏡をかけて街を歩く。店を見ると、メガネに文字が流れる。

 「居酒屋、どんべえ。30人の評価、★2つ。値段は安いけれど、オヤジが上から目線」

 悩んだ末に、値段に引かれた僕は店に入る――。

 それだけじゃない。個人情報だって、どうなるかわかったもんじゃない。眼鏡をかけたおっさんが僕を見た。そして少し間を置いて、

「おい、ゴミ作家。新作の評価は★1.5。どうしようもねえクズだな。偉そうに街を歩いてんじゃねぇよ」

 そんな日が来るかもしれない。なんと恐ろしい。

でもなんか愉しそうでもあって、実はワクワクしている自分がいる。

2013年8月20日火曜日

景品表示法違反、って(笑)

 昨日に続き、また触れてはいけない話題なのかもしれないけれど……

 とあるニュースを見て、妄想家の僕の想いはあらぬ方向に飛んでしまった。そのニューというのは、

 

消費者庁が秋田書店に措置命令 読者プレゼント水増しで


 である。簡単に言ってしまえば、当たりくじのない露店のくじだ。でも僕が驚いたのは、秋田書店の愚行ではない。こんな日常茶飯事なことが大きく取り上げられることに驚いたのだ。

 テレビ番組を見る度に、僕は愚痴をこぼす。

「いま若者に大人気の店――」

 ほんとかよ? 閑古鳥が鳴いていたのに……具体的な数値も出さず、「大人気」だとか「いま一番の」だとか、はなはだ呆れてしまうのだ。限られた電波の使用を許可されて公共に情報を発信する企業のする所行とは、とても思えない。まあ、放送の後は行列が出来て、それが嘘ではなくなってしまうのだろうけど――。しかし、これを景品表示法違反と言わずして、何を景品表示法違反と言うのか――

 テレビ画面に向かって悪態をつく僕に向かって、家族がため息をつく。
「もー、そんなことでいちいち目くじらを立てないでよ。いいじゃない、それくらい。だって、楽しいじゃない」

 楽しくなんかねーよ――と、声には出さずに言ってみる。――虚しい……

 とかく僕らは偏った情報に染まりがちである。まさか公共の電波で嘘を流すはずがない、そう思っているのかもしれない。でも現実は、前述したように、嘘だらけだ。幸いなことに、今はネットがある。玉石混合の妖しい世界ではあるけれど、情報は多いに越したことはない。重要なのは、その中から真実を探し出すスキルだ。

 と、日本一そのスキルに欠けたダメ男が叫んでみました

2013年8月19日月曜日

報道って?

 本当はこういう話題に触れちゃいけないのかもしれない。でも、なにか腑に落ちない。

 事件があると、ニュースが流れる。そこには匿名があったり、実名があったりする。でもこの基準はなんなんだろう?

 例えば痴漢。まだ有罪と確定していない容疑者が、実名で報道される。被害者の名前は、もちろん報道されない(これは納得)。

 じゃあ、あの悲惨な花火大会の爆発事件は? 容疑者の名前は報道されない。でも、亡くなられた方の名前は報道される。名前だけじゃない、その方のプライバシーに関わるいろいろな話が報道される。

 しかも、「これで犠牲者が3人に――」という表現――

 納得がいかない。怪我をした人たちすべてが犠牲者のはず。もしかすると、僕の常識がずれているのかもしれない。

 ニュースを見る度に、頭がおかしくなりそうなのだ。

2013年8月18日日曜日

サルでも出来る、反省 ―個人出版―

 人間の欲というものは、まったくもってだらしない。

 僕は多くの個人出版作家さんたちとは違い、新参者である。だから同人誌とかいうものも名前は聞いたことがあっても、実は良く知らない。ほんの3年前までは、芥川賞と直木賞の違いすらも知らなかったのだ。

 子供の頃から国語が大の苦手だった。誤字脱字が多いのもそのせいかもしれない。当然読書も嫌いで、専ら漫画を読んで幼少時代を過ごした。でも、唯一の例外がある。江戸川乱歩の怪人二十面相だ。小学校の図書室で借りては、読みふけった。ルーズな僕は返却するのを怠り、家には背表紙にラベルの貼られた怪人二十面相の本が、いつも4、5冊くらい転がっていた。

 高校生なると、少し小説を読み始めた。五木寛之さんの「青春の門」や、遠藤周作さんのエッセイなどだ。でもやはり主役は漫画だった。特にはまったのが、手塚治虫さんの「ブラック・ジャック」。 この本は僕の人生までをも変えてしまった。

 学生時代はまったく本を読まなかった。小説どころか、教科書も。そして社会人になった。もう小説を読むどころの騒ぎじゃなかった。英語で書かれたコンピュータのマニュアルに、僕はすっかりはまってしまった。僕の書いた「優しい悪魔」に登場する「ジャック」は、まさにあの頃の僕を投影したものだ。

 そんな僕が再び小説を読み始めたのは、たまたま書店で見かけたある本がきっかけだった。インドの考古学者、ゼカリア・シッチンの著作である。僕は夢中で読みふけった。あまりに非現実的な見解、ありえない歴史観。でも僕にとっては、あり得る、いや、きっとそうに違いないと思えるような、目が覚めるような斬新な見解だったのだ。

