ここのところ急に寒さが増し、1ヶ月くらい暦をスキップしたような気候になりました。
さて、先日終了しましたきんどうさん主催の第3回一斉無料キャンペーン『Kindle1周年杯』ですが、2日間でのDL数が約520と、僕にすれば出来過ぎとも言える結果に終わりました。ランキングが3位となっていますが、実際は4位です。終わり際にたまたま晴海さんを追い越してしまったためで、総DL数では圧倒的に劣っていますから。(ちなみにNo.1の晋太郎さんは800超えらしいです。恐ろしい話ですね)
さて先日も述べましたように、問題なのはその後です。ではどうなったのか? 以下が、キャンペーン後の(現時点での)販売数(概数)です。
2日後 3日後 4日後 ・・・ 6日後 7日後
□ 除妖師 35冊 50冊 57冊 79冊 96冊
□ 除妖師II 12冊 21冊 24冊 32冊 39冊
※青字は後日追記 4日目にして早くも完全失速状態に・・・
※と思ったら、6日目にまた少し盛り返し
※7日目、なぜか勢いが止まらない
除妖師の35は、まあキャンペーン2日後としてはありきたりの数字ですが、問題なのは、除妖師IIです。除妖師のキャンペーンの520DLユーザーのうち、実際に読まれた方はおそらく50人程度と思われます。ということは、その続編である除妖師IIは、その50人のうちの僅か4分の1の方にしかご購入いただけなかったことになります。とても哀しい事実です。それにしても、なぜなのでしょう?
言わせるなよ・・・面白くなかったからに決まってんだろ
とても残念です。連載ものというのは、知りたくもない事実を容赦なく露呈する恐ろしい悪魔ですね。しかし、悔やんでいても仕方がありません。事実は事実であり、おかげですっかり踏ん切りがつきました。次作は除妖師IIIをやめて、新しいジャンルにチャレンジすることにしました。テーマはずばり、
マッド・ファンタジー
です。殺人を題材にしながらも、それでいてポップでビビッドなファンタジーという荒技に挑戦するつもりです。これも連作ものにする予定すが、第一話を書き終えたらいったん除妖師IIIに戻るかもしれません。(実は除妖師はIIIから、世界を股にかけて弾けまくる予定だったんです)
未練がましい奴だな
許してください。除妖師と除妖師IIを書き続けたこの5ヶ月間、すっかり主人公になりきっていただけに、簡単には諦めきれないのです。それに、作者の意図を超えて勝手にアドリブで暴れ回った登場人物たちにも、少なからず思い入れがあります。とは言っても、読んで貰えなければただのゴミです。いや、ゴミ以下です。ということで、次作こそは頑張ります。そして世間をアッと言わせてやります。
アーッ、と言われるのがおちだな・・・
まるでわかっていませんね。毎度言いますが、重要なのはチャレンジです。まだ誰も経験したことのないような、ポップでビビッドな狂気の世界。これも3ヶ月でかき上げますので、是非期待して待っていてください。
P.S と、空元気で吠えまくっていますが、さすがに少し疲れました。できればしばらく冬眠していたい気分です。
2013年10月29日火曜日
2013年10月26日土曜日
無料キャンペーンに思うこと -中間報告と御礼と今後-
出だしは悪かった無料キャンペーンですが、次第にペースも上がり、1日目が終わってかつてない結果を残すことが出来ました。皆さまのおかげです、本当にありがとうございました。もう1日残していますが、経験的にもそろそろ終息に向かうことでしょう。
さて、ここからは僕の根拠のない勝手な理論に元づく現状分析と将来予想です。
まず、無料キャンペーンでダウンロードされた方のいったい何名が実際に作品を読まれるのか? ずばり僕は、
10分の1くらい
だと思います。理由は? 単純です。僕がそうだからです。有料で買った本は必ず読みますが、無料本を読むのはそれくらいなのです。いわゆる”つんどく”ってやつですね。
現時点でおよそ390DL、最終的にはおそらく450~500くらいになることでしょう。ということは、4,50人の方に読んでいただける計算になります。
素晴らしいことです。
有料でもこのくらい買っていただければウハウハなんですが・・・
調子に乗るなよ!
