2014年12月30日火曜日

新作予告 「ジミー・ザ・アンドロイド」

 新作の完成がいよいよ間近に迫ってまいりました。今回の作品は、アンドロイドをテーマにしたSF長編ファンタジーです。これまでのものとは打って変わって、コンピュータサイエンスに踏み込んだ、私にしては異色の作品となっております。
 発売は遅くとも2週間後一ヶ月後をめどにしております、その暁には是非ともご高覧のほど、お願い申し上げます。




ジミー・ザ・アンドロイド
               作  如月恭介
画  宗像久嗣





プロローグ

 十二月の中旬の土曜日、空には鉛色の雲が低く垂れ込め、東京の街には冷たい木枯らしが吹きつけていた。厚手のコートの襟を立て、凍える両手をポケットに突っ込むと、榊(さかき)原(ばら)竜(りゅう)介(すけ)は背中を丸めて駅への道を急いだ。空気は痛いほどに凍り付き、あまりの寒さに思わず身震いするほどだ。しかし寒いのは気候のせいだけではなかった。
 日本の経済は、まるでこの褪(さ)めた冬景色のように、すっかりその色を失っていた。世界第三位の経済大国とは名ばかりで、かつての栄華は見る影もない。長らく続いた円高に活力をすっかり奪い取られてしまった製造業は、今度は急激な円安に見舞われ、慌てて海外から生産拠点を引き揚げるのに躍起になっている。しかしことはそう容易ではない。自由貿易協定という欧米や中国にとって極めて都合のいいルールが足かせになり、どうにも身動きが取れないのだ。外圧にいいなりの主体性のない政治、それが原因であることは言うまでもない。
 街を歩けば、絶望感と焦燥感に満ちた澱んだ空気の先に、色褪せたコンクリートの群(ぐん)塊(かい)が霞んで見える。その群塊の中で、やはり色褪せた人々が、目に見えぬ恐怖に怯えながら、かといって戦う気力も失い、ただひたすらに目先の仕事に不安からの逃げ場所を探していた。
 五年前、ギリシャから始まりスペイン・ポルトガル、さらにはフランスまでをも巻き込んだ史上最悪の欧州経済危機が何とか収束したとき、人々は胸をなでおろし、ひと時の安堵に浸ったものだ。しかしそれも束の間、すぐに新しい危機が襲ってきた。欧州でひと儲けしたヘッジファンドの次の獲物は、あろうことかこの日本であった。いや、最初からこの国を獲物にすることが目的であり、欧州危機はその目的のために仕掛けた単なる布石に過ぎなかったのである。
 一年前、主要格付け会社が一斉に日本国債を格下げした。それも一度に五段階、裏でヘッジファンドが糸を引いていたのは言うまでもない。いきなり『投機的』というレッテルを張られた日本国債は、滝を流れ落ちる落水のような暴落を演じた。金利は禁酒法下のウィスキーのように暴騰し、それにさらに怒涛の円安が追い打ちをかけた。原材料・燃料、さらには食料に至るまでの生命維持に必要な『血と肉』を海外に頼りきっていた日本にとって、この急激な円安は、瀕死の患者の傷に塩を擦り込むような残酷な仕打ちとなった。
 品川駅で千百六十円の切符を買って、JRの改札をくぐった。行き先は渋谷である。失(な)くすまいと大切に切符をポケットにしまい、ホームに滑り込んできた電車に慌てて駆け寄る。開いたドアの向こうに、人もまばらな閑散とした車内の景色が広がった。それも無理はない。下げ止まりはしたものの給料は一向に増える気配を見せない上に、この物価の高騰である。吸い込む空気にさえも料金を請求されそうな勢いだ。世の多くの庶民は週末も家に閉じこもり、できる限り出費を抑えようと身を潜めている。
 渋谷駅で電車を降り、駅前でタクシーを拾った。窓に貼られた黄色いステッカーには『初乗り三千円』。まるで五・六十年前のバブル期の六本木の夜のようだ。
 くたびれた革のアタッシュケースを膝の上に大切そうに抱え、榊原竜介は後部座席に腰を滑らせた。窓の外に目をやると、寂(せき)寥(りょう)とした景色の中に、すっかり荒廃した社会の様相がぼんやりと浮かぶ。しかし榊原にとってはそれも対岸の火事にしか過ぎず、彼の顔は、なぜか夢と希望に満ち溢れていた。
 もうすぐだ――夢にまで見た究極の『マシーン』がようやく完成する。三十四歳の時から無我夢中で取り組み、はや二十年の歳月を数えていた。
 道玄坂で車を降りると、榊原は目の前の白いビルの入り口に歩み寄った。迷わず銀色の案内板に視線を這わす。目的の場所はすぐに見つかった。エレベータに揺られて六階で降り、『インテリジェンス財団』と記(しる)された白いドアの前に立つ。大きく息を吸い込み、震える指で呼び鈴を押した。ほどなく濃紺のタイトスーツに身を包んだ八頭身の若い女が現れ、榊原はガラス張りの洒落た部屋に案内された。待つこと五分、ようやく担当者が姿を現した。能面のように無表情な顔の、オールバックに髪をなでつけた若い男だ。男は開口一番切り出した。
「例のものはお持ちいただけましかな?」
「もちろん――」
 榊原は首を小さく縦に振り、机の上にアタッシュケースを置いて蓋を開けた。そのままテーブルの上を滑らし男の前に突き出す。
「では、さっそく内容を確認させていただきましょう」
 男は細い手を伸ばして書類を掴み、艶のない爬虫類のような目を動かした。油で固めた頭がねっとりとした光を放ち、まるでゴキブリのようだ。しばらくして男はゆっくりと顔を上げた。
「確かに承りました。審査に一か月ほどお時間をいただきますが、おそらく問題はないでしょう。認可が下りれば、さっそく手続きに入らせていただきます。第一期助成金として五億、指定口座に振り込ませていただくことになります――」
 ビルのエントランスを出ると、榊原は大きく背伸びをした。鉛色の雲の向こうにうっすらと太陽が霞み、そこから滲む光がたいそう弱々しい。しかし未来を見据える彼の心には、眩しいほどに明るい曙(しょ)光(こう)が、真夏の太陽のように燦(さん)々(さん)と降り注いでいた。
 榊原がインテリジェンス財団のことを知ったのは、今から二か月ほど前のことである。なんでもアメリカに拠点を置く財団とかで、世界中の有望な研究案件を発掘してそれを支援し、科学技術の発展に寄与することがその目的なのだという。近年に財を成した数名の有志が立ち上げた財団だそうで、一年前に榊原が学会で発表した論文に興味を持って、先方から支援を申し出てきたのだ。その論文というのは、まったく新しい概念のコンピュータに関するものだった。榊原が四半世紀もの長き時間を費やした、まさに彼の学者人生を捧げた研究の集大成である。
 ――一九五十年にフォン・ノイマン博士が蓄積プログラム方式・逐(ちく)次(じ)実行型の画期的なマシーンを発表して以来七十余年、コンピュータ技術は目を見張る発展を遂げてきた。ちょっとした部屋ほどの大きさもあった筐(きょう)体(たい)は手のひらに収まるほどにコンパクトになり、かつてフィラデルフィアの街の明かりを奪ったともいわれる大食漢も、今では電池二本で駆動が可能である。しかもその性能は、当時のマシンの一億台分にも匹敵するのだ。こうして大発展を遂げてきたコンピュータではあるが、じつはその基本原理は今も何も変わらない。格納されたプログラムを、決められたルールに従って順次実行しているだけなのだ。
 二十年前、そのことに疑問を持った榊原は、いったんコンピュータの世界を離れ、人間の思考回路の研究に没頭した。常識という呪縛を取り払い、もう一度原点に回帰すべきだと、彼は考えたのだ。寸(すん)暇(か)を惜しんで研(けん)鑽(さん)を積むうちに、彼はあることに気づいた。それは、『考える』ということの意味である。計算したり、記憶したり、あるいは検索することにかけては、今やコンピュータの能力は人間をはるかに凌(りょう)駕(が)している。しかしいかにコンピュータが性能を上げようとも、いかにその機能を向上させようとも、決して人間には及ばないことがある。それが、『考える』という営みなのだ。「どうすればいいだろうか」と悩んだり、「こうするといいかもしれないな」とアイデアを練ったり、あるいは、「ああすればよかったかな」と自分の行為に対して反省をするといった、人間にとってはごく当たり前の思考作業が、コンピュータにはできないのである。
「なぜだろう?」
 榊原は知恵を絞った。そして彼は、ある画期的な考えを思いついた。いったん思い立つと、もう居ても立ってもいられない。その日から二十年間、彼は無我夢中で『考えるコンピュータ』の開発に没頭した。
 そして今から一年前――
 一台のコンピュータを前にして、榊原の体は小さく震えていた。まさか、という疑念と、やはり、といった確信が、興奮に熱を帯びた彼の頭の中で複雑に交錯していた。
「ジミー、これはなんだい?」
 榊原は、コンピュータに繋(つな)がったカメラの前にグラスを突き出した。
「キラキラしてる……ダイヤモンド?」
 コンピュータが喋った。
「違うな。もっと壊れやすいものだよ」
「キラキラしてて、壊れやすいもの……」
 しばらくコンピュータは黙り込んだ。そして自信なげに答えた。「氷?」
「それも違う。これはグラスというんだ。飲み物を入れる容器だよ。ガラスでできているんだ」
「容器? ガラス? なにそれ?」
 まるで、溢れる好奇心を抑えきれない幼い子供のようだ。榊原はあまりの感動にそれ以上言葉が続かなかった。グラスに満たされたウィスキーを口に運び、目を細めて感慨にふける。やはり自分の考えは間違っていなかった――。
 榊原はこのマシーン、いやプログラムに、『ジミー』と名付けた。彼の傾倒するウィリアム・ジェームズにちなんでつけた名前である。ウィリアム・ジェームズというのは十九世紀後半に活躍した哲学者であり、彼の残したかの有名な一節が、このプログラムをつくるきっかけにもなったのだ。
 心が変われば行動が変わる
 行動が変われば習慣が変わる
 習慣が変われば人格が変わる
 人格が変われば運命が変わる
 榊原は、この一節の中の『変わる』という単語を、『生まれる』という単語に置き換えて、自分なりに解釈した。すなわち――
 心が生まれれば行動が生まれる
 行動が生まれれば習慣が生まれる
 習慣が生まれれば人格が生まれる
 人格が生まれれば運命が生まれる
 心を吹き込めば、人格、すなわち『魂』が宿るに違いない――そう考えたのだ。そしてここで言う『心』こそが、彼がこのプログラムに包(ほう)蔵(ぞう)させた『自ら考える能力』に他ならない。もちろん、それで本当に魂が宿るのか、じつは彼にも自信はなかった。論理的な根拠など何もないのだ。しかしやってみなければわからない。いや、やってみる価値がじゅうぶんにある。彼はそう考えた。
 それからさらに一年が経ち、『心』を吹き込まれたジミーには、榊原の思惑どおり『魂』が宿った。これだけでも十分画期的なことである。しかし榊原の感動はすでに、次の夢を追いかける終わりなき探究心へとその姿を変えていた。このまま会話を続ければジミーは成長し続けるに違いない。幼児から子供、子供から大人へと育ち、人間をも超える存在に成り得るかもしれない――。しかし、それを阻(はば)む大きな壁が立ちはだかっていた。その壁とは、『記憶容量』である。今のジミーの脳の大きさはわずか一千テラバイト、これでは八歳児の思考能力が限界である。少なくともその百倍、いや一千倍は欲しいところだ。しかし今主流のハードディスクはせいぜい十テラバイト。部屋中を記憶装置で埋め尽くしてもこと足りない。
 しかし、榊原にはそれを解決する画期的なアイデアがあった。ただしそれを実現するためには途方もない資金が必要だ。そんな折、インテリジェンス財団と名乗る団体から資金提供の申し出があったのだ。榊原にしてみれば、まさに渡りに船であった。未曽有のインフレが吹き荒れる今のご時世、五億円という金額は決して十分とは言い難かったが、それでも当面の費用は賄える。迷うことなく彼は財団の申し出に飛びついた――