 それから何年も仕事に忙殺される日々が過ぎ、でもいつも僕の心の中にはシッチンがいた。彼が唱えるあの摩訶不思議な歴史の中で、物語を紡ぎたい――いや、実際僕の頭の中では、様々なストーリーが出来上がっていた。

 2年と10ヶ月前に(いきさつは過去のBlogを)、小説を書こうと思い立った。そしてもちろん書きたかったのは、シッチンの世界である。しかしすぐに行き詰まった。思ったことを文章に出来ないのだ。それだけじゃない。一人称と三人称の違いもわからなければ、カッコの使い方もわからない。試行錯誤を繰り返しながら、少なくとも自分では読めるような文章が書けるようになった。

 ちょうどその頃、電子書籍という新しいプラットフォームが芽生え始めていた。僕は飛びついた。でも、ひどいありさまだった。ツールも整備されていない頃の(ほんの2年前なのに・・・)話である。PDFに変換したファイルをアップロードする。読み難いったらありゃしない。しかも、読者はほとんどいない。僕の記憶では、一年間でダウンロードしていただいたのは、せいぜい五人くらいだったように思う。

 世界が変わったのは、昨年の暮れ。あのアマゾンが、米国ではすでに運営していた個人向けの出版業務を、この日本でも開始したのだ。嬉しかった。いや、信じられなかった。そしてその時から僕の世界が、劇的に変わり始めた――

 今でもたまに僕は、ちっとも本が売れないと嘆く。とんでもない愚か者である。馬鹿な人間は、ちょっと調子に乗るとすぐに傲慢になる。その典型が僕だ。誰もが閲覧でき、無料キャンペーンをはれば数百冊の本をダウンロードしていただける。これ以上、何を望もうと言うのか。

 ちまたでは、電子書籍の普及を危ぶんだり、KDPのような個人出版に対する否定的な意見も多見される。僕は言いたい。

間違ってますよ、あなたたち


 ほんの僅か1年で、世界がすっかり変わってしまった。この先の数年なんて、誰にも予想なんて出来ない。今でもすっかり素晴らしい環境を得られたわけだけれども、まだまだだ。作品さえあれば、未来はもっと広がる。でも作品がなければ何も始まらない。


だからこそ、書き続けなければならない。

2013年8月16日金曜日

表現の自由? そうじゃないのよ

 いよいよ僕の作品の表紙にも、「社会的に不適切な表現が含まれます」という但し書きをつけなければならない時代になりつつあるようだ。

 最近話題の「風立ちぬ」の喫煙シーンの問題。そして今日のニュースで見たばかりの、「はだしのゲン」の少年への閲覧制限の話題。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130816-OYT1T00913.htm?from=tw

 「表現の自由」などという、マスコミや文化人のエゴイズムが生んだ独善的な言葉を使う気持ちは毛頭ないし、僕が使ってもバカの戯れ言にしか聞こえないだろう。僕が言いたいのはそんなことではなく、「隠すこと、真実から目を背けることが本当に良いのか?」 そのことだけである。

 大人やマスコミがまずすべきことは、民衆や子供に事実を伝えることだと僕は思う。見解なんてイラナイ、いや、最初から(独善的な)答えを与えてはいけない。判断するのは、その事実を受け止める本人なのだ。

 前にも書いたけれど、僕はジジイやババアが大嫌いだ(僕もジジイだけど)。「政治が・・・」とか「最近の若者は・・・」とか、ふざけるな! である。今の若者、お前等(中年も含む)よりはよっぽどマシだ、と、声を大にして言いたい(怖くて言えないけれど)。

 稚拙な知恵で思いついた浅薄な主義主張、そんなものは自分たちの中だけで遵守しろ。それを人に押しつけるような傲慢な考えは、今すぐやめろ。結論を、答えを導き出すのは、あんたらバカじゃなくて、若者なんだよ! と、心の中で叫んでみました。

 ということで、僕はこれからも堂々と、

エッチなシーンや、痛々しいシーンや、恥ずかしいシーンを書きまくるのである。

夜遊びと性癖との無理やりなこじつけ

 小さい頃から夜遊びが大好きだった。どうしてそうだったのだろうと色々と考えてみたけれど、これといった理由が思い浮かばない。そうこう考えているうちに、子供の頃のある性癖を想い出した。それは押し入れである。
 僕は押し入れが大好きだった。狭くて暗い空間の中にいると、なぜか心地よいのである。そしてその暗い闇の中で、たわいもない空想に耽るのだ。空想に耽る上でこの”暗い”という条件はとても大切で、これがなければ気の抜けたビールとおなじように、まるで味気ないものになってしまうのだ。

 まあ、早い話が現実逃避である。日常を断ち切り、完全なる空想の世界に没入する。そのための暗い空間に過ぎないのだ。

 毎日が色あせて、何もかもが味気なかった。特に中学校に入ってからはそうだった。先生が嫌いで、それ以外の大人たちも、そのほとんどが嫌いだった。(まあ、今も年配の人間の大多数は、大嫌いだけれど……)

 話を戻そう。そう、夜遊びである。押し入れの性癖を想い出して、ようやく夜遊びが好きだった(今も好きだけど)理由がわかった。夜の闇は汚れた現実を覆い隠してくれる。そしてその現実の代わりに、とても素敵な世界が姿を現すのだ。

 特に好きだったのが、お祭りだ。日頃偉そうな講釈を垂れ、尊大な振る舞いをして虚勢を張る大人たちが、このときだけは子供のようにはしゃぎ、まるで友達のように身近に思えた。いやな現実は夜の帳が隠してくれて、そこにはまるで、ジブリの映画のような素敵な世界が広がっていた。