失礼いたしました。さて、実は今回の無料キャンペーンには、僕にとってはとても重要な意味があるのです。それは、読者の方々の評価を如実に計れる、ということです。
キャンペーン自体のDL数は作品の価値とはまったく無関係であり、目立った作品がDLされるだけでしょう。有料では売れない本が無料になった途端にDLされるという事実が、それを物語っています。
それでも、僕にはとても意味があるのです。その答えは、”連作”というキーワードに隠されています。
以前も書きましたように、今回対象の作品”除妖師”は連作ものであり、すでに続編"除妖師II”を発売しているわけです。こちらは有料で250円、つまり1作目が面白くなければ絶対に買わないわけですね。
ということはです、もし万が一、この先除妖師IIが売れなければ、本作除妖師は★1つの評価、いや、それ以下だというわけです。出来れば知りたくない事実ですが、それが現実なのだから仕方がありません。仮に今回の実際の読者が50人程度として、僕的には、この先2週間で20冊売れれば大満足です。いわゆる★3つってところでしょうか。その場合にはおそらく除妖師IIIを書き始めることでしょう。でももし10冊に満たなかった場合は、
潔く諦めます
それが今の実力なのです。いつまでも執着していても何も生まれません。心機一転、まったく新しいジャンルにチャレンジしたいと思います。優柔不断と思われるでしょうが、
実際、そうなのです
文章が下手で、表現力に欠ける僕が生きる道は、”成長”しかないのです。湯水のように湧き出る妄想を表現する筆力をいかに伸ばすか、僕にとってはそれがとても重要なことなのです。
ということで、無料キャンペーンに火蓋を切った僕の戦いは、今始まったばかりです。
えらそーに・・・
失礼いたしました。
さて、ここからは僕の根拠のない勝手な理論に元づく現状分析と将来予想です。
まず、無料キャンペーンでダウンロードされた方のいったい何名が実際に作品を読まれるのか? ずばり僕は、
10分の1くらい
だと思います。理由は? 単純です。僕がそうだからです。有料で買った本は必ず読みますが、無料本を読むのはそれくらいなのです。いわゆる”つんどく”ってやつですね。
現時点でおよそ390DL、最終的にはおそらく450~500くらいになることでしょう。ということは、4,50人の方に読んでいただける計算になります。
素晴らしいことです。
有料でもこのくらい買っていただければウハウハなんですが・・・
調子に乗るなよ!
失礼いたしました。さて、実は今回の無料キャンペーンには、僕にとってはとても重要な意味があるのです。それは、読者の方々の評価を如実に計れる、ということです。
キャンペーン自体のDL数は作品の価値とはまったく無関係であり、目立った作品がDLされるだけでしょう。有料では売れない本が無料になった途端にDLされるという事実が、それを物語っています。
それでも、僕にはとても意味があるのです。その答えは、”連作”というキーワードに隠されています。
以前も書きましたように、今回対象の作品”除妖師”は連作ものであり、すでに続編"除妖師II”を発売しているわけです。こちらは有料で250円、つまり1作目が面白くなければ絶対に買わないわけですね。
ということはです、もし万が一、この先除妖師IIが売れなければ、本作除妖師は★1つの評価、いや、それ以下だというわけです。出来れば知りたくない事実ですが、それが現実なのだから仕方がありません。仮に今回の実際の読者が50人程度として、僕的には、この先2週間で20冊売れれば大満足です。いわゆる★3つってところでしょうか。その場合にはおそらく除妖師IIIを書き始めることでしょう。でももし10冊に満たなかった場合は、
潔く諦めます
それが今の実力なのです。いつまでも執着していても何も生まれません。心機一転、まったく新しいジャンルにチャレンジしたいと思います。優柔不断と思われるでしょうが、
実際、そうなのです
文章が下手で、表現力に欠ける僕が生きる道は、”成長”しかないのです。湯水のように湧き出る妄想を表現する筆力をいかに伸ばすか、僕にとってはそれがとても重要なことなのです。
ということで、無料キャンペーンに火蓋を切った僕の戦いは、今始まったばかりです。
えらそーに・・・
失礼いたしました。
2013年10月25日金曜日
『除妖師』、無料キャンペーン開始 #KDP #Kindle1周年杯
KDP上陸1周年を記念したきんどるどうでしょうさん主催のイベントに参加し、拙著「除妖師」の無料キャンペーンを実施中です。日曜日の夕方までとなります。
この機会に是非!
P.S
先日の告知どおりではありますが、これまで有料でお買いいただいた読者の方々に、深くお詫び申し上げます。
http://kyousukekisaragi.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html
また除妖師IIにつきましては、今後もキャンペーンをする予定はありません。
P.S
先日の告知どおりではありますが、これまで有料でお買いいただいた読者の方々に、深くお詫び申し上げます。
http://kyousukekisaragi.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html
また除妖師IIにつきましては、今後もキャンペーンをする予定はありません。
2013年10月23日水曜日
幸せを感じるメカニズム
台風が一度に2つもやってくるというのに、金曜日にゴルフを命ぜられたとても哀れな社畜です。
さて、今日はとても深くて小難しいお話をさせていただきます。と言っても、いつものように答えはありません。というか僕自身が今もなお、いえ、おそらく生きてる間ずっと悩み続ける命題かもしれません。
ところで、皆さんはどういうときに幸せを感じるでしょうか? えっ、道でお金を拾ったとき?
とても寂しい人生ですね
ちゃんと警察に届けましょう。話を戻しますと、僕は最近、そのことがようやくわかりかけてきたような気がします。幸福感というのはあくまでも相対的な比較の中で覚える感情であって、決して絶対的な境遇に対して覚えるものではないと。
例えば年収2千万円の人と500万円の人がいたとして、どちらが幸せだと思っているか、それはこの数字だけでは計れないはずです。じゃあ、相対的ってなんだ?