 桜の花が咲き始め、吹き寄せる風にも春の香りが漂い始めた三月の下旬。射し込む陽光はとても穏やかで、視線を上に移すと、蒼(そう)々(そう)と澄んだ空が果てしなく広がっている。いかに経済が落ち込もうとも、いかに社会が荒(すさ)もうとも、自然は変わりなく人類を温かく見守り続けている。
 その年の四月、湘南の鵠(くげ)沼(ぬま)海岸に、ひとりの中年男性の水死体が打ち上げられた。東京大学教授、榊原竜介である。通報を受けて駆け付けた警察官によると、絡みついた海藻から覗いたその顔には笑みが浮かび、まるで菩薩のように穏やかであったという。
 その榊原の死からわずか二か月後、アメリカのシリコンバレーで、とある会社が産(うぶ)声(ごえ)を上げた。インテリジェンス・コーポレーションという、社員数わずか六名の小さな会社だ。シリコンバレーといえば、新興企業が雨後の竹の子のように次から次へと生まれ、そして次から次へと消えていく、いわばベンチャー企業のメッカである。ちっぽけな新興企業のことなど気にかける者などほとんどいなかった。
 しかしまさかこの小さな会社が、その僅か十年後に世界を――いや人類の運命さえをもすっかり変えてしまうことになろうとは、誰ひとり想像だにしなかった――

2014年12月7日日曜日

よくある慣用表現の誤用 #言葉のお勉強

 今回は、誤用しがちな慣用表現についてのお話しです。それではさっそく間違い探しといきましょう。
 以下の各例文には誤った表現があります。間違いを探して、正解も考えてみてください。

1.彼は話術の名人だ、口先三寸で聴衆を魅了してしまう

 答え) 口先三寸 ⇒ 舌先三寸

 ※「口八丁」(口が達者なこと)と「舌先三寸」が混同したのでしょうか?

2.戦いの火蓋が切って落とされた

 答え) 火蓋をが切って落とされた ⇒ 火蓋が切られた もしくは 幕が切って落とされた

 ※「火蓋を切る(ひぶたをきる)」と類語の「幕を切って落とす(まくをきっておとす)」が混同してしまったのでしょう。火蓋というのは火縄銃の着火口の蓋のことで、これを開けることを「切る」といい、落としてしまってはいけませんね。

3.次期社長候補として、彼に白羽の矢が当たった

 答え) 白羽の矢が当たった ⇒ 白羽の矢が立った

 ※白羽の矢というのは、日本古来の風習あるいは伝承で、生贄を求める神が、望みの少女の家の屋根に人知れず立てたと言われるもの。

4.彼は同僚に足もとをすくわれた

 答え) 足もとをすくわれた ⇒ 足を掬われた

 ※「足もとに火が付く」や「足もとを揺さぶる」等、他に「足もと」を使う表現があって、影響したのかもしれません。

5.その夜、彼は熱にうなされた

 答え) 熱にうなされた ⇒ 熱に浮かされた

 ※「悪夢にうなされる」と混同したのでしょうか。

6.その報告を聞いて、僕は怒り心頭に達した

 答え) 怒り心頭に達した ⇒ 怒り心頭に発した

 ※心頭とは心の中のことで、怒りが心の奥底から沸々と湧いてくることを言います。心頭は、あくまでも出発点なのです。

7.彼の意見はしごく的を得ていた

 答え) 的を得ていた ⇒ 的を射ていた
 
 ※「当(とう)を得る」(道理にかなっているという意味の慣用句)と混同したのでしょうか? ただしこれは誤用ではないという意見もあります。でもあまりに有名な誤用の例なので、使うと笑われるのがオチでしょう。

8.「待ち時間が長すぎて間が持たなない

 答え) 間が持たない ⇒ 間が持てない

 ※間違えたからといって恥ずかしいことではありません。なにしろ、平成22年度「国語に関する世論調査」では、本来の言い方とされる「間が持てない」を使う人が29.3パーセント、本来の言い方ではない「間が持たない」を使う人が61.3パーセントという、逆転した結果が出ているのですから。

9.なでしこジャパンには男子代表の雪辱を晴らして欲しいものだ

 答え) 雪辱を晴らして ⇒ 雪辱を果たして

 ※これは「雪辱」という言葉の意味(屈辱を晴らす)を理解していれば、「晴らす」が重なった重言(じゅうげん)であることがわかると思います。

10.今やなでしこジャパンは、押しも押されぬ、世界の強豪チームである

 答え) 押しも押されぬ ⇒ 押しも押されもせぬ

 ※おそらく類義語の「押すに押されぬ」が混同したものと思われます

 以上、間違い探しはお終いです。いかがでしたか? 恥ずかしげもなく文豪を自称するみなさま方のこと、全問正解であったに違いありません。
 では続けて、今度は意味を間違えやすい慣用表現をご紹介しましょう。それぞれの意味を考えてみて、それから答えを見てください。意外と間違って理解している表現があるかもしれません。

1.役不足

 能力に対して、役目が軽すぎること

 ※能力が足りない、は間違いで、こっちは「力不足」と言うべきでしょう。

2.すべからく

 (当然)すべきこととして

 ※「すべて」という意味ではありません。

3.さわり

 話の中心となる部分。聞かせどころ

 ※冒頭部分、という意味ではありません。

4.憮然

 失望してぼんやりしているようす

 ※ふてくされている様子ではありません。

5.檄(げき)を飛ばす

 自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求めること

 ※気合いを入れたり激励することではありません。

6.しおどき

 物事を行うのに最も良いとき

 ※もうそろそろ諦めた方がいい頃合い、というのは間違いです。

7.気が置けない

 心から打ち解けることができる

 ※油断できない、ではありません。そっちは「気を許せない」ですね。

8.敷居が高い

 不義理・不面目なことなどがあって、その人の家に行きにくいこと

 ※高級料亭に入りにくい時などに使うのは誤りです。

9.姑息

 一時しのぎ

 ※ひきょう、という意味ではありませんよ。

9.確信犯

 自分の信念が正しいと強く思って犯す罪

 ※すっかり有名になってしまった、誤用の代表的な例ですね。「悪いことであると分かっていながらなされる行為」ではありません。

 以上、いかがでしたでしょうか。初めて知った、という誤用の例もあったのではないでしょうか。心配しないでください。実は小生も、書きながら、自著で数多くの誤用をしていたことに気づいた次第です。

 それでは今回は、これにてお終い。

2014年12月6日土曜日

作文の基本ルール #言葉のお勉強


 今回は、日本語の文章を作成する上でのルールのお話です。「そんなの興味ないね、オレはオレのやり方で書くから」とおっしゃる御仁もいらっしゃるでしょう。気持ちはわかります。しかし、世の多くの読者はそうはお思いになられないのです。ルールというのは、読者がより自然に、そしてより容易に内容を理解するためのものであって、書く側の都合で勝手に決めるべきものではないのです。だからこそ、読みやすさを追求して出来上がった基本的なルールを守ること、それがとても重要なわけです。
 とは言っても、守るべきルールがそうたくさんあるわけではありません。その数少ない基本ルールを以下ご紹介させて頂きます。

1.段落では改行し、次の段落の最初に一文字分のスペースを入れる。(字下げ)

 商業出版でこれを守っていない文章はまずありませんが、Blogや投稿サイトなどではよく見かけます。この字下げをやっていない文章は極めて読み難いし、それ以前に、見た瞬間に読むのをやめてしまう人も多いと聞きます。今回ご紹介するルールのなかでも、最も重要なものと言えるでしょう。

2.三点リーダー(……)を正しく使う

 三点リーダーというのは「」のことで、けっしてドットを3つ続けて書いた(・・・)ものではなく、3つの点がセットで一文字になった特殊な記号です。日本語入力ソフトで「さんてん」と入力して変換すると出てくるはずです。この三点リーダーは「……」といったように必ず2つをセットで使います。例えば、

「なんということだろう……

 のようにです。(さも絶句した様子が伝わってきますね)