 今朝、通勤途中に通る公園で、僕ははたと足を止めた。そして突き上げる憧憬に思わず声を漏らした。

「盆踊りだ……」

 

 ぶら下がる無数の提灯を見ただけで、もうすっかり気分は少年だ。僕には見える――。暗い闇に浮かぶ色取り取りの提灯、その幻妖な灯りの下で踊り狂う人々。BGMは、もちろん炭坑節だ。


無理やり加工してみました……

 今週末は、久しぶりに盆踊りに顔を出してみようかと思う――。


(おまけ) 今も夜遊びが好きだ。でも幼い頃とは、ほんの少しだけ理由が違う。

僕が惹かれるのは提灯ではなく、虹色に妖しく光るネオンになってしまった。

2013年8月13日火曜日

パシフィック・リム

 本日、念願の映画鑑賞の夢が叶った。そう、パシフィック・リムである。怪獣とロボットの映画である。劇場まで家から徒歩で15分、こんな恵まれた環境にありながらも、足を運ぶのは久しぶりのことだ。部屋で独り映画を観るのが好きな僕は、基本的にはWOWOWでしか観ない。でも今回は違う。とても待ちきれなかったのだ。

 映画館は、とても空いていた。いや正確には、パシフィック・リムの上映館内は空いていた。なにしろ、劇場自体は結構混み合っていたのだから。あれである、「風立ちぬ」だ。

 一歩館内に足を踏み入れると、その異様な空気に圧倒される。まばらに埋まった席に座っているのは、その多くが(人のことは言えないけれど)いい年をしたおっさんであり、それも独りで観に来たおっさんなのだ。(わかる!)と思わず声を出して叫びたくなるような光景なのだ。

 さて、いよいよ本題。最初に断っておくけれど、この映画はあまり事前知識を持たないで観た方がいいと思う。かく言う僕も、色々とネットを徘徊して余計な情報を得たせいで、驚きが半減したことは否めない。でも、それでも十分に愉しかったわけであるが――

 物語は、いきなりトップスピードで入る。えぇーっ、と驚きを隠せなかったけれど、時間が経つに連れ、実はそれがトップスピードではなかったことに気づく。この作品のスピード感は、半端じゃない。
 垂涎ものの見事な映像が目にも留まらぬ早さで駆け抜けていき、貧乏性の僕などは、それがもったいなくてしょうがない。

 これから観る人のために敢えて内容には触れないでおくけれど、とにかくおっさんにはたまらない映画である。カッコいいロボット、迫力のある怪獣、そしてとてもシンプルなストーリー。この映画に蘊蓄などは必要ない。とにかく童心に帰って愉しむ、それが出来る大人のためだけの、最高のエンターテイメントなのである。

おまけ)
 実は上映途中でアクシデントが起こった。突然字幕が出なくなったのだ。いったい何を喋っているのか、もうまるでわからない。きっと僕だけではなかったはずだ。でも誰も騒がないし、動こうともしない。僕にはその気持ちがよーくわかった。スクリーンから目が離せないのだ。でも一人の勇気ある人が立ち上がり、場内から出て行った。しばらくすると係員が現れ、トラブルを詫びて、そこでいったん上映は中断した。そしてそれから5分後くらいに、字幕の消えたシーンからまた上映が再開した。僕はほっと胸をなで下ろし、ふたたび映画の世界に没入した。
 上映が終わり場内を出ると、係員が皆に何かを配っている。まさか――と思ったけれど、そのまさかだった。なんと中断したお詫びに、無料招待券を配っていたのだ。
 結局、あの素晴らしい映画をただで観たことになる。

 素晴らしいぞ、109Cinemas!

お酒の話 4

 昨日、久しぶりにマッカラン(12年)を買った。まさに清水の舞台から飛び降りる心境である。そのマッカランをちびちび飲みながら思うのは、2年と10ヶ月前のことである。

 僕は小説を書き始めた。いや、小説というのは語弊があるかもしれない。僕が書きたかったのは、”人類誕生の謎”だった。かつて僕の信奉した考古学者、ゼカリア・シッチンの謎解いた世界を、物語にしたかったのだ。

 最初に書いたのは「エンジェル」という作品で、およそ1ヶ月で書き上げた。次に書いたのが「名探偵の事件簿」で1週間、さらにその翌週「トラベラーズ」を、やはり1週間で書いた。その翌週から「ワンダーランド」を書き始め、これは3週間要した。とにかく、夢中で書き続けた。

 典型的な理科系脳で、しかも記憶力が人一倍欠如している。どうしようもないバカなのだ。書いている途中で主人公の名前は忘れるし、たまにストーリーも忘れることだってある。むつかしい漢字だってよく知らない。

 そうこうするうちにプータロ―生活もヤバくなってきた。家族がいるわけで、何かしらして生活の糧を得なければならない。仕方がない、僕はもう一度就職活動をすることにした。目標は6ヶ月後。

 限られたその6ヶ月間、僕は書きまくった。それまでとはまるで気持ちが違っていた。一番の違いは、生々しい性描写に代表される、どろどろとした人間の”さが”の表現だ。それまでの(それはそれで良いことだと思うけど)どこかソフトな描写を捨て、とにかく本能に忠実に書くまくった。この6ヶ月間で書いた作品が、「聞かせてくれ、命の調べを」、「出来損ないの天使」、それに「優しい悪魔」である。