一つは、昨日と今日。或いは、他人と自分。昨日まで30万円だった給料が32万円になった――多くの人が喜ぶでしょう。でもそれは32万円という数字に喜んでいるのではなく、今までよりも2万円増えたことに喜んでいるわけです。或いは、同僚よりも少し多く貰っていることに喜んでいるわけです。
とても寂しい人生ですね
永久に幸せになることはないでしょう。なにしろ、いつかその32万円が基準になってしまい、そのまま変わらなければすっと幸福感を覚えることが出来なくなってしまうのです。
ここで話を変えて、僕の小説の話をさせていただきます。えっ、聞きたくない? それは困った人ですね。そういう人はさっさと寝て、明日も世界一不幸な自分を楽しんでください。
失礼だろう!
申し訳ございません、言い過ぎました。さて話を戻しましょう。先日新作を発表した私は、しばらく執筆を休んで悠々自適に仕事の余暇を満喫する予定でした。でも残念ながら余暇はキャンセルとなり、すぐに次作に取り欠かざるを得ない羽目になってしまいました。なぜ? 答えは簡単です。
幸せになりたいからです
じゃあ、幸せってなんだ? 1万冊売れたら幸せなのか? ★5つがズラズラッと並んだら幸せなのか?
今の自分から見れば、それは幸せに違いありません。でも、仮にそうなったら、きっと幸せなんて感じないでしょう。逆にその後に出した本がそれよりも少なく、例えば千冊しか売れなかったとしたら、自分が世界一不幸だと思ってしまうかもしれません。バカな話です。今の僕からすればとても素敵なことなのに。でも実際これまでそういうことを繰り返してきたわけです。
そんなことをつらつらと考えながら、僕はようやくそのことに気づきました。そう、幸せを感じるメカニズムです。人が幸せの尺度としているのは、
期待値と現実との比較
なのではないかと。こうありたい姿と現実の姿、その差異が人を不幸にしたり幸せにしたりする。もしそうであるとすれば、幸せになるのは簡単です。そう、
期待値を低く設定する
これだけでいいのです。昨日までの自分や、他人との比較は一切やめて、自分がこうありたいという姿だけを比較対象とする。その”こうありたい”という姿も、出来るだけ手の届く現実的な範囲にとどめる。そして重要なのが、その期待値を変えないということです。千冊を期待値としたならば、仮に1万冊売れても期待値は変えない。そうすれば幸せでいられるわけです。でもたいていは1万冊売れたら次の期待値を5万冊にしてしまう。そこから不幸が始まり、よく芸能人にありがちな、過去の栄光に苛まれながら崩壊していく人生を歩んでしまうわけです。これも僕から見れば、不思議でなりません。売れなくなった芸人と言ったって、僕なんかからすれば、それでも十分成功者なわけですから。
よく学校や会社で、「目標は高く設定しなさい」などと偉そうにいう奴がいますが、そんなものは無視です。そういう教えが人を不幸にし、思いやりに欠けた利己的な人間を生んでしまうのです。自分はバカで無能なダメ人間なんだ。そう思い続けることが出来れば、人生はバラ色に変わるに違いありません。
ほんとかよ・・・で、お前はバラ色なのか?
毎晩泥酔し、次第に脳が溶けてきて、バラ色と言うよりも、むしろ桃色です。でも、これはこれで幸せなのです。
さて、今日はとても深くて小難しいお話をさせていただきます。と言っても、いつものように答えはありません。というか僕自身が今もなお、いえ、おそらく生きてる間ずっと悩み続ける命題かもしれません。
ところで、皆さんはどういうときに幸せを感じるでしょうか? えっ、道でお金を拾ったとき?
とても寂しい人生ですね
ちゃんと警察に届けましょう。話を戻しますと、僕は最近、そのことがようやくわかりかけてきたような気がします。幸福感というのはあくまでも相対的な比較の中で覚える感情であって、決して絶対的な境遇に対して覚えるものではないと。
例えば年収2千万円の人と500万円の人がいたとして、どちらが幸せだと思っているか、それはこの数字だけでは計れないはずです。じゃあ、相対的ってなんだ?
一つは、昨日と今日。或いは、他人と自分。昨日まで30万円だった給料が32万円になった――多くの人が喜ぶでしょう。でもそれは32万円という数字に喜んでいるのではなく、今までよりも2万円増えたことに喜んでいるわけです。或いは、同僚よりも少し多く貰っていることに喜んでいるわけです。
とても寂しい人生ですね
永久に幸せになることはないでしょう。なにしろ、いつかその32万円が基準になってしまい、そのまま変わらなければすっと幸福感を覚えることが出来なくなってしまうのです。
ここで話を変えて、僕の小説の話をさせていただきます。えっ、聞きたくない? それは困った人ですね。そういう人はさっさと寝て、明日も世界一不幸な自分を楽しんでください。
失礼だろう!