 時にはさらにそれを2セット続けて使うこともあります。例えば、

…………

 のようにですね。完全に絶句しています。

3.ダッシュ(――)を正しく使う

 用法は先の三点リーダーと同じです。必ず2つをセットで使ってください。用途は特に決まっているわけではありませんが、小生の場合は主に、時間的なギャップを表現するのに使用しています。

 それから3ヶ月後――
 
 「――というわけで、彼は全財産を失った」


4.感嘆符や疑問符の後にはスペースを入れる。句点は付けない。

 あれっ どうも変だぞ。あーっ なんてこった……

5.「(括弧開き)で始まる段落は字下げをしない

 そうして彼の退屈な日常がまた始まった。それから三ヶ月後――
「あれー? おかしいなあ……」
 彼は首を傾げた。
 
6.」(括弧閉じ)の前後に句点を入れない

 ×1.「いいねいいね、これいいね。」
 ×2.「いいねいいね、これいいね」。
 ○3.「いいねいいね、これいいね」

 ※1の用法は、じつはプロの方でも使われることがあります。でもそれは著名な方だからこそ許されるのであって、ゴミのような我々がそれをやったら、たんなる無知と思われるだけです。こんなところで個性を発揮するよりも、もっと他のことに力を入れた方がいいでしょう。(じつは2も使われることがありますが、あまり一般的な用法ではないので、ここではNGとしました)

 以上です。えーっ、もう終わりかよ、とお怒りのあなた、そんなあなたに素敵な参考書をご紹介。そう、作文のバイブルとも言える、本多勝一氏著作の「日本語の作文技術」です。作文におけるさまざまなルールはもとより、句読点の効果的な使い方や、文章のリズムや文体等についても詳しく言及されています。


 



 では今回は、これにて終了。



2014年12月5日金曜日

カタカナの使い方 #言葉のお勉強

 さて皆さん、作文を書く(重言ですねw)とき、どういう場面でカタカナを使用しますか? あるいは読書をするとき、どういったときにカタカナ表記に違和感を覚えますか?

 その話に入る前に、まずは、カタカナの由来についておさらいをしておきましょう。カタカナの起源は9世紀初頭にさかのぼり、漢文を和読するために、訓点として借字(万葉仮名)の一部の字画を省略したものだと考えられています。つまり、

国破山河在

 を和読するために、

国破レテ山河在

 としたわけですね。こういう出生がゆえに、カタカナは漢字の音や和訓を注記するために使われることが多く、記号的・符号的性格が強いわけです。正式な言葉とは言いかねるような、擬音語、擬態語、外来語に使われるようになったのもうなずけるというものです。

 ではここで今一度、カタカナ表記をするのが一般的なものについておさらいをしておきましょう。

1.固有名詞(地名・人名・組織名・団体名・題名など)
  ハワイ、マイケル、ソニー
2.外国語(日本人のカタカナ英語・ブロークン英語を含む)
  ホワーイ
3.外国人による日本語(の音声)
  コンニチワ
4.外来語(和製英語を含む)・近代音による漢語
  スパゲッティー
5.擬音語・擬声語
6.動物や植物の和名・俗名
  キリン、ブタクサ
7.強調。(英語ではイタリック体で書くような場面)
  あのオジサンはとてもカッコイイ

 まあ学校で習ったまんまであり、学業優秀なられる読者様であればいまさらであることは十分承知の上、話を進めましょう。
 注目すべきは、もちろん5番の擬音語・擬声語ですね。これは同時に、「擬態語はひらがなで表記する」という意味も含んでいるわけです。
 これらの表記に関しては、ここで話題にするのもはばかれるくらい議論がなされてきました。よく取り上げられる選択問題を、ここで改めてご紹介しましょう。

1.星が(きらきらキラキラ)している。
2.犬が(わんわんワンワン)ほえた。
3.うさぎが(ぴょんピョン)とはねた

 答えは、そう青文字の方ですね。すんなり全問正解した人は、優等生で面白みのない人。自信満々で全問不正解だった人は、もう救いようのない語学オンチ。そして、わかっているけどわざと間違えたあなたは、とんだへそ曲がり野郎ですね。
 しかし私には、へそ曲がり野郎の気持ちがよくわかります。星は当然のようにキラキラだし、うさぎは誰がなんと言おうとピョンだろう、と。そしてそれは私だけではなく、世の多くの著名な作家にも言えることなのです。たとえば、

志賀直哉 『万暦赤絵』  (玄関へ)ドヤドヤ(と出迎へた) 
片岡鉄兵 『思慕』  カツと燃え立ちさうな
中山義秀 『厚物咲』 ペコペコお辞儀をしながら
宮沢賢治 『やまなし』 キラキラッと黄金きんのぶちがひかりました

 そして極めつけが、江戸川乱歩。たとえば「百面相役者」。
 一ページ目からさっそく、「――いやにドロンと曇った春先の――」、三ページ目には「――サッサと外出の用意を――」、同、「――テクテク歩いて――」,続けて「からだじゅうジットリ汗ばんで――」等々、わずか数ページでこのありさまなのです。彼が先の問題を解いたなら、おそらく0点だったでしょう。まあなにしろ、エドガー・アラン・ポーを漢字にして、それをペンネームにしてしまったくらいですから、これも仕方がないのかもしれませんね。(断っておきますが、江戸川乱歩の擬態語の使い方はけっして不自然ではなく、読む者を摩訶不思議な世界へ引きずり込む、絶品でなのです)

 僕の個人的な考えとしては、きちんとルールを理解したうえで、時には変化をつける、あるいはアクセントをつけるといった意味で、こういう掟破りも有りなのでは、と思います。
 ただし、著名な作家がやるから意図的なものだと思われるのであって、無名な我々がそれをやったら、たんなる無知の誤用と思われるだけかもしれませんけどね。

いつものようにオチはないけど、今回はこれにてお終い。

2014年12月4日木曜日

錯覚をおぼえる? 重言のお話 #言葉のお勉強

 さて皆さん、表題に違和感をかんじましたか? かんじない? それは困りましたね。いや、この文章にも違和感をかんじてほしいところです。お分かりの方はすでにお分かりのように、これは誤った日本語の用法で、「重言(じゅうげ」といいます。まあ、わかりにくいようにあえてひらがなで表記したわけですけれど、

1.錯覚を覚える
2.違和感を感じる

 こうやって漢字で書くと一目瞭然、同じ意味の言葉を繰り返していて、不自然な表現であることがわかりますね。まあ2は慣用上許容されるとの見解もあるようですが、美しくないことに変わりはありません。せめて「違和感を覚える」とでも表記したいところです。
 そんなこと言われなくとも知っとるわ、と仰る御仁もいらっしゃるでしょうが、意外とこの重言、BlogやSNS等で普通に使われていたりします。(さすがに商業出版物では見かけることはあまりありませんが)

 特に間違えやすいのが、付けなくてもいい余計なものを付けてしまうことです。たとえば、

古来から
太古の昔
背中に背負う

 そう、正しくはそれぞれ、古来(意味:ふるくから)、太古(意味:大昔)、背負う(意味:背中に担ぐ)、ですね。言われてみれば気づくものの、書くときには案外と見逃しがちなものです。

 ところで、重言かどうか非常にわかりにくい、というか、人によって解釈の異なる表現もあります。たとえば、

旅行に行く

 ですが、直感的には特に違和感を覚えない人も多いのではないでしょうか。(実際、日常の会話では普通に使われているように思います)
 なぜかというと、それはこの旅行という単語が、「旅に行く」という意味だけでなく、「旅」そのものを表す単語として定着しているためです。それどころか、「旅に行く」ではあまりに古風に聞こえてしまい、むしろ「旅行に行く」の方がしっくりくる人も多いかもしれません。ただ、文字にすると「行」が続いてしまうため、美しくないと思う方もいらっしゃるでしょう。であれば、

旅行に出かける

 とでも書けばいいのではないでしょうか。といっても、もし「旅行に行く」が重言だとすれば、「旅行に出かける」もまた重言なのです。なにしろ「行く」も「出かける」も意味は同じなわけで、「旅に行く」に行く、という重複した表現であることには変わりないわけです。しかし不思議なもので、「旅行に出かける」と書くとまったく違和感を覚えないものですね。

 それから、重言ではあるけど、慣用的に許された用法というのもあります。特に多いのが、最初や最後を使った言葉です。

一番最初、一番最後

 この用法はもはや強調表現として一般に受け入れられており、たとえば「もの凄く強烈」なんかと同じなわけですね。また、強調とは違いますが、一般に用法が定着しているものとしては、他にも、

被害を受ける(被害を被る)

 というのもありますね。正しくは「損害を被る(=被害)」なわけですが、そんな言い方をする人の方がもはや稀でしょう。

 まあ、解釈もひとそれぞれで、正誤に関しても曖昧なことの多い重言ですが、読む人が違和感を覚えたり、あるいは稚拙さを感じたりしないように、出来るだけ注意した方が良いかもしれませんね。

 ということで、今回はこれにてお終い。

2014年12月3日水曜日

俳句のまとめ 其の一 #俳句

朝起きて 夜寝るまでも パジャマかな 読まぬなら 読ませてやろう このやろう あらすてき ユニクロ見せ合う 昼下がり 腹減った さっき食べたでしょ 悲しいね(字余り) おーまいが こぼれた酒を なめちゃった フーアーユー なに言ってんだ この毛等 バカ娘 アイカツフォン見て ニタッと笑った 小説を 書けば書くほど ちょうせつない ああねぶい できることなら 寝ていたい 腹減った 小説書いても 飯食えねえ レビューがねえ 書いても書いても まるで無視(字余り)

2014年12月2日火曜日

時代と共に変化する言葉 #言葉のお勉強

 さて、「腰が重い」という慣用句がありますが、もちろんその意味は、「やる気がない」だとか「やる気が起こらない」ということで、まさに私にぴったりの言葉なわけですね。そしてその反義語はというと、「腰が軽い」であり、一般的には「フットワークが軽い」といった良い意味で使われることが多いようです。(「軽率」という悪い意味もありますが、この意味で使われることは少ないように思います)

 これと似たような表現に、「尻が重い」というものがあります。腰を尻に変えただけで、その意味はというと、やはり「やる気がない」ということだそうですが、小生はこの言葉にはあまり馴染みがありません。使っている人も見たことがありません。そもそも、「彼女は尻が重い」とか言ってしまったら、別の意味(物理的な意味)に捉えられてしまい、えらい事件に発展しそうではないですか。(やはり「腰が重い」の方がしっくりきますね)
 一方で、「尻が軽い」という言葉はいたってポピュラーで、ただしその意味はというと、決して「尻が重い」の反対にはなっていません。そう、これは女の浮気性を表す言葉ですね。そして尻が軽い女のことを、世間では尻軽女というわけです。(尻が軽いを辞書で引くと「動作が敏捷である」という意味も記されていますが、この意味で使う人はまずいないでしょう。「君は尻が軽いね」と、仮にいい意味をこめて言ったとしても、その瞬間に、あなたと彼女の人間関係は二度と修復困難な状況に陥るに違いありません) 
 ところで、「尻が軽い」以外で、浮気性と同じ意味を持つ言葉にはどんなものがあるでしょう?