 だからこの3作品には、ほかならぬ思い入れがある。再就職して生活の糧にはなんとか困窮することも無くなった今、おそらくああいう作品は描けないだろう。何しろ、書きながら毎晩涙を流していたのだから。

 今は「除妖師」を描くのに夢中だ。かつての神話ものやハードボイルドとは違い、究極のライト・エンターテイメントを目指している。でもこの連作を書き終えた後は、もしかするとまたディープな神話の世界に戻るかもしれない。

 シングルモルトは不思議な酒である。甘さ、渋さ、苦さ、酸っぱさ、様々な味が複雑に絡み合い、飲むときどきにまるで違った世界を描き出す。そしてそこに想い出が重なり、まるで人生を語る媒体のような存在になるのだ。
 マッカランの、シェリー樽の甘い香りの染みついた味は、さしずめ、悲しい過去を美化する薄化粧と言ったところか。

 今日は、いつになく切ない。

2013年8月10日土曜日

ビール工場に見る日本の美徳

 今日はこのクソ暑い中、家族に無理やり連れられてビール工場の見学に足を運んだ。場所は生麦、そう、キリンビールである。今日の出来事をお話しする前に、まずは日本のビールの歴史からおさらいしておこう。

 日本で最初に(商業目的で)ビールが造られたのは1870年――今から143年前――のことであり、場所は僕の住む横浜だ。つくったのは、ウィリアム・コープランドというおっさん。驚くことに、彼はドイツ人ではない。ノルウェー生まれのアメリカ人だ。ドイツで5年間ビール造りを学んだらしい。つまり日本のビールの歴史は、本場とは距離を置いたところから始まったというわけだ。
 その後ウィリアムのつくったブルワリーは現在のキリンビールへと引き継がれることになる。最初は瓶詰めだけだったビールに革命が起こったのは、1960年、すなわち缶ビールの誕生である。

 さて、話を戻して工場見学の話に。京急の生麦の駅を降りて、灼熱地獄の中を歩くこと10分、キリン横浜ビアビレッジの案内板が見えてきた。すでに(二日酔いの)頭はくらくらで、背中から噴き出た汗がお尻にまで達している。ビレッジの中に足を踏み入れたときの感動、それはもう言葉では言い表せない。冷気が身体を包み込み、それまでのすべての苦悩を癒やしてくれる。そんな感じだったのだ。
 バッジを渡され、すぐにツアーが始まった。製造過程の順にそって、それぞれの工程を見て回る。小学生の娘はまるで興味なさげで、「ちゃんと話を聞きなさい」と母親に怒られている。ザマーミロ



 まあ見学はあくまでもおまけであって、本命はここからだ。ホールに案内され、試飲が始まる。そう、「一番搾り フローズン<生>」である。


 なんとも素敵なホールではないか。さっそく試飲に。おつまみも付いてくる。


ソフトクリームのようだけれど、この泡(というかシャーベットに近い)もしっかりと酒である。フローズン生は1杯目だけで、あと2杯、いくつかの銘柄から選んで試飲できる。僕が選んだのは、スタウト、そう、黒ビ―ルである。
 

 もう半分以上飲んでしまった。横に置いてある缶は、お土産にいただいた『澄みきり』っていう5月に発売になった新製品。残念ながら冷えていない。家に帰って冷やして飲んでください、そういうことだそうだ。

 と、事件はここで起こった。近くの席に座った40代前半と思しき夫婦が、コンビニのビニール袋を引っ張り出し、中からつまみを出して広げ始めたのだ。枝豆やチャーシュー、完全な宴会モードである。そしてしばらくするとキリンの係員がやってきて、「お客様、ここではお持ち込みの飲食はご遠慮させて・・・」と注意した。しかし敵もさる者、少々のことでは怯まない。それどころか逆に、

「こまるなあ・・・そういうことは、先に言ってくれないと

 僕は唖然とした。鈍感力、凄まじき。まるでキリンの方が悪いかのような言いぐさ。




 まあ色々あったけれど、めでたく試飲を終え、我が家族は昼食を摂りにレストランへ。


 森の中に現れた赤煉瓦造りの洒落たレストラン。素晴らしい! いざ店の中へ。


 ここはドイツか、と思わせるような荘厳な造り。これもまた、素晴らしい!

 と言うことで、今日は無事に、ビール工場の見学を終えたのであります。

 今日感じたこと。

 ビール造りへのこだわりは半端じゃない。日本人ならではの気配りもそうだ。しかし、例えば一番搾りがそうであるように、そのこだわりや気配りは、はっきりとした形では現れてこない。結果として表れるのは、とても微妙な違いにしか過ぎないのだ。でもそれにこだわるのが日本の美徳であり、その気持ちが伝わってこその”逸品”なのである。
 しかしこういった美徳は、西洋的な合理主義の前に片っ端からつぶされつつあり、表面だけの、浅薄な価値観が席巻しているのも事実。残念で悲しいことだ。