申し訳ございません、言い過ぎました。さて話を戻しましょう。先日新作を発表した私は、しばらく執筆を休んで悠々自適に仕事の余暇を満喫する予定でした。でも残念ながら余暇はキャンセルとなり、すぐに次作に取り欠かざるを得ない羽目になってしまいました。なぜ? 答えは簡単です。
幸せになりたいからです
じゃあ、幸せってなんだ? 1万冊売れたら幸せなのか? ★5つがズラズラッと並んだら幸せなのか?
今の自分から見れば、それは幸せに違いありません。でも、仮にそうなったら、きっと幸せなんて感じないでしょう。逆にその後に出した本がそれよりも少なく、例えば千冊しか売れなかったとしたら、自分が世界一不幸だと思ってしまうかもしれません。バカな話です。今の僕からすればとても素敵なことなのに。でも実際これまでそういうことを繰り返してきたわけです。
そんなことをつらつらと考えながら、僕はようやくそのことに気づきました。そう、幸せを感じるメカニズムです。人が幸せの尺度としているのは、
期待値と現実との比較
なのではないかと。こうありたい姿と現実の姿、その差異が人を不幸にしたり幸せにしたりする。もしそうであるとすれば、幸せになるのは簡単です。そう、
期待値を低く設定する
これだけでいいのです。昨日までの自分や、他人との比較は一切やめて、自分がこうありたいという姿だけを比較対象とする。その”こうありたい”という姿も、出来るだけ手の届く現実的な範囲にとどめる。そして重要なのが、その期待値を変えないということです。千冊を期待値としたならば、仮に1万冊売れても期待値は変えない。そうすれば幸せでいられるわけです。でもたいていは1万冊売れたら次の期待値を5万冊にしてしまう。そこから不幸が始まり、よく芸能人にありがちな、過去の栄光に苛まれながら崩壊していく人生を歩んでしまうわけです。これも僕から見れば、不思議でなりません。売れなくなった芸人と言ったって、僕なんかからすれば、それでも十分成功者なわけですから。
よく学校や会社で、「目標は高く設定しなさい」などと偉そうにいう奴がいますが、そんなものは無視です。そういう教えが人を不幸にし、思いやりに欠けた利己的な人間を生んでしまうのです。自分はバカで無能なダメ人間なんだ。そう思い続けることが出来れば、人生はバラ色に変わるに違いありません。
ほんとかよ・・・で、お前はバラ色なのか?
毎晩泥酔し、次第に脳が溶けてきて、バラ色と言うよりも、むしろ桃色です。でも、これはこれで幸せなのです。
2013年10月22日火曜日
KDPでの無料キャンペーンの効用
先週の土曜日の会社のボーリング大会での奮闘が災いし、今頃になって腰痛に苦しめられている、運動不足の老いたオタクです。
さて、今日も前回に引き続きKDPに関するお話を少しばかり。テーマは、無料キャンペーンです。
ところで、読者の皆さんは無料キャンペーンでダウンロードした本をどうされていますか? ぜんぶ読んでいる?
それは素晴らしい、読者の鏡です
でもそういう人は、実はあまり多くはないんじゃないでしょうか? 実際、僕もそうです。というか、ほとんど読みません。仮に読んだとしても、たいていは途中で放置してしまいます。面白くないから? いいえ、違います。
貧乏性だからです
無料だとついついダウンロードしてしまう。でもそこでもう満足してしまって、読まないうちに書庫にたまる一方。でもお金を出して買った本は違います。勿体ないからと、多少面白くなくても最後まで読もうとする。そして読んでいるうちに次第に面白くなってくることもしばしば。その頃には無料でゲットした本のことなんてすっかり忘れてしまっている。埃は被らないけれど、メモリを食いつぶすただのゴミとなっているわけです。
つまり、僕たちが無料キャンペーンをやっても、そして何百ダウンロードされたとか言って喜んでいても、実はそれを読んでいる人はほとんどいないのです。
じゃあ、無料キャンペーンなんて意味ないじゃん
ふうっ・・・あなたは個人出版の厳しさが何もわかっちゃいませんね。いいですか、何もしなければ一冊も売れないこともあるのです。運良く書評のサイトに取り上げていただければ別ですが、これだけ個人出版が増えてくると、それすらも狭き門です。
だから無料キャンペーンなんです
仮に400部ダウンロードされたとすれば、そしてもし10人に1人くらい奇特な方がいたとすれば、その本は40人くらいの方に読んでいただけることになるのです。
しかも無料キャンペーンの効果はそれだけじゃありません。というか、こっちの方が重要です。それは、キャンペーン終了後に一時的に本がたくさん売れるということです。これはとても重要なことです。なにしろ有料で売れるわけで、おそらく貧乏性に違いないその読者たちは、その本を最後まで読まれることでしょう。
失礼だろう
すみません、つい口が滑ってしまいました。
ところで、無料キャンペーンンをやった後にどうして本が売れるのでしょうか? 最初は僕も不思議でなりませんでした。実はいまだにはっきりとはわかっていないのですが、その答えは、ランキングとアフェリエイトさんにあるような気がします。
無料キャンペーンで販売数が上位に食い込むと、アマゾンでのランキングが上がります。そして上位ランクの本は、アフェリエイトさんの目に留まり、突然のように露出が増えるのです。そして露出が増えると売上げが増し、書評サイトに取り上げられる可能性も高まります。こうなると、もうウハウハです。でも勘違いしてはいけません。