身持ちが悪い 放蕩 淫蕩 ふしだら

 おおっと、興味深い言葉が出てまいりましたね。

ふしだら

 この「ふしだら」、漢字ではどう書くのでしょうか? さっそく調べてみました。 ありません……。まあ、無理やり書くとすれば、「不修多羅」ってところでしょうか。どういうことかというと、その語源から説明しなければなりません。
 この「ふしだら」という言葉、サンスクリット語の「sutra」を音写した「修多羅(シュタラ)」が語源のようです。「sutra」というのは、古代インドで教法を書いた葉を束ねて閉じるのに使った紐のことだそうで、それが「修多羅」と音写され、正確でゆがみがなく秩序よく束ねることを意味するそうです。それが音転訛して「しだら」となり、それに否定の「不」をつけて「ふしだら」になったとのこと。

 ところでこの「ふしだら」と語感も意味も似ている、「だらしない」という言葉がありますが、こちらの語源は何なのでしょうか? じつはこの「だらしない」という言葉、元は「しだらない」という言葉だったのです。それが音位転換と言って、文字の順番が入れ替わって出来たものらしいです。この「しだらない」の「しだら」は、「自堕落」という「好ましくない状況」を表す言葉が転化したようで、それに強調の意味の~ないを付けて、しだらない。意味は、現在のだらしないと同じで、「締まりがなく、秩序がない」です。とある本によると、本当かどうかは知りませんが、この「しだらない」という表現は、いまだに山梨県に残っているそうです。
 それにしても「しだらない」が「だらしない」……こうなるともう、マスコミ用語の「ジャーマネ」(マネージャー)や「ぐんばつ」(ばつぐん)とかと何も変わりませんね。
 ちなみに、これと同様に音位転換をしたものに、「新しい(あたらしい)」という言葉があります。この「新しい」は、じつはもともとは「あらたしい」で、これが音位転換をした結果であり、こうなるといつか将来、「わんばんこ」だとか「うらまやしい」とかも、正しい言葉として定着するかもしれませんね。

2014年11月30日日曜日

夕方と朝方、その頃合いを表わす言葉に隠された面白い秘密 #言葉のお勉強

 みなさん、彼誰時(かわたれどき)という言葉をご存じでしょうか? そう、朝方のまだ暗い時間帯を表わす言葉ですね。その語源は、まさに字のごとし、暗くて彼が誰だかわからない、から来ているのですが、それなら夕方だって同じじゃないか、と思うわけです。

ビンゴ!

 じつは彼誰時は、かつては朝方だけではなく、夕方の薄暗い時間帯を指す言葉としても使われていたのです。しかしそのうち夕方の方は他の言葉に譲り、もっぱら朝方のみに使われるようになったわけですね。ではその譲った、夕方を指す言葉とはなんでしょうか?

そう、黄昏です

 皆さん、この黄昏と言う言葉、その語源をご存じですか? これが実に面白いのです。黄昏は、誰そ彼(たそがれ)がその語源で、その意味は、誰ですかあなたは、と訊ねるほど暗い頃合い、というものなのです。

彼誰時と同じじゃないか (`へ´)フンッ!

 ご立腹もごもっとも、けっきょくどっちも、彼奴(あやつ)は誰じゃ、と言うわけです。

 言葉って面白いですね。ちなみにまだ薄暗い朝方を表わす言葉としては、他に、

明け方、暁、曙、黎明、東雲

 と言った言葉が、また夕刻を表わす言葉としては、

夕暮れ、夕べ、薄暮、逢魔時、日暮れ、夕さりつ方

 等々、色々ありますから、都度使い分けると変化を付けられて良いかもしれません。えっ、覚えられない?

覚える必要なんてありません

 もしあなたが日本語入力ソフトにATOKをお使いなら、たとえば夕暮れと入力して(漢字に変換してください)、次にCtrlキーTabキーを同時に押せば、あら不思議! ATOKの連想変換機能が働いて、同義語を、これでもかと表示しますから。

えっ、その操作も覚えられない?

 困った人ですね。そういう人は、もうこれしかありませんね。そう、CtrlキーとTabキーの色を変えるのです。このように。

では、今回はこれにてお終い。

「色」を用いた色々な慣用句 #言葉のお勉強

 さて今回は、標題のとおり「色」という文字を使った表現、その中でも特に人の表情や、さらにはその奥に潜む感情を表わす慣用句についてです。

 ではここで質問です。あなたは彼女とのデートをすっぽかし、その上謝るどころか、「てめーみてえなあばずれとデートなんて出来るわけねえだろーが!」と悪態をつきました。すると彼女は顔を真っ赤にして激昂しました。このときの彼女の様子を、「色」を含む慣用句で言い表してください。

 答えは、そう、「色をなす」ですね。いわゆる、ムカつくってやつです。

 では続けて第二問。あなたは自動販売機でジュースを買おうと、ポッケから財布を取り出しました。そして百円玉をつまんで、震える手でそれを挿入口に運びました。ところが。。。アーッ! なんと百円玉が滑って落ちて、地面を転がり、排水溝の中に消えてしまったではありませんか! このときのあなたの様子を、「色」を含む慣用句で言い表してください。

 答えは、もうおわかりですね。そう、「色を失」です。

 では最後の問題です。毎日ブラブラ無為に過ごしていたあなたですが、両親に責められ、渋々仕事を探すことになりました。そして応募した会社の面接が、いよいよこれから始まります。さあ、気合いを入れて、凜々しい姿で臨みましょう! と、このときのあなたの様子を、「色」を含む慣用句で言い表してください。

 はい、そうです。「色を正す」です。

 とまあ、色を使った色々な慣用句をご紹介させて頂きましたが、まず僕は、これらの表現を使うことはありませんね。理由は簡単、直感的でない、からです。

「彼女は色をなして責め寄った」

 なんだか言葉が浮いている感じがします。これならば、「彼女は顔を真っ赤にして、唾を飛ばした」のほうが、臨場感に溢れていていいじゃないですか。少なくとも僕はそう思うわけです。まあ、美しさという点では、前者の方が勝っているのかもしれませんが。

「僕はスピーチを前にして、色を正した」

 こうなるともう、何を言っているのかさえよくわかりませんね。僕だったら、「僕はスピーチを前にして、無理やり真顔をこしらえた」と書きたいところです。

 とまあ最後の最後に、あまり役に立つことはないだろうという、とても残念な落ちになってしまいました。

「なおざり」と「おざなり」 #言葉のお勉強

 みなさん、意識して使い分けていますでしょうか?

なおざり(等閑)
おざなり(御座成り)

 この2つの言葉、なんとなく語感や意味が似ているので混同しがちですが、じつは大きな違いがあります。
 なおざりは、いわゆる放置プレーというやつで、ほとんど何もしないで放っておくことですね。この「等閑」という単語は、じつはれっきとした漢語で、「とうかん」と読みます。意味はなおざりと同じで、おそらく「なおざり」にこの漢語を当てたものだと思われます。このなおざり、とても古くからある言葉のようで、少なくとも平安時代には広く使われていたようです。

 一方のおざなりはというと、こちらは比較的新しい言葉で、最初に見られるのは江戸時代のようです。意味としては、「テキトーでいいっしょ」ってやつで、誠意なく適当に済ませる、という意味ですね。語源としては、太鼓持ちがお座敷にお呼びがかった際に、客によって扱いを変えることから、つまり、「御座なり」 に済ませる、ことから来ているという説が有力らしいです。もちろん其の真偽は僕の知るとことではありません。其の時代に生きていたわけでないのですから、あたりまえですね。

 ところで、この2つの言葉を巡ってはいろいろと面白い話があって、その語感と意味の近似性から、一方がもう一方から音転して生じたものだと説く人もいるようです。ただその人は「おざなり」⇒「なおざり」説を主張しておられ、これはそれらの言葉の出生の順序からして明らかに間違いだと思われます。でも、逆なら十分にありえそうです。つまり、江戸時代、当事すでに一般的であった「なおざり」という言葉をもじって、御座なりという言葉が生まれた。。。

 まあ今となってはなんとでも言えることですね。なにしろその言葉をつくった本人がいないわけで、誰も真偽のほどを確かめようがないわけですから。


2014年11月26日水曜日

過去を懐かしむようになったら、もう人間は終わりかもしれないね

 小説を書き始めてちょうど4年が経ちました。今から4年前、仕事でいろいろと行き詰まり、すべてを投げ出したのはいいけれど、何をする当てもなく、そこでなんとなく書き始めたのがきっかけでした。
 半年、いやほとんど1年、仕事もせずに執筆に没頭し、このままでは路頭に迷うと焦り始めて仕事を探し、3年前に今の会社に拾って頂きました。とても感謝しています。
 それからの3年間は、仕事をしながら書き続け、かつての自分からは想像も付かないほどに、人間として、充実した日々を送ることができました。これも小説のおかげです。
 元来熱中しやすく、のめり込むと周りが見えなくなる僕は、それまでずっと、仕事に人生のすべてを費やしていたように思います。キックボクシングをしたり、渓流釣りに熱中したりもしましたけれど、それはあくまでも余暇の過ごし方の一形態に過ぎず、主は、間違いなく仕事でした。
 でも今は違います。仕事も人生の一部ではありますが、執筆も、また人生の大きな一部なのです。
 ただ困ったことも起きています。それは焦りです。執筆を休むと、言い知れぬ恐怖が闇の向こうから舞い降りてきて、僕の首をギリギリと締め付けるのです。それはかつて、失業時代にときおり僕を襲った、あの絶望感にもどこか似ています。
 とは言っても、今のところは路頭に迷う心配もなく、かつてに比べればずっと恵まれているわけで、逆にもう少し自分を追い込んだ方がいいのではないかと思うこともあるくらいです。けっきょくのところ、たぶん、僕は幸せなのだと思います。