 でも今日の工場見学で僕は確信した。日本人、やっぱ素晴らしいわ、と。

お酒の話 3

 人と飲むのが苦手(嫌い)な私であるが、昔はそうでもなかった。むしろどちらかというと好きだった方かもしれない。とにかく羽目を外すのが楽しくてしょうがなかった。それがいつしか変わり始めたのだ。
 酔っ払うのと同じくらい酒の味を愉しむことを覚え、独り想像(妄想)を膨らませる幸せに酔いしれるようになった私にとって、あの愉しかった宴席が次第にノイジーで退屈な存在に変わり始めた。モルト・ウィスキーのせいである。
 夜ごと膨らんだ妄想は留まることを知らず、いつしか私に疑問を投げかけ始めた。

「いいのか、このままで?」

 商社の営業やマネージメントというものはいろいろな意味で厳しく、常に己の限界との戦いと言っても過言ではない。そんな世界に生きる者が疑問を持ち始めることは、ダムに空いた小さな穴と同じくらい致命的なのだ。穴はどんどん大きくなり、ある水準を超えると、もうどうにも手に負えなくなってしまう。

 3年前のある金曜日の夜、突然腹部に激痛を感じた。私にはわかっていた。神経性の胃炎に違いないと。そしてそれは、心が壊れて取り返しの付かなくなる前に私の自衛本能が発したシグナルに違いないと。

 その翌日、私は会社を辞めることを決意した。

 会社を辞めて何をするか、まったく考えていなかった。少なくとも再就職する気はさらさらなかった。じゃあどうやって生きていくのか? そんなことを考える余裕さえなかった。とにかく壊れかかった心を癒やし、最悪の苦しみから解放されることがすべてだった。

 心が癒えて先々のことを考える余裕が出来たとき、私ははたと考え込んだ。何をしたら良いのかまるで思い浮かばない。今さら会社勤めはこりごりだし、だからといって、他に生きる糧を得る術が思い当たらない。

 無い知恵を絞って色々と考え、iPhoneのソフトウェアでもつくろかなとか考えている時に、悪魔が囁いた。

(小説なんてどうだろう?)

 左脳を溶かし右脳を活性化させたモルト・ウィスキーのせいに違いない。その翌日から、私の試行錯誤の日々が始まった。それはビジネス文書以外書いたことのない、しかも読解力に欠け国語は常に2か3だった典型的な理系脳の、まさに苦悩の日々であった。

まだ続くかもしれません・・・

7インチタブレット普及促進委員会

 Nexus7 3G版を使い始めてはや3ヶ月、この素晴らしさを伝えたくていよいよ我慢できなくなった。

 今回のテーマは、読書。Kindleアプリをインストールすれば、専用端末なんてイラナイ。そしてこの7インチというサイズは、この読書に最適な大きさなのだ。

 では、まずは文庫本とのツーショット。

写真の画面はキンドルアプリのTop画面

 サイズはやはり二まわりほど大きくなる。Nexus7の上下の不要な部分を除けばほほ同サイズ。ここにまだ技術的な改善の余地がありそう。しかしこの「少し大きい」端末が、何百冊という文庫本を収納できると考えれば、話は変わってくる。いや、3Gモデルであればいつでも好きな書籍をDL出来るわけで、ポテンシャルとしては無限大の書籍を持ち歩けることになるのだ。素晴らしい!

 電子初期の素晴らしさはそれだけではない。では、それぞれのページを開いてみよう。


 あまり変わらないような気がする(まあこれ自体が素晴らしいことなのだけど)。しかし実は違う。家族が寝静まった寝室で、電気を消した中でも読書が愉しめるのだ。素晴らしい!

 まだまだ、だ。実は私は老眼である。だからメガネをかけなければ文庫本は読めない。でも、7インチタブレットは違う。


 右上の設定画面を見ていただきたい。そう、文字の大きさ、行間、背景色、自由に変えられるのだ。しかも7インチあれば少々文字を大きくしても違和感は覚えない。文庫本に比べてサイズは少し大きくなったけど、老眼鏡を持ち歩く必要は無くなった。トータルで考えれば、コンパクト。素晴らしい!

 最後に読書以外で。7インチあれば、Web閲覧もそれなりに愉しめる。以下は小生のホームページ

 きっちりと1画面に収まっているのがおわかりいただけるだろうか。よく見ると無料キャンペーンや値下げのお知らせがあるではないか。素晴らしい!

 ということで、今日はここまで。

『除妖師』を値下げしました

 ただいま、

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にて販売中です!

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2013年8月9日金曜日

メガネ型ガジェットに思うこと

 お酒の話はいったん中断して、今日はハイテク機器に関する妄想のお話。

 これから一気にブレークしそうなウェアラブル・コンピューティング。スマートグラス(メガネ)にスマートウォッチ(腕時計)。中でもグーグルグラスに代表されるメガネ型ガジェットは何かと話題も多い。実際私もこの製品は、将来、私たちの生活や社会の仕組みまでをも変えうる衝撃的なデバイスだと思う。

 その将来像を、妄想家の私が独断と偏見で想像してみた。

 まずは来年の新聞記事の妄想から。

『2014年04月 東京都の渋谷駅で都内に住む男性会社員(42歳)が都の迷惑条例違反で逮捕された。メガネ型電子機器で階段の下から女性のスカートの中を盗撮した疑い。自宅のパソコンを調べたところ、盗撮したとみられる多数の動画が見つかり――』

『2014年06月 電子万引きが横行! ――コンビニや書店どころか、映画館やコンサートでの盗撮までもが相次ぎ、それをネットで実況する者まで現れている。これを受けて、警察庁は――』