決してあなたの作品が評価されたわけじゃありませんから
ただ目立っただけなのです。そしてここで調子に乗っていると、その後の反動に再起不能なまでに打ちのめされるハメになります。2週間もすればまったく売れなくなり、しかも、もしあなたの作品が駄作であったとしたら、もう二度とその人はあなたの本は読まなくなるでしょう。それどころか、お金を払って、しかも貴重な時間を費やして、場合によってはあなたへの殺意が芽生えるかもしれません。
それ、おまえだな――まちがいなく
・・・だから後で後悔しないように、無料キャンペーンは自分の一番の自信作でやった方がいいと思います。それで駄目だったなら、あきらめもつくというものです。
僕なんて、いったい何度諦めをつけたことでしょう。でも結局は諦めきれずに、サルのように同じことを繰り返しているわけです。そのたびに読者を怒らせ、きっと巷には、僕への殺意が溢れ返っているに違いありません。
出来るだけ外出を避け、どうしても、というときは、なるべく明るくて人通りの多い道を選ぶ今日この頃です。
さて、今日も前回に引き続きKDPに関するお話を少しばかり。テーマは、無料キャンペーンです。
ところで、読者の皆さんは無料キャンペーンでダウンロードした本をどうされていますか? ぜんぶ読んでいる?
それは素晴らしい、読者の鏡です
でもそういう人は、実はあまり多くはないんじゃないでしょうか? 実際、僕もそうです。というか、ほとんど読みません。仮に読んだとしても、たいていは途中で放置してしまいます。面白くないから? いいえ、違います。
貧乏性だからです
無料だとついついダウンロードしてしまう。でもそこでもう満足してしまって、読まないうちに書庫にたまる一方。でもお金を出して買った本は違います。勿体ないからと、多少面白くなくても最後まで読もうとする。そして読んでいるうちに次第に面白くなってくることもしばしば。その頃には無料でゲットした本のことなんてすっかり忘れてしまっている。埃は被らないけれど、メモリを食いつぶすただのゴミとなっているわけです。
つまり、僕たちが無料キャンペーンをやっても、そして何百ダウンロードされたとか言って喜んでいても、実はそれを読んでいる人はほとんどいないのです。
じゃあ、無料キャンペーンなんて意味ないじゃん
ふうっ・・・あなたは個人出版の厳しさが何もわかっちゃいませんね。いいですか、何もしなければ一冊も売れないこともあるのです。運良く書評のサイトに取り上げていただければ別ですが、これだけ個人出版が増えてくると、それすらも狭き門です。
だから無料キャンペーンなんです
仮に400部ダウンロードされたとすれば、そしてもし10人に1人くらい奇特な方がいたとすれば、その本は40人くらいの方に読んでいただけることになるのです。
しかも無料キャンペーンの効果はそれだけじゃありません。というか、こっちの方が重要です。それは、キャンペーン終了後に一時的に本がたくさん売れるということです。これはとても重要なことです。なにしろ有料で売れるわけで、おそらく貧乏性に違いないその読者たちは、その本を最後まで読まれることでしょう。
失礼だろう
すみません、つい口が滑ってしまいました。
ところで、無料キャンペーンンをやった後にどうして本が売れるのでしょうか? 最初は僕も不思議でなりませんでした。実はいまだにはっきりとはわかっていないのですが、その答えは、ランキングとアフェリエイトさんにあるような気がします。
無料キャンペーンで販売数が上位に食い込むと、アマゾンでのランキングが上がります。そして上位ランクの本は、アフェリエイトさんの目に留まり、突然のように露出が増えるのです。そして露出が増えると売上げが増し、書評サイトに取り上げられる可能性も高まります。こうなると、もうウハウハです。でも勘違いしてはいけません。
決してあなたの作品が評価されたわけじゃありませんから
ただ目立っただけなのです。そしてここで調子に乗っていると、その後の反動に再起不能なまでに打ちのめされるハメになります。2週間もすればまったく売れなくなり、しかも、もしあなたの作品が駄作であったとしたら、もう二度とその人はあなたの本は読まなくなるでしょう。それどころか、お金を払って、しかも貴重な時間を費やして、場合によってはあなたへの殺意が芽生えるかもしれません。
それ、おまえだな――まちがいなく
・・・だから後で後悔しないように、無料キャンペーンは自分の一番の自信作でやった方がいいと思います。それで駄目だったなら、あきらめもつくというものです。
僕なんて、いったい何度諦めをつけたことでしょう。でも結局は諦めきれずに、サルのように同じことを繰り返しているわけです。そのたびに読者を怒らせ、きっと巷には、僕への殺意が溢れ返っているに違いありません。
出来るだけ外出を避け、どうしても、というときは、なるべく明るくて人通りの多い道を選ぶ今日この頃です。
2013年10月18日金曜日
KDPが上陸して1年が経とうとしています