 今、4年前に小説を書き始めた頃の初期の作品である「名探偵の事件簿」という愚作の、その続編を綴っているところですが、すると、つい想い出してしまうのです。この4年間は、とても長い年月でした。作品では20年が経過したことになっています。でも、僕にしてみればこの4年は、まさに20年にも匹敵するほどに充実した、そして貴重な4年だったのです。たぶん……

 この4年間を振り返り、amazonの著者ページを見ながらチビチビと飲むウィスキーが、今夜はいつもよりずっと心に沁みます。

2014年11月15日土曜日

先日発表しました「老探偵の事件簿」、そこそこの売れ行きです。調子に乗ってさっそく続編を書いております。最低でも一ヶ月に一作、できれば二作、頑張りたいものです。では、第二作目の冒頭をば。


老探偵の事件簿 其のニ


 横浜は関内の、大通りから一本中に入った裏通り、その通り沿いの赤茶けた煉瓦造りの雑居ビル、その一階が我が探偵事務所と書斎兼リビングで、二階が我輩の住居になっておる。
 正月、といっても完全自由業の我輩にとってはいつもと別段変わるはずもないのじゃが、いちおう気分だけはあやかろうと朝から酒を飲み、そして書斎兼リビングでソファーに横になって、夕方まで昼寝をしておったら、とつぜん毛布を引っぺがされてしもうた。
「じいさん、じいさん、じいさん! たいへんだア!」
 寝起きと、酔い覚めが重なり、わしはもう不機嫌きわまりない。
「なんじゃ、このバカタレ!」
 思わず怒鳴りつけたのは、不機嫌だけが理由ではない。なにしろこの伊集院の「たいへん」は、十中八九、たへんだったためしがないのだ。そんな我輩の気持ちを知る由もなく、こやつは続けた。
「寝てる場合じゃないだよ、じいさん」
「だからなんじゃ!」
「仕事だよ。クライアントさまが隣の事務所でお待ちだよ」
「クライアント? 男か、それとも女か?」
「女だよ」
「若いのか?」
「若いよ」
「よっこらしょ、っと」
 わしはこやつに、はやる気持ちを悟られまいと、努めて落ち着いた風に腰を浮かしたさ。よれよれのジャケットを羽織り、髪をなでつけ、曲がった腰を無理やり伸ばして、わしは事務所へ通じるドアを開けたのさ。
「おおっ!」
 っと、いかん、いかん、いかん。つい声に出してしもうたがな。まあそれも無理なからぬことよ。なにしろ夕日差し込む茜色の事務所の中には、まるでファッション雑誌から飛び出したような、八頭身の美女が佇んでおるではないか。それにしてもあのバカタレ、まったく気の利かんやつじゃて。
「まあお座りなされ、お嬢さん」
 わしは娘さんに席を勧めるとすぐに、「このバカタレ、お茶をもってこんかい!」伊集院に怒鳴りつけてやったさ。こやつ、「へ、へいっ」あわてて流しに向かったよ。使えん、まったく使えんやつじゃ。こりゃ来月からは給料も考えんといかんな。
「で、どういったご用件かな?」
 わしが努めて丁寧に訊ねると、
「父を、父を助けてください……」
 娘さんが涙声で言ったよ。嫌な予感がしたな、わしは。この前――そう、あの花椿教授の事件のことが頭をよぎったんじゃ。それでなくとも不自由なわしの足、その右足がいまもときどき痛んでいかんわ。いつもなら「喜んでっ」というところじゃが、今回のわしは冷静だったよ。
「お父上を? はて、いったいどうされましたかのう?」
「じつは――」

 話しを聴き終わって、うーん、とわしはうなったさ。こりゃとても探偵なんぞの出る幕じゃない。警察の仕事じゃ。でもその警察が拉致があかんからこそ、ここに来ておるのじゃ。藁をもつかむ思い、ってやつか。わしはもう一度娘さんの顔に目をやった。澄んだ目に滲む涙が、そこに映り込む赤い夕陽に彩られ、まるでルビーのように輝いておるじゃないか。思わずわしは言ったさ。
「よろしかろう、お嬢さん。まあわしに、まかせてちょんまげ」
 いかん、いかん、いかん! またおちゃらけた物言いになってしもうた。これもあいつのせいじゃ。あのバカ男の。
「コラッ、伊集院。お茶はどうした!」
 わしが怒鳴ると、「へ、へいっ」やつはあわてて駆け寄ったさ。そして、
「あーっ!」
 わしの目の前でずるっと転げおった。しかも、
「ごめんよごめんよじいさん!」
「あーちっちっ!」
 わしはポッケからハンケチを引っ張り出し、ひっしでズボンの股間を拭いたさ。使えん、まったく使えん男じゃ……

 気を取り直し、わしはお嬢さんの話を心の中で復唱した。事件のあらましは、ざっとこうじゃ。

2014年11月8日土曜日

新作(短編)をリリースしました

 先日紹介した短編小説を、本日発売しました。タイトルは、老探偵の事件簿 其の一
 本作品は、僕が小説を書き始めた頃に書いた作品、「名探偵の事件簿」の主人公の、20年後の姿を描いた作品です。老探偵、あるいは作中ではおじいさんと呼ばれていますが、まだ57歳、バリバリの現役探偵です。
 タイトルに「其の一」と付いているように、これは連作もので、これからどんどん続編を発表していきます。乞うご期待!


2014年10月29日水曜日

新作を書き始めましたよ

 さっそく新作を書き始めました。ひとつはアンドロイドが主人公の本格的SF。もう一つは、ユーモラスな推理小説。アンドロイドの方(すでに200ページを執筆済み)はまた紹介するとして、今日は推理小説の方の冒頭部分をご紹介。期待しててね❤


名探偵の事件簿の主人公、あの小田切慎二が、あれから二十年を経て帰ってきた!

老探偵の事件簿 ―探偵は、腰痛もちで満身創痍―

「じいさん、じいさん、じいさん!」
(なんだよ、あーうるさい)
 せっかく昼寝の体勢に入ったばかりだというのに、まったくやかましい青年だ。どうせまたろくな用件でないにきまっている。我輩はあわてて毛布を頭からかぶり、狸寝入りを決め込んだ。するとこの男、づかづかと勝手に部屋に入ってきて、
「なんだよ、また寝てんのかよじいさん。しょうがねえなあ」
 ずいぶんぞんざいな声でえらそうに悪態をつきおった。「お前にしょうがねえなんて言われる筋合いはないわ」そう言い返したいところだが、起きたら起きたでまた面倒だ。わしは聞こえないふりをしてわざと大きないびきをかいてやった。するとこの男、我輩の毛布に手をかけ、あろうことかそれを力任せに引っ張りおった。
「な、なにをするんじゃっ、無礼者!」
「事件だよ、じいさん!」
「じ、事件?……も、もうかりそうな事件か?」
 不覚にも声が詰まってしもうた。まあそれもしょうがない。ここのところの不景気で客の金払いは悪いは、そもそも仕事そのものがめっきり少ない。大好きなキャバクラへは行けんは、それどころか家でちびちび飲む晩酌のウィスキーすらまともに買えんありさまじゃて。
「どうなんじゃ、もうかりそうなのか?」
 我輩が訊き直すと、
「それは、わからん」
 こやつは胸を張ってこたえおった。どうもこの男は自信の見せ所を間違えとる節がある。かまわずわしは先を急いだ。
「で、どんな事件じゃ?」
「殺し」
「殺し?」
「ああ、殺し」
「な、なんでそんなぶっそうな事件がわしんとこに?」
 不覚にも少し狼狽えた声でそう言うと、
「そんなこと知るかい。ほらじいさん、さっさと起きな。事務所でクライアントがお待ちだぜ」
「い、いってってってっ……」
 このやろう、我輩の耳を掴んで引っ張りおった。しぶしぶソファーから起き上がると、わしは乱れた髪をなでつけ、よれよれのジャケットを羽織り、背中をしゃんと伸ばして、事務所へ通じるドアに向かったのさ。

事件簿その一

 事務所に入るなり、わしは我が目を疑ったよ。部屋の隅で両手をへその前で結んで立っておるのは、なんとも見目麗しき乙女じゃないか。わしがもう少し若かったらすぐにお茶屋にでも誘うところじゃて。それにしてもあの男、こんな素敵なお嬢さん――いや、お客様――を立って待たせるなんぞ、まったく礼儀を知らん。
「まあ、お座りくだされ」
 わしは努めて落ち着いた口調で言ったよ。もちろん下心なんぞはないぞ。紳士としての当然のたしなみじゃ。
「はい……」
 娘さんは細いあごを小さく引き、蚊の鳴くようなか細い声で答えると、華奢な身体を曲げて椅子に座った。絵になる。じつに絵になる。
「おーい、お茶!」
「へっ?」
「へ、じゃねえよ。はやくお客さんにお茶を出せってんだ」
「あっ、へい……」
 まったく使えない男だ。来月の給料は少し考えんといかんな。おっと、そんなことを考えとる場合じゃなかった。仕事仕事。
「で、ご依頼はなんでござろう?」
 わしが努めて丁寧に訊ねると、娘さんは少しうつむき、
「父を、父を助けてください……」
 苦しそうに声を絞り出したよ。
 まだ何も聞いていないのに、じいさんなにやら胸に込み上げるものがあって、つい身を乗り出して言ったさ。
「お嬢さん、詳しく話を聴かせていただこうじゃ、あーるまいーか」
 いかんいかんいかん! ついいつもの癖でおちゃらけた言葉遣いになってしもうた。これもぜんぶあのバカ男のせいじゃ。しかし娘さん、そんなことはまるで気にしないといった風で、真顔のままで返事をしたよ。「はい」とな。素晴らしい。じつにできた娘さんじゃないか。娘さんは続けた。
「じつは――」



2014年10月25日土曜日

新作の販売を開始しました

 みなさん、長らくお待たせいたしました。えっ、待ってない? 