『2014年08月 犯人逮捕に一役! 路上で女性のハンドバッグをひったくりした男が、たまたま近くを歩いていた男性の電子メガネに捉えられてご用――』

『2014年09月 コラム ―自衛としての電子メガネの効用― 電子メガをかけた人は犯罪の被害に遭いにくい――こんな興味深いデータが――』

『2014年10月 相次ぎ発生する問題に頭を悩ませる各国政府は、ついに登録制度の導入を検討し始めた。これは電子メガネを巡って急増する犯罪への対処として、購入する際に個人情報の登録を義務づけようとするもので――』

 反対派の争点は、当然プライバシーの侵害に向けられるものと予想される。従来の覗きや盗撮と少し違うのは、目で見た映像をネットで飛ばし、リアルタイムで拡散できること。ネットを介して、多数の人間と視覚体験を共有できるというわけだ。そしてそれを完全に防ぐ方法は限りなくゼロに等しい。それを考えると、このデバイスが社会に受け入れられるとは到底思えない。
 しかし、私はきっと普及すると思う。爆発的にヒットして、皆の生活習慣までをもすっかり変えてしまうのではないかと妄想するのだ。その理由は、”治安という名を借りた管理”である。

 不特定多数の人間に見られているかもしれない状況で、はたして人は犯罪を犯すであろうか? ほとんどの場合はノーだと思う。実際店舗や街のあちこちに据えられた監視カメラは、すでに、少なからずその犯罪抑止効果を発揮している。メガネ型ガジェットが普及すれば、監視カメラと同じように、それが常に人を見張ることになるのだ。なんとも息苦しい社会である。しかしそれを好む人間がいるのも事実。治世者たちである。権力の維持に邪魔な分子をいち早く見つけるのに、これほど効果的なツールはないだろう。もしそれを否定すれば、彼らは大儀をかざすに違いない。犯罪やテロをこのまま放っておいて良いのか、と。

 以上は、全て私の妄想に過ぎない。しかし昨今のきな臭いニュース、例えば米国でのNSAによる通信傍受の件や、中国の某社のPCへのハッキング工作の疑惑等々を考えると、あながちただの妄想にも思えなくなってしまうのだ。

http://mainichi.jp/select/news/20130712k0000e030198000c.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2013073102000223.html

 もちろん私はそうならないことを願っている。

 追記)メガネ型ガジェットを題材にした拙著『除妖師』も、よろしければぜひ一読を――

2013年8月7日水曜日

お酒の話 2

 昨日の続き。というか、ここからが本題。

 今から7、8年前、当時の僕は社会のルールに従順なサラリーマンで、世間並以上の高給を拝受することを当たり前だと思っていた、おおバカものだった。そしてそんな僕がたまたま買ったのが、マッカランと言うモルト・ウイスキーだった。特に理由は無い。女性がブランド品に手を伸ばすのと同じだ。高価なものを買い、そんなつまらないことで自分の価値が高まるという、とても恥ずかしい勘違いをしていたのだ。しかしこの勘違いが、その後の僕を変えた。

 マッカランは、信じられないくらい美味かった。スパイシーな甘さ(あり得ない表現だと思われるかもしれないけれど、実際そうなのである)の向こうに、果てしなく広がる草原が見えた。いや、草原だけではない。あるときはそれは大海原であり、あるときそれは太古の宮殿だったりした。要するに小さな想像を大きく膨らませてくれるのだ。

 すっかり気に入った僕は、その”モルト・ウイスキー”とやらが何たるものかを調べることにした。詳しいことは割愛するけれど、要するに、スコットランドでつくられた、麦芽を原料にした蒸留酒である。しかも様々な銘柄があり、それぞれが個性的な味を醸し出しているという。さっそく僕は、多種多様なモルト・ウィスキー(正確にはシングル・モルト・ウィスキー)を買いあさった。そしてその奥深い世界に、みるみるはまり始めた。

 僕が最も衝撃を受け、今もなお愛してやまないモルト・ウィスキーがある。一つは前述のマッカランであるが、そのマッカラン以上に愛する酒がある。それは、”ラガブーリン”と、”ラフロイグ”という酒だ。(拙著「出来損ないの天使」に、確か登場したと思う。バカなのではっきりとした記憶は無いけれど・・・)
 強烈である。消毒薬にもした刺激臭、ひとたびそれが喉を抜けると、たちまち、右脳をたたき起こす劇薬に姿を変える。特に強烈なのが、ラフロイグ。まるで荒馬のようなのだ。そして少し上品で、無理やり例えるならば、ブレーキの効かないフェラーリのような酒、それがラガブーリンである。(実際、とても高い)

 そしてこいつら素敵な酒が、僕の人生までをも変えてしまった――

 今から6年前、僕は転職した。世に言うヘッドハンティングというやつである。そしてそれから3年後、心身共に壊れた僕は会社を辞め、プータローになった。今からちょうど3年前のことである。僕が小説を書き始めたのは、さらにそれから2ヶ月後のことだった――。

 長くなりそうなので、今日はここまで。

 大変申し訳ございません!