実はまだたったの1年なんですね。言われるまでまったく気づきませんでした。それにしても、とても長い一年でした。電子書籍に対する過剰な期待から始まって、そして挫折を経験し、今は次第に落ち着き場所を見つけ始めているといったところでしょうか。いずれにしても、紙や電子を問わず、出版という業界そのものが縮小していることだけは間違いないのではないでしょうか。
読者の数は限られていて、各人が読む書籍の数にも限りがある。数的なパイがさほど変わらないのに、消費者単価はどんどん下落する。市場が縮小するのは当たり前ですね。そして当たり前のようにその被害を被るのは、物理的媒体に関わる人たち、すなわち、印刷・製本・販売店の人たちでしょう。
とても寂しいことです
でもこれだけはどうしようもありません。結局は、音楽業界の辿った道をなぞるようにして突き進んでいるということなのでしょう。
そんな中で、僕たち個人作家はどうなっていくのでしょうか? 聡明期とも言えるこの一年は、とても素晴らしい年でした。かつては誰にも読んで貰えなかった本が売れ、各所で書評を貰い、この先のバラ色の世界に夢を馳せた年でした。でも僕は、
それもそう長くは続かない
と思っています。電子化による価格下落で、次第に商業出版の作品と個人出版の作品との価格差は縮まっていくでしょう。そんな中、限られた時間で読む本を選ぶ上で、敢えて無名の個人作家の作品を手に取る人は、ごく少数なのではないでしょうか。実際、最近はそういう雰囲気が感じられるようになってきました。例えは悪いですが、ジャンクフードに飽きて、そろそろまたレストランに戻ろうかな、といった。
でも、個人作家が活躍できる可能性がないわけでもないと思います。鍵を握るのは、僕は評論家だと思っています。特定の利権に染まらず、無理に持ち上げることもせず、思ったことをズバッとストレートに切り込む。読者はその書評を読み、納得した上で個人作家の作品を読む。この納得感が信頼を生み、マニアックな探究心がニッチなマーケットを創造する。そういった中からブレークする作家や作品も生まれ、それがまたそのニッチ市場を刺激する。
だから、この場を借りて是非ともお願いしたいのです。読書好きのあなた、斜め視線の嫌な奴のあなた、
今こそ、個人作家の評論家として大成するチャンスなのです
ブログをつくって書評を書いてみてはいかがでしょうか? 個人作家の作品を評論する人はまだ少数です。今こそが、いや、今しかありません。もちろん結果の責任は負いませんし、僕の作品の悪口だけは書かないでくださいね。
――結局それかよ・・・やっぱり、最低な奴だな
小説書くのをやめて、評論家になろうかと思い始めた如月でした。
読者の数は限られていて、各人が読む書籍の数にも限りがある。数的なパイがさほど変わらないのに、消費者単価はどんどん下落する。市場が縮小するのは当たり前ですね。そして当たり前のようにその被害を被るのは、物理的媒体に関わる人たち、すなわち、印刷・製本・販売店の人たちでしょう。
とても寂しいことです
でもこれだけはどうしようもありません。結局は、音楽業界の辿った道をなぞるようにして突き進んでいるということなのでしょう。
そんな中で、僕たち個人作家はどうなっていくのでしょうか? 聡明期とも言えるこの一年は、とても素晴らしい年でした。かつては誰にも読んで貰えなかった本が売れ、各所で書評を貰い、この先のバラ色の世界に夢を馳せた年でした。でも僕は、
それもそう長くは続かない
と思っています。電子化による価格下落で、次第に商業出版の作品と個人出版の作品との価格差は縮まっていくでしょう。そんな中、限られた時間で読む本を選ぶ上で、敢えて無名の個人作家の作品を手に取る人は、ごく少数なのではないでしょうか。実際、最近はそういう雰囲気が感じられるようになってきました。例えは悪いですが、ジャンクフードに飽きて、そろそろまたレストランに戻ろうかな、といった。
でも、個人作家が活躍できる可能性がないわけでもないと思います。鍵を握るのは、僕は評論家だと思っています。特定の利権に染まらず、無理に持ち上げることもせず、思ったことをズバッとストレートに切り込む。読者はその書評を読み、納得した上で個人作家の作品を読む。この納得感が信頼を生み、マニアックな探究心がニッチなマーケットを創造する。そういった中からブレークする作家や作品も生まれ、それがまたそのニッチ市場を刺激する。
だから、この場を借りて是非ともお願いしたいのです。読書好きのあなた、斜め視線の嫌な奴のあなた、
今こそ、個人作家の評論家として大成するチャンスなのです
ブログをつくって書評を書いてみてはいかがでしょうか? 個人作家の作品を評論する人はまだ少数です。今こそが、いや、今しかありません。もちろん結果の責任は負いませんし、僕の作品の悪口だけは書かないでくださいね。
――結局それかよ・・・やっぱり、最低な奴だな
小説書くのをやめて、評論家になろうかと思い始めた如月でした。
2013年10月16日水曜日
アロマテラピー
台風による悪天候をいいことに十時過ぎに出社したら、何事もなかったように皆が仕事をしていて、今日はとても気まずい思いをしてしまいました。それにしても日本人、生真面目すぎます。まあ、そこがいいところなんですけれどね。
さて、新作の発表も無事終えて、今は少し気が緩んでいます。こういうときは、酒を飲みながら”アロマ”の香りに耽るに限ります。そう、アロマオイルです。何を隠そう、実は私、アロマ・フェチなのです。