待ってろよこのクソおやじ!

 うそですよ、もちろんうそですとも。
 さて、新作のタイトルは「サハラ」、その名のとおり舞台はエジプト、そう、あの古代文明で有名なエジプトです。
 これまでも小生は古代神話を題材とした小説をいくつか書いてまいりましたが、それらはすべてシュメール、すなわち現在のイラクを舞台にしたものでした。ではなぜエジプトなのか?

 じつはもう何年も前から、僕はこの古代エジプト文明に興味を持ち、いつかこれを題材にした小説を書きたいと思っていたのです。じっさいこの「サハラ」のプロットを書いたのはもう3年も前です。
 古代エジプト神話の魅力は、なんといっても「太陽神ラー」にあります。世界を造り、人類を創造したとされるラー、しかし偉大なる人類の父としての顔と共に、ラーはまた別の顔を持ち合わせていました。それは、

わがままで凶暴なる、悪魔の顔

 です。ラーが機嫌を損ねるのを恐れ、古代の王たちは神殿をこしらえ、貢ぎ物をしました。しかし高度な文明を築き自らの力を奢った人類は、次第にラーへの敬虔心を疎かにし始めます。そして再三にわたるラーの警告にも、その耳を貸そうとはしませんでした。

 そしてついに堪忍袋の緒が切れて、ラーは人類を滅亡させることを決意します。ところが、神はラーだけではありませんでした。そしてそれらの中には、人類をこよなく愛する神もいたのです。それが「ホルス」です。

 能書きはここまでです。さあ、あなたもぜひ、この魅力なるエジプト神話の世界にどっぷりと浸ってください。えっ、どうやって? 簡単です。愚輩の作品を読むだけで、もうあなたの魂は古代エジプトにすっ飛んでいくことでしょう。本当かって?

もちろん、そこは自己責任で……

 ということで、小生の新作「サハラ」、よろしくお願い申し上げます。

2014年10月20日月曜日

エボラウィルスに思うこと

フェースブックにも書いたけど、ふと思ったことを少し。

 そもそもウィルスはなぜ生まれ、なぜ繁殖するのだろう?
 ひとつは他の生命体と同様、自分たちの種を繁栄させることがその目的だと想う。でもそうであるとすれば宿主を殺してしまうのは得策ではなく、他の細菌同様、宿主を生かして共存するのがいちばんのはずだ。
 ではなぜ?
 少し哲学的な話しになるけれど、エボラウィルスの主(あるじ)は人間ではなく野生の動物であり、その野生の動物たちの敵である人間を滅ぼすことで、自分たちの本来の宿主、たとえばコウモリであったりとかを守ろうとしているんじゃなかろうか? そう思う今日このごろなのです。

2014年9月21日日曜日

スマホのカメラを遊び倒す

 みなさん、わんばんこ。さすらいのアマチュアカメラマン、如月恭介です。さてここのところ世間はすっかりiPhine6で盛り上がっておる模様ですが、あまのじゃくの小生のこと、ここはあえてぜんぜん違う観点からスマホの話をしてみたいと思います。今夜のお話は、ズバリ題目にあるとおり、スマホのチープなカメラを遊び倒す、です。
 チープとは言っても、最近のスマホのカメラはずいぶんと性能も上がってきており、けっしてバカにはできないレベルにまで達しております。かくいう小生の保有するスマホ(シャープのAQUOS PHONE ZETA SH-01Fっていう去年の秋モデルで、白ロムで2万8千円也@Amazon)も例に違わず、なかなか素晴らしいカメラを備えているのであります。おかげで最近はやたらと写真を撮りまくりせっせとTwitterあたりに投稿するも、ほとんどが華麗なるスルー状態で、少し寂しくもある今日このごろです。
 話を戻しまして、そのバカにできないカメラをもっと使い倒そうということで、じつは今朝ヨドバシカメラに出かけて、買ってきたのです。何を? これだす。


 Univerasal Clip lensという名前の、簡易型多機能外付けレンズです。そして実際の内容物がこれですね。クリップ式形状になっており、これでスマホのカメラの箇所を挟み込む仕組みです。



 ではさっそくスマホに取り付けてみましょう。


 こんな感じです。はっきり言って、あまりお洒落ではありませんね。でもいいんです。重要なのは、外面よりも中身です。では、その中身を確認していきましょう。

 このレンズには3種類の機能があって、それぞれ、1.広角、2.魚眼、3.接写、となっています。では順番に、それぞれの機能を確認していくことにしましょう。

 1.広角

 

 どうですか。奥行きが強調されていて、なかなかのものでしょう。

2.魚眼

 素敵な机まわりじゃありませんか。執筆にかける著者の情熱がひしひしと伝わってきますね。

3.接写

 

 愕きですね。とてもスマホのカメラで撮ったとは思えない出来映えです。ついでにもう一つ。



 いかがでしたでしょう。この素敵な「Univerasal Clip lens」という優れもの、なんとたったの2,160円也。アマゾンでも販売していますよ。




  ところが、アマゾンを徘徊しているうちに、僕はとても嫌なものを見つけてしまいました。それはこれです。



 どう見ても同じものにしか見えませんね。980円、いったいどういうことでしょうか? でも僕は決めました。このさい嫌なことは忘れてしまおうと。人間知らない方がいいことがたくさんある、僕が長年生きてきて学んだ処世術です。

 ということで、今日はここまで。それでは皆さんごきげんよう。

2014年9月13日土曜日

ネコも歩けば犬も歩く ―雑談-

 風が吹けば桶屋が儲かる。有名な言葉ですね、そう、風が吹けば屋根が飛び、雨が降れば雨漏りもする。桶屋が儲かるわけです。(ちがうだろ!)
 さて、今夜は少し高尚な話でもしてみようかなと思うわけです。皆さんはご存じでしょうか、こんななことわざを。あっと失礼、もちろんご存じでしたね。

 ネコも歩けば犬も歩く

 僕がこれを知ったのは、かれこれ30年ほど前になります。えっ、おかしいじゃないか、という読者さまの言葉もごもっとも、なにしろいちおう僕はまだ28歳だと、あちこちで触れ回っているわけですから。(じつは我がバカ娘にもそう言い聞かせているんです)

 きっととこれを見た多くの人は、「けっ、つまんねえギャグを飛ばしやがって」と思われたことでしょう。

 とても残念です

 あなたはなにもわかっちゃいない。わびさびも、それどころか、野を枯れはてさせるほどの風雪をも趣にかえる、美しき日本の文化を。いいですか、この言葉には、とても深い意味があるのです。たしかにネコは歩くでしょう。でも重要なのは、「犬も歩く」ことなのです。

 ネコは、例えて言うなら、著名な商業作家様です。彼らは書きます。小説を。あたりまえですね、それが仕事なんですから。でも、書いているのは彼らだけじゃないんです。売れない、いや、売れる才能のない、でも創作意欲だけは彼らに負けないたくさんのウンコ作家(失礼)が、その人生の無駄な時間を(またまた失礼)削って、書いているんです。凄いことだと思います。だから言いたい、いや、言わせて下さい。犬も歩くんです。だから、

 読んであげてね、彼らの作品も

 たいへん失礼いたしました。


 僕のも読んでね❤

 

2014年9月12日金曜日

お酒のお話 -ウィスキーのような焼酎-

 僕の仕える会社がいまちょうど決算期で、ここのところとても忙しいのです。じいっとエクセルシートと睨めっこをして、気づくと波打つ大海の上で、ゆらーりゆらーりと船を漕いでいるわけです。ハッとして起きては、また、ゆらーりゆらーり。まったく仕事が進みません。(う、嘘ですよ、社長さん)

 さて今週もいろいろなことがありました。自分たちが恐喝している様子をビデオに撮って、それを意気揚々とSNSで公開して捕まっちゃった、不思議な人たち。
 エボラ出血熱はその勢いを増し、実際の感染者数は二万人を超えているという観測もあるようです。そして先日のアップルによるiPhone6の発表。僕はまったく欲しいとは思いませんが、きっと売れるんでしょうね。それと同時に発表されたアップルウォッチには、さすがに驚かされましたとも。脈拍計測器の付いた無骨でダサい時計が349ドル(゜Д゜) しかもiPhoneを持っていないと使えないとか、草葉の陰で、ジョブスさんも鼻くそをほじっているに違いありません。

 ということで、なにを書こうかと考えながらなにも思い浮かばないままにここまで来てしまいました。そうだ、困ったときは、あれだ! ということで、今日もお酒の話を。

 じつは昨夜、とある集まりがあって、懇意にしていた友人のやっている銀座の料理屋に行ってきたのです。そして宴もたけなわ、「ちょっとこれ飲んでみません?」といって、透明な液体の満たされたグラスを渡されたわけです。「何だよ?」と、すっかり酔っ払って世界征服でもしたような気分でそれを口にした僕は、思わず、

 なにこれ!

 と思わず目を丸くしてしまいました。透明なウィスキー? それも新種のモルトウィスキー? いいえ、それはじつは麦焼酎だったのです。たしかに言われてみれば麦焼酎のような気もしてきましたけれど、そこいらの麦焼酎とはまったく別ものです。例えて言うなら、みなさんの住んでいるボロアパートと、帝国ホテルのスウィートルームほどの違いもあるのです。
 ラベルには、「長期熟成麦焼酎 吾空(gokoo)」とあり、ご丁寧にオススメの飲み方まで書いてあります。「ストレート、オン・ザ・ロック、水割りが最適です」

 なにもわかっちゃいねえな

 モルトウィスキー、それもちょう癖のあるモルトウィスキー、そんな幻想を覚えさせるこの酒にあう飲み方は、ズバリ、ハーフロックです。グラスに氷を満たし、酒を半分注ぎ、最後に水を半分。かるーくかき混ぜて、はいお終い。

 酒好きのあなた、騙されたと思ってぜひ試してみてください。もちろん、自己責任。

 苦情はいっさい受け付けませんから!