2013年8月6日火曜日

お酒の話 1 (モルト・ウイスキー)

 今日はお酒の話。私はお酒が大好きだ。と言っても、実は、味はよくわからない。基本的に酔っぱえればそれでいい。ただし、唯一の例外がある。それがモルト・ウイスキーである。

 PCのドライブを整理していたら、かつての購入記録が見つかった。

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2006.01.06
 ラフロイグ10  \3695
 ザ・マッカラン12 \3808
2006.01..8
 ザ・グレンリベット12  \2500
 グレンフィディック12 \2500
              世界で最も売れているモルト
 タリスカー10 \4600
              スカイ島唯一の蒸留所で造られ、特に海の香りが強い
2006.3.24
 ラガヴァーリン1258.2  \7580
2006.4.10
 アベラワー15年  \3880(税込)
 アードベッグ10年 \3980(税込)
 アイリーク \2300(税込
2006.4.15
 スキャパ14 \4466
2006.4.28
 マッカラン1843度・700ml  \8505(税込)
 ポートエレン19プロベナンス43 \9639(税込)
2007.12.24
 バルベニー・ファウンダーズ・リザーブ10 \2999(税込)
 アラン・シングルモルト700ml 43  \2950(税込
    1995年に160年ぶりに復活したアラン蒸留所のシングルモルトウィスキー
 アイリーク 700ml 40 \2310(税込)
 マッカラン12年シェリーオーク700ml 40 \3233(税込)
2008.3
 グレンモーレンジ 10750ml43度 \3489(税込)  あっさり
 ラフロイグ・クォーターカス700ml48度 \3569(税込)
 マッカラン12700ml40 \3233(税込
 ラガヴーリン16750ml43 \4724(税込)
2008.
 アイリーク 並行40700ml  \2458(税別)
 グレンタレット10並行40 \3480(税別
 ザ・マッカラン1240700ml \3480(税別)
 クライヌリッシュ1446 \3900(税別)  ★★★ スパイシー
 アンノック12年並行40 \2980(税別)  ★★  あっさり
 タムデュー 並行 40  ¥2572(税別) 
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 ずいぶんと昔の記録ではあるけれど、どうやらこの頃からすっかりモルト・ウイスキーにはまっていたらしい。
 と、ここで、モルト・ウイスキーを語る前に、私の飲酒履歴をご紹介したい。
 山口県で育った私は、実は下戸だった。当時の田舎では高校に入学すれば酒を飲むのが当たり前で、親戚が集まれば宴席に呼ばれ、友達と夏祭りに行けば、その後で宴会。しかし下戸な私にはそれが苦痛でならなかった。高校時代応援団に所属した私は、打ち上げでスナックにも連れて行かれた。ぐるぐると回る天上を見ながら、この世の地獄を味わったものである。
 そんな私が下戸から卒業したのは、大学生になってからである。国立大学を落ちた私は、私立大学に入学せざるを得なかった。貧乏な半業農家に余裕はない。3つの奨学金を得た上に、家賃1,400円の学生寮に入った。12畳の部屋に、異なる学年の同居する3人部屋である。その日から僕の人生は大きく変わった。
 毎晩が宴会だった。新入寮生(下僕と呼ばれた)に、勧められた酒を拒否する権利なんてもちろんない。最初に覚えたのは吐くことだった。毎晩吐いて、終いには喉が切れて嘔吐物に血まで滲んだ。起きるのは昼過ぎで、しかも重度の二日酔い。授業なんて論外である。だから初めて授業に出たのは、入学して2週間も経ってからのことだった。(私が格闘技の世界に進んだのは、実はこれが原因である。人気のあるサークルはすでに募集を打ち切っており、残っていたのは武道系の体育会だけだったのだ)
 そんな私の身体に変化が現れる。2ヶ月もするとすっかり酒に慣れ、3ヶ月経った頃には自分から進んで飲むようになっていた。アルコール・ジャンキーの誕生である。夜ごとディスコに出かけては、酒を飲みまくった。(当時のディスコは飲み放題だった) 寮に帰れば、また飲む。朝まで飲んで夕方に起き、部活に出かけて夜また飲みに行く。貧乏人によくそんなお金があったな、と思われるかもしれないけれど、もちろんそれには理由がある。私の大学生活は、バイトに暮れる日々だったのだ。自慢ではないけれど、50種類近くのバイトを経験した(この辺の経験の一部は、拙著”除妖師”にも使わせていただいています)。家庭教師、塾の講師・・・ここまではまだいいけれど、ビルの解体、運送屋、墓場の掃除、新薬のモルモット、深夜の道路掃除、あるときなどはテレビに出演したこともある六大学対抗、我慢大会というやつだ。真冬のスキー場で”人間そり・レース”というのをやらされてひどい目にあった。じゃんけんで”そり”役(私は引っぱる係)にされて急斜面のゲレンデを転がり落ちた私の友人などは、終わった後にマジで泣いていた。
 話がそれたけれど、要するに授業などほとんど出ずに、バイトと部活と、そして酒に明け暮れた”5”年間だったのだ。(実はもう少しで放校になるところだった)
 さてと、本題のモルト・ウイスキーの話であるが、前置きが長くなってしまったので、これは明日にすることにした。
 大変失礼!