おまえのフェチ自慢なんてどうでもいいよ・・・
・・・さて、どのくらいフェチかというと、このくらいです
大したことないとおっしゃられる方もいるかとは思いますが、そんなあなたは、
きっと病気です
さっそく明日にでも病院に行った方がいいでしょう。といっても、僕にはその必要はありません。なにしろ、自分が病気であることをしっかりと自覚していますから。
で、今日の話はというと、”なぜ人は香りに幸せを感じるのか”という、とても深い話です。アロマに限らず、世の東西を問わず、人類は太古より様々な香りに惹かれ、香りと共に暮らしてきました。その理由を簡単に言ってしまえば、”癒やし”であったり、”恍惚”であったり、あるいは宗教的な儀式における、いわゆる”トリップ”効果であったりするわけですが、(とりあえずトリップはおいておいて)なぜ人は香りに癒やしや幸せを感じるのか、そこのところを考察してみたいと思います。
一般的に言われているのは、アドレナリンやドーパミン、あるいはセロトニンといったホルモン(カテコールアミンという化学種に分類される)の分泌を促進する、というものです。こいつらが中枢神経に作用して、人をいい気持ちにさせるというわけですね。なんとも素敵なやつらです。と、喜んでばかりはいられません。それじゃあ、薬物とかわらないじゃないか――
さっそく調べて見ました。その結果、
実はよくわかっていないようです
しかも怪しい煽り文句がやたらと目立ちます。例えば「依存症にはアロマテラピーで癒やしを」とか。科学的根拠なんてもちろんありません。もう売りたくてしょうがないといった感じですね。
どこかにもいたな、そういう物書きが
・・・結論から言うと、よくわかりません。でも決して安心もしていられないようです。もちろん僕は続けます。なにしろ、あんなに買い込んじゃったわけですから。もったいなくて捨てる勇気もありません。
ということで、まったく役にも立たない話になってしまいましたが、安易に快楽を求めることは常にリスクと背中合わせ。それだけは注意した方が良さそうです。
えっ、いまいちピンとこない?
わかりました。そういう人には、この本がおすすめです。賢明なる読者ならもうおわかりですね。そう、除妖師IIです。実はこの作品の副題は、「快楽の代償」なのです。薬物の恐ろしさに斬新なるメスを入れた、今話題の問題作ですね。
お、おいっ・・・
ただし残念ながら、この本だけを読んだだけではなんのことやらさっぱりわかりません。そんなあなたにおすすめなのが、第一話目の除妖師です。これであなたの素敵な未来も約束されたに等しいでしょう。
今度はマルチ商法かよ・・・
いえ、違います・・・幸せ宅配便なのです。たったの¥349で幸せが買えると思えば、安いものです。ということで、なんだか新興宗教のいかがわしい霊感商法みたいになってきたので、これでやめておきましょう。要するに、今日は自分のアロマ自慢をしたかっただけなのです。
ほんっと、最低なクズだな
さて、新作の発表も無事終えて、今は少し気が緩んでいます。こういうときは、酒を飲みながら”アロマ”の香りに耽るに限ります。そう、アロマオイルです。何を隠そう、実は私、アロマ・フェチなのです。
おまえのフェチ自慢なんてどうでもいいよ・・・
・・・さて、どのくらいフェチかというと、このくらいです
大したことないとおっしゃられる方もいるかとは思いますが、そんなあなたは、
きっと病気です
さっそく明日にでも病院に行った方がいいでしょう。といっても、僕にはその必要はありません。なにしろ、自分が病気であることをしっかりと自覚していますから。
で、今日の話はというと、”なぜ人は香りに幸せを感じるのか”という、とても深い話です。アロマに限らず、世の東西を問わず、人類は太古より様々な香りに惹かれ、香りと共に暮らしてきました。その理由を簡単に言ってしまえば、”癒やし”であったり、”恍惚”であったり、あるいは宗教的な儀式における、いわゆる”トリップ”効果であったりするわけですが、(とりあえずトリップはおいておいて)なぜ人は香りに癒やしや幸せを感じるのか、そこのところを考察してみたいと思います。
一般的に言われているのは、アドレナリンやドーパミン、あるいはセロトニンといったホルモン(カテコールアミンという化学種に分類される)の分泌を促進する、というものです。こいつらが中枢神経に作用して、人をいい気持ちにさせるというわけですね。なんとも素敵なやつらです。と、喜んでばかりはいられません。それじゃあ、薬物とかわらないじゃないか――
さっそく調べて見ました。その結果、
実はよくわかっていないようです
しかも怪しい煽り文句がやたらと目立ちます。例えば「依存症にはアロマテラピーで癒やしを」とか。科学的根拠なんてもちろんありません。もう売りたくてしょうがないといった感じですね。
どこかにもいたな、そういう物書きが
・・・結論から言うと、よくわかりません。でも決して安心もしていられないようです。もちろん僕は続けます。なにしろ、あんなに買い込んじゃったわけですから。もったいなくて捨てる勇気もありません。
ということで、まったく役にも立たない話になってしまいましたが、安易に快楽を求めることは常にリスクと背中合わせ。それだけは注意した方が良さそうです。
えっ、いまいちピンとこない?