 

 おさけのうんちくを楽しみたいなら……


2014年9月10日水曜日

電書の価格と売れ行きの関係 -続き-

 まだ9月というのにすっかり涼しくなってしまい、無類の夏好きの僕としてはとても残念な限りです。
 さて、昨日告知したように、標題の続きをつらつらと書いてみようかなと。本当はもう面倒くさくなったんだけど、昨夜言っちゃったもんだからいやいや書いてんだよね、じつは。

 はっきりいって、少し売れたと言っても、毎日飲む発泡酒がホンモノのビールに変わったくらいで、じつはたいしたことないわけですよ。ただ不毛な毎日に嫌気がさして、少しでも変化を所望する、そんな病的とでも言おうか、昨日までとの違いって奴に飢えているわけですね、これが。

 ということで標題の話はもう終わりにして、今夜は、僕の好きなとある作品について語りたいと思います。それはこれです。

 孤狸庵閑話

 もちろん読者好きのみなさんならご存じですね。えっ、知らない? とんだすっとんちき野郎ですね。孤狸庵閑話と書いて、「こりゃあかんわ」。歴史に残るであろう名作です。もうずいぶん昔の作品ですが、まあ例えて言うなら、僕のバイブルなわけです。まだはなたれ小僧だったころ、涎を垂らしながら、ボロボロになった文庫本を貪り読んだものです。
 この作品、今で言うならブログのようなもので、日々のできごとをおもしろおかしく、巨匠の独特の語り口で綴ったエッセイのような代物です。芥川賞を受賞した作家とはとても思えない、おごらない、きどらない、かっこつけない、最高のエンターテイメント作品なのです。

 
 と言うことで今日もすっかり書き疲れてしまいました。では皆さん、良い夢を。



2014年9月9日火曜日

電書の価格と売れ行きの関係

 奇特な読者さま、お久しぶりです。Blogを、このまえいつ書いたかさえももう忘れてしまいましたよ。
 さて、今日は電子書籍の価格のお話です。じつは先日来、ある試みをしております。それは、変動価格制度ってやつの導入です。なんだそれ? と言って首を傾げたあなた、すでにどうしようもない落ちこぼれですね。資本主義社会の。でも好きですよ。そういうひと。

 話を戻して、では、変動価格制度っていうのは何なのか? 簡単ですね、まさに需要と供給の関係なわけです。かのケインズ博士の言った、「女将の見えざる手」ってやつです。良いものはよく売れ、それに払う対価も高くなり、逆に、良くないものはさっぱり売れなくて、ただでももらい手がなくなるっていうやつです。

 さて、僕はそれをアマ●ンで実行に移しましたとも。全作品を最低価格の99円にして、そこから売れた作品だけを徐々に値上げしていくわけです。それでどうなったか? 驚くなかれ、鼻から貴重な酒が零れんばかりの結果が得られたのです!

 相対的に高い作品の方が、よく売れる

 本当です。まず前提条件として、読者は僕の名前なんて知らないし、作品がどんなものかも知りようもない。なにしろウルトラニッチで、僕ですらよくわかっていないわけですから。だからなにを購入するかの選択の材料は、サンプルと価格と、アマゾンのレビューくらいしかないわけです。でもですよ、サンプルなんてしょせん走りの部分を読めるだけだし、得てして良作というのは、最初がぐだぐだで後半になって盛り上がるわけで、そんなことは賢明なる読者さまはとっくにご存じなわけです。じゃ、アマゾンのレビューは? 推して知るべし。50も100もレビューのついている巨匠ならまだしも、両手の指で余るほどしかないレビューに何の価値があろうかと。

 だからこそ相対的価格なんです

 きわめて性善説的な話になりますが、「この作品だけ高いのにはきっとわけがある」、そう思う紳士淑女もきっといるはずです。いや、いるんです。

 もっとたくさん書くつもりでしたが、酒もまわってきたし、すっかり書き疲れてしまいました。というこで、きょうはこれでお終い。続きはまたあしたね❤

(参考文献)

最高値の「エンジェル」がぶっちぎりで売れています。(といってもミミズの糞くらいのもんですけど)
http://www.amazon.co.jp/%E5%A6%82%E6%9C%88%E6%81%AD%E4%BB%8B(@KyouskeKisaragi)/e/B00A0IHXZC/ref=ntt_athr_dp_pel_1

2014年6月28日土曜日

Windoows8マシーンが簡単にアップグレードできたお話(ハードの入れ替え)

Windows8、そしてWindows8.1と最新のOSに果敢にチャレンジし続けてきて、いよいよ限界を感じ始めました。そう、ハードウェアです。ちなみにこれまでの構成は、

マザーボード Intel DP43TF(2008年秋発売)
CPU Intel® Core™2 Duo 2.8GHz
Memory DDR2 8GB

ということで、自作してまだ4、5年しかたっていないのですがすっかり時代に取り残されてしまい、特に最新のアプリや周辺機器との相性が悪く、いろいろと問題を起こしていたのです。そしてそうこうするうちに、リビングのパソコン(嫁と娘用、こっちはもっと古くたぶん7年前くらいに自作))が先に瀕死の状態陥り、結局先日マザーボードやCPUを入れ替えたばかりなのです。

 このとき、(どうせ僕のじゃないし)出来るだけ安く上げようということで、CPUはCeleron G1630(2コア、2.8GHz)、マザーボードはASUSTeKのB75M-PLUS(MicroATX)にしたのですが、これがおもいのほか速い。CPUとマザーボード合計で12,000円とはとても思えないコストパフォーマンスなわけです。ただ、ハードウェアをごっそり変えたわけで、当然のようにその後のセットアップが大変です。OSをクリーンインストールし直して、アプリケーションもすべて入れ直すという、言葉では語り尽くせないほどの苦行が待ち受けていたのです。

 そのこともあって、僕用のパソコンは手つかずにいたのですが、いよいよ我慢ならなくなりました。ブラウザ(Chrome)すらもまともに動かなくなってしまったのです。ということで、前回家族用のパソコンで味をしめた僕は、それと殆ど同じ構成で僕用のパソコンもUpGradeすることにしました。(メモリだけは家族用の4Gに対して8Gに増やしましたけど)

 そしていよいよ週末がやって来て、ハードウェアの交換作業の開始です。そしてその後で、OSをクリーンインストールして、その後で膨大なアプリを……と考えながらネットサーフィンをしていた僕は、とある記事に目を留めました。

ま、まじ?

 一瞬、目を疑いました。そこにはある人の経験談として、Windows8搭載のマシーンのマザーボードを変えても、それまでのシステムドライブをつないだら(OSの再インストールなしで)動いた、と書かれていたのです。

 がぜん、僕は燃えてきました。もし失敗してもクリーンインストールし直せば良いだけの話で、試してみる価値はじゅうぶんあります。さっそく僕はマシーンを組み立て、これまで使っていたHDDをつないで、おそるおそる電源を入れました。

やっぱりだめか……


 何も表示されません(※1)。でもHDDへのアクセスランプはせわしく点滅しています。

ここで焦っちゃ駄目だな……

 今日は僕らしくもなく落ち着いていて、映画でも観てゆっくりと待つことにしました。そしてそれから2時間後――
 パソコンがシャットダウンしました。もう一度電源を入れると、また画面には何も表示されないまま、やはりHDDのアクセスランプが点滅しています。そしてそのとき初めて、モニタへの接続が間違っていたことに気づいたのです(※1)。HDMIケーブルをつなぎ直すと、あーっ!

あの品のないWindows8の迷彩色の画面が現れたじゃないですか!

もうあとはとんとん拍子です。 それにしても驚きです。まさかハードウェアの違いを検知して、必要なドライバー類をネットから勝手にダウンロードしてきたのでしょうか? いや、そうとしか考えられません。なにしろ、マザーボードのインストールディスクはおろか、Windowsのシステムディスクすら一度も入れてないのですから。

 ということで、今は極めて快適なPC環境を満喫しているところです。

あっ、でもぜったいに真似はしないでくださいね。というか、期待しないでくださいね。僕だけたまたまうまくいっただけかもしれないですから。
 

※1)じつはモニタへの接続が間違っていたためで、おそらく何か表示されていたのに違いありません。(元々のモニタの設定がグラフィックカードを使うようになっていたのに、CPU内蔵のグラフィックのポートにつないでいたのです)

2014年6月18日水曜日

Google AdWordsで広告を始めましたよ

 Google AdWordsで広告を始めました。じつは本当はこれが初めてじゃなくて、1年ほど前にも出していたんですが、お金がかかりすぎるのと、効果がよくわからないこともあって、いつのまにか放置していたのです。

 であれからもう5作品以上も発表した今、ふたたびAdWordsのことを想い出し、もう一度やってみようかなと、ふと思い立った次第です。

 前回はクリック単価の上限を20円とか30円とかにしてとんだ散財をしたので、今回は長く続けるためにも、と考え、7円に設定しました。あんのじょう、ちっとも表示されません。それでもキーワードを変えたりして、4日目のきょうは、なんとか表示回数170回を達成したのです。ただしクリック数はあいかわらずゼロで、でもよくよく考えるとこれも悪くないんじゃないか、と思えてきたのです。

これって、ただで宣伝できるってことじゃねえか?