2013年8月5日月曜日

今夏の楽しみ(映画編)

 なんと言っても、(個人的に)この3作。

①パシフィック・リム 8/9~
②ガッチャマン 8/24~
③キャプテンハーロック 9/7~

 とりあえず①は置いておいて、②から。

 小生の幼稚な文章からは想像もつかないだろうけど、実は私は、リアルタイムでのガッチャマン世代なのである。そしてその私が期待しているのが、”大人の為のガッチャマン”なのだ。爽快でイカしたヒーローはアニメでじゅうぶん。できれば実写版ならではの、クールで、それでいてシュールな、陰のあるガッチャマンを見たいのだ。果たして私の夢は叶うのか――

 トレーラーを観る限り、きっとそれはイエスに違いない(できればそう信じたい)。戦闘マシーンとして育てられ、その生い立ちに苦悩する若者たち。そしてその苦悩の中から、次第に闘うことの意味を見いだし始める。それは誰のためでもなく、自分のため――

ガッチャマン予告編

 次は③。正直に言うと、(本当はリアルタイムのはずだけど)この作品の原作は見たことがない。だから、まったく新しい作品としての見方しか出来ない。
 トレーラーを観た。鳥肌が立った。とにかく、「カッコイイ」のだ。自由を失った世界の終焉に立ち向かう海賊、彼の信条は「自分で信じるもののために闘う」 
 唯一心配のは、CGだろうか。特に人物描写。トレーラーを観る限り、少しリアリティーに欠けると言わざるを得ない。願わくば、それを覆い隠すほどの素敵な展開と心情描写。でも、これだけは観てみないとどうにもわからない。

キャプテンハーロック予告編

 奇しくも、先に紹介した2作品には共通点があるような気がする。それは、「自分の意思」。価値観は与えられるものではなく自分で見つけるものだという、ある意味使い古されてきた陳腐なテーマではあるけど、私にとってはそれはとても意味があるのだ。

 ずうっと流されて生きてきた。今もそうだ。人の顔色を窺い、世間の評判を気にする。今さら変われと言われてもとうてい無理な相談だ。だから、映画の中でくらい夢を見たいのだ。
 実は小説もそうかもしれない。(無理やりこじつけるとすれば)夢を持てない人間だからこそ描ける「夢のある世界」がきっとあるに違いない。もちろんこれは、夢の持てない人間の勝手な妄想に過ぎないけど……。

 最後に①。とても期待している。ゴジラとアイアンマンを足して1で割ったような作品、そんな壮大な期待を抱かずにはいられない。しかも公開は今週末と来ているじゃないか。興奮するなという方が無理がある。家族でビール工場の見学に行っている場合じゃないのだ。(勝手にスケジュールを入れられてしまったのである。悲しい……)

パシフィック・リム予告編

 以上です。

2013年8月4日日曜日

電子書籍の値付け

 これに関しては、雄山洋さんという方がBlogで紹介している「Can Ebook Data Reveal New Viral Catalysts to Spur Reader Word-of-Mouth?」という本からの抜粋がとても参考になる。
雄山洋's Blog

 あくまでも海外での、という但し書きが必要だけれど、一番売れているのは200円~300円の本らしい。100円以下の本の販売数がそれ以下というのもとても興味深い。

 しかしどうも現実とはかけ離れているような気がしてならない。ちなみに小生の本の例を上げると、先月の売り上げ順位は以下のようであった。

1.ハンター 250円
2.名探偵の事件簿 100円(今は99円)
3.優しい悪魔 250円
4.出来損ないの天使 250円
5.除妖師 250円
6.トラベラーズ 100円(今は99円)
7.ワンダーランド 250円
8.聞かせてくれ、命の調べを 250円

これだけを見ると、価格と販売数量との間に相関関係は見いだせない。ただし順位といってもどれもゴミみたいな数で、統計的に論ずる意味もないようにも思われるが・・・

 思うに、200円台にしたから売れるのではなく、人気のある本が200円台に集中しているからに過ぎないのではなかろうか。本音を言うと、面白い本が売れるのではなく、評判のいい本が売れるのだと思う。何しろ読み終えるまでは本の善し悪しなどわかろう筈のないわけだし。(文章の上手下手は、無料サンプルでわかるかもしれないけれど)
 唯一本の面白さが販売数に影響するとすれば、それは”リピート”だと思う。読んで面白ければ、当然その著者の他作品も読みたくなるだろう。(小生が浅田次郎さんの本を読みあさっているのと同じように)
 その点、残念なことに、小生の本を読んだ人は、ほとんどが小生の他作品を読んでいない(と思う)。 それは販売数低位にある作品の売れ行きを見ればよくわかる。ほとんど売れていないのだ。

 結論はない。電子書籍の値段などあってないようなもので、要は販売する側の気持ちではなかろうか。考えるのも面倒なので、私の場合は、短編は99円、中編以上は250円と決めている。99円は、最低価格がそれであるということで、250円は、ロイヤリティー70%の下限だということ以外に、特に理由はない。
 売れ行きはさっぱりだけど、それでも小学生のお小遣いくらいは稼がせていただいている。殊勝な読者と、このようなプラットフォームを提供してくれているアマゾンに、娘に代わってお礼を言いたい。

 ありがとう、奇特な読者さま。
 ありがとう、アマゾン。

ラジコンヘリコプター ★★★★★


 暇なときに飛ばして遊ぶ。もちろん部屋の中で。これほど良くできた玩具も珍しい。何が素晴らしいかというと、

■ 信じられない価格 (2,700円!
■ シンプルで直感的なコントロール
■ 秀逸な性能(練習すれば、ホバリングも可能)


唯一の問題点が、内蔵バッテリーの持ち。1回の充電で10分くらいしか持たない。それも仕方が無い、何しろこの大きさなのだから。それに仕事の合間に飛ばすにはこれで十分。



とにかく、買って損はなし。