わかりました。そういう人には、この本がおすすめです。賢明なる読者ならもうおわかりですね。そう、除妖師IIです。実はこの作品の副題は、「快楽の代償」なのです。薬物の恐ろしさに斬新なるメスを入れた、今話題の問題作ですね。
お、おいっ・・・
ただし残念ながら、この本だけを読んだだけではなんのことやらさっぱりわかりません。そんなあなたにおすすめなのが、第一話目の除妖師です。これであなたの素敵な未来も約束されたに等しいでしょう。
今度はマルチ商法かよ・・・
いえ、違います・・・幸せ宅配便なのです。たったの¥349で幸せが買えると思えば、安いものです。ということで、なんだか新興宗教のいかがわしい霊感商法みたいになってきたので、これでやめておきましょう。要するに、今日は自分のアロマ自慢をしたかっただけなのです。
ほんっと、最低なクズだな
2013年10月12日土曜日
新作発売のお知らせ
このたび、新作「除妖師II」を発表いたしました。
本作は、あの大好評だった
本作は、あの大好評だった
嘘付け
……やや好評だった前作「除妖師」の続編で、主要登場人物はそのままで、前作を遥かに超える力を持った妖術師たちが暴れまわります。脱法ドラッグを題材に、人間の魂や、愛憎に対する小生なりの疑問を投げかけた作品です。といっても、答えはありません。
だめじゃねーか
そう、だめです。でもダメな人間が書いたのですから、ダメで当たり前です。それに薀蓄めいた説教や押し付けの意見を書くつもりは毛頭ありませんし、書こうと思ったって書けません。なにしろ頭の中はアルコールが蔓延していてほとんど壊死状態ですから。
本来であれば、さらに続編を、といきたいところですが、本シリーズは本作を持って一旦終了とさせて頂きます。理由は聞かないでください。
不評だったからだろ
……違います。長編を1作書き上げるのに3ヶ月、仕事以外の時間のほとんどを費やし、途中で投げ出したくなることも多々あります。それを克服して書き上げる為には、モチベーションが必要なのです。でもシリーズものの場合、これがとても難しいのです。以前も書きましたが、1作目が売れなければ2作目は絶対に売れないわけですから。正直、今のままモチベーションを維持する自身はありません。
だから、売れなかったんじゃねーか
……とても残念です。いつか日の目を見るようなことがあれば、3話目以降に取り掛かりたいと思います。(すでに3話目のプロットは作成済みで、本来であれば最低でも4話まで書くつもりだったのです)
さて次作ですが、実はまだ決まっていません。クリスマスに向けて少し短めの恋愛物もいいかな、とか、ブレードランナーのような幻想的なSFもいいし、あるいはノルウェーの森のような自己回想的な文学作品も面白いな、とか色々思案中です。
むりだよ
……重要なのは、チャレンジ精神です。かのジョブス氏もそう言っていました。(たぶん、嘘です)
とにかく、もう少し考えてから決めたいと思います。なにしろ、一旦決めれば3ヶ月間もの貴重な時間を費やすわけですから、納得がいくまで妥協はできません。(実際、過去3作もゴミ箱に捨てる羽目になりましたから)
ということで、新作「除妖師II」をよろしくお願いいたします。なに、前作をお読みでない?
それはいけませんね
買わねーよ
とても残念です。じゃあ無料キャンペーンまで待って、ダウンロードでもしやがれ――いや、してください。
いずれにしても、今夜は、とても酒が美味いのです。
いずれにしても、今夜は、とても酒が美味いのです。
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