 そうなのです、クリックがない限り、課金もゼロなのです。でも広告は表示されます。そこで僕はある名案を思いつきました。

広告に、あえて自分の名前を入れてやろう

 なんという悪知恵……いや、天才。そうです、毎日百回以上も僕の名前がWebに表示されるのです。しかもただで。見ようと思わなくても目に入るに違いありません。そして無意識のうちに僕の名前が脳にすり込まれるのです。サブリミナル効果ってやつですね。いつしか人は勘違いするに違いありません。如月恭介、聞いたことのある名前だな……

 以下が、その広告の一部です。でもこの話はGoogleさんには内緒ですよ。僕の悪巧みがバレたらアカウントを停止されちゃうかも知れませんからね。

 これからもキーワードを工夫して、目指せ一日300回表示、もちろんただで、なのです。


  • 如月恭介のSFファンタジー
  • 神話小説の鬼才が放つ最高傑作――
  • 最高の感動をあなたに【エンジェル】
  • www.amazon.co.jp/dp/B00J71T4CI
  • (モバイル)




2014年6月9日月曜日

悪戦苦闘、そして五里霧中 ――プロモーションの難しさ――

 いつもお世話になっているKDP名鑑さんがショーショートの募集を始められ、そしてあの牛野小雪や月狂四郎さんがさっそく素敵な作品を投稿されていて、僕もこうしちゃいられないぜ、と焦ったものの何もアイデアが浮かばず、無為に酒をあおっていたときのことでした。ふとあることを思いついたのです。きっと左脳が崩壊して無防備になった僕に気づいた悪魔が、こっそりと忍び寄ったのに違いありません。

 絶好のチャンスだな……

 あろうことか、姑息なこの男は、その場を利用して自身の作品の宣伝をかましてやろうと考えたのでした。まったくもって、史上最低の男です。でもまああえてこの駄目男の肩を持つとすれば、それほどまでに彼の作品は鳴かず飛ばずで、手段を選んでいる余裕などなかった、そういうことなわけですね。そして投稿したのがこの作品です。

 エンジェル ――エピローグ、そして第二の戦いへ向けた、プロローグ――

 おい、ショートショートじゃねえじゃねえかよ (`ε´)

 お怒りもごもっとも。僕だって読者の立場だったら、机を蹴飛ばしたに違いないのですから。でもしょうがないのです。もう一度言っておきましょう、僕の作品は鳴かず飛ばずで、手段を選んでいる余裕などないのです。

 で、その結果はどうだったんだよ?


 いきなりきましたね、このウンコ野郎が。聞いて驚くなよ、なんと、

 何も変わらない……

 推して知るべしですね。投稿してからエンジェルは3冊売れましたけれど、これは至って平常運転なわけです。でも断っておきますけど、アプローチは間違っていなかったと思いますし、快く掲載を引き受けてくださった管理人さんにはこの上ないほど感謝しています。効果を得られなかったすべての理由は、僕の投稿作品にあるのです。なにしろすでに完璧な泥酔状態で、キーボードの文字さえよく見えない状態だったわけですから。(まあいつもの執筆もこんな状況で書いてるわけですけど……)

 でも、あきらめません

 失うものなんて何もありませんから、ひたすら前進するだけです

 ということで、次は「殺人は、甘く切ない薔薇の香り」の外伝でも書いてやろうか、なんて密かに企んでいるわけです。

 えっ、もう勘弁してくれ?

 だ、大丈夫です、管理人さん。今度こそ、迷惑はかけませんから……
 

2014年6月4日水曜日

個人出版をやってみての雑感

 がむしゃらに走り続けて3年、最近ようやく余裕(あきらめ?)も出てきて、自分の置かれた環境を、足りない頭でそれなりに観察できるようになりました。併せてとびぬけて寡読だった僕も、ここのところ手当たり次第に本を読み、おかげで多様な表現方法を学ぶことができたような気がします。

 さて、いまから3年半前に小説を書き始めて今日まで、いろいろなことがありました。というか、取り巻く環境が目まぐるしく変わった3年間でした。3年前はもちろんKDPなど存在せず、Wookやパブーといったサイトで配布するしか手段は無かったように記憶しています。でもぜんぜんDLされなくて、僕の場合なんて、1年で10DLもされなかったように思います。

 そして1年半前、いよいよKDPが上陸し、僕たちアマチュア作家に転機が訪れました。最初はそうでもなかったのですが、1、2ヶ月もすると次第に本が売れ始め、時にはレビューも付き、どう言えば良いのか、日の当たらない物置小屋から、いきなり燦々と太陽の降り注ぐビーチに躍り出た、大げさに言えばそんな感じだったのです。このまま書き続ければいつか食っていけるかも知れねえな、そんな幻想を抱かせるに十分な手応えを感じたのでした。ところが――

 新作を出しても出しても、売上げは伸びるどころか勢いを失う一方だし、しかもライバルが次々に現れてはウサギのように自分を追い越していくし、そのうえ大手出版社がセールをやってかき乱すわで、1年半経った今は、もう惨憺たる状況なのです。

 もちろん僕もただ手をこまねいて見ていたわけではありません。Google AdWordsを使って広告も出しました。クリック課金のシステムで、1クリックにつき20円とか30円とか成功報酬を払うわけです。といっても、それが実際に売上げに繋がるのは僅かで、当然赤字です。それでも先行投資と割り切って(2ヶ月で)2万円くらい突っ込みました。そしてその結果は――推して知るべし、まさに先行投資のままで終わってしまったのでした。

 じゃ、もうこのまま個人出版は宴の終わりのキャンプ場の炭火のように、燻り、そして消えるのを待つだけなのか――

 それを考える前に、ひとつ、最近いきなり乱読をかましている自分が思ったことを話しておかねばなりません。それは個人出版作品の品質の高さ、です。もちろんすべてではありませんが、商業作品と比べても引けを取らない、いや場合によってはむしろより面白いと思える作品が多々あるのです。でも残念ながら売れていません。ランキングをみれば一目瞭然なのです。ときには僕の駄作よりも売れてなかったりします。やっぱり駄目なのでしょうか?

 いいじゃねえか、どうでも

 そうなんです、別に何かを失うわけじゃなし、何もせずに無為な時間を過ごすよりも、仮に自己満足で終わるとしても、儚い可能性に期待を抱きながら夢を綴り、そして気がつけば確かな結果として自分の作品がそこにある。それでいいじゃないか、と。その儚い可能性を感じられるだけでも、かつての真っ暗な物置小屋よりも遥かに恵まれているのです。

 といっても、専業作家になる夢を捨てたわけじゃありません。ただその目標を2年後から10年後に、ほんの少しだけ先送りすることにしました。

 心に余裕がなきゃ、良い作品なんて書けっこないからね!
 

2014年5月31日土曜日

Kindle書籍の最新版をダウンロードする方法

 Kindleのメリットとして、コンテンツの内容を簡単に修正できるということがありますが、何もしないでいると、一度購入したコンテンツは更新されません。

 以下の手順で、最新版に更新可能ですので、もし購入したけれどまだ読んでいない、といった書籍があれば、ぜひ読む前に更新しましょう。

 小生の作品も上記に漏れず、特に「エンジェル」や「殺人は、甘く切ない薔薇の香り」に至っては、もはや初期の版の原形をとどめないほどに変わってしまっています。多少面倒ではありますが、是非とも最新版へのアップデートをお勧めします。



アマゾンのサポートページへ行き、以下の手順で手続きを行ってください。



お問い合わせの種類を選択してください


  Kindle を選択してください。


次に、「お問い合わせ内容」、「詳細内容」を、以下のように選択してください。



「お問い合わせ方法」は、以下のように「Eメール」を選択してください  



すると以下の画面が現れますので、
























以下の文章を入力して送信してください。(赤字の部分は必要に応じて変更してください)
------------------------------------
書名:聞かせてくれ、命の調べを
ASIN: B009XYLPFS
以前このKindle本を購入しました。
最新の版を再ダウンロードをお願いします。
新しいバージョンにアップデートすると、現在保存しているハイライト、ブックマーク、メモおよび読み終えた最後のページ番号が削除されることを、私は十分に理解しており、それらを了解したうえで、最新版のダウンロードを申請します。
------------------------------------

以上で手続きは終了です。まもなく最新版のダウンロードが始まります。



2014年5月29日木曜日

不毛なる牛丼戦争に思うこと

 牛丼が好きです。でも牛すき鍋定食はもっと好きです。
 さて、周知の通り、あのすき家が大変なことになっています。もはや(例の居酒屋チェーンに続く)ブラック企業に認定されたといってもいいでしょう。冗談じゃありません、これまでの貧乏人生を牛丼に救われてきた僕としては、放っておくわけにいきません。
 ということで、どうしてこうなって、これからどうすべきなのか、を他人事のように適当に述べちゃいたいと思います。

 僕が思うに、こんなことになった一番の原因は、競争です。それも極めて不毛な競争なのです。牛丼専門チェーンが、牛丼ファンを、お互いに奪い合っているのです。ハンバーガーファンを奪うならともかく、僕のように値下げしなくても牛丼を食べるファンを、お互いが奪い合っているわけです。

 とんだマヌケ野郎ですね

 資本主義の自由競争と言ってしまえばそれまでですけど、これで牛丼が不味くなったりラインナップが減ってしまうのは、消費者にとっても結局はマイナスなわけです。そこで僕は提言したい。

 この際、3社で事業統合をしたらどうでしょうか?

 不毛な競争にピリオドを打って、競争相手を同業他社から他業種、そう、あのクソ不味いハンバーガーチェーンカレーチェーンに変えるのです! 

 そうすれば無駄な値下げ競争もなくなり、従業員への待遇も改善され、きっとメニューも充実することでしょう。それでは最後に、頭上で両手を振りながら、

 頑張れ、牛丼チェーン。僕ら庶民の強い味方!

2014年5月28日水曜日

徒然なるままに、個人出版界の近況など

 いつのまにやら頬に吹き付ける風も生ぬるくなり始め、はっきりと夏の到来を感じさせる時節を迎えた今日このごろですが、しばらく、というか、このまえいつ書いたかも忘れてしまうほどブログを怠けてしまい、壁に手をかけ頭をもたげて、思わず「反省」と声を上げてしまった、KDP界のウンコザルこと、如月です。

 さて今日は、標題にあるとおり、無謀かつ僭越な題目に果敢にチャレンジしたいと思います。かつてイマガワさんが身を呈して頑張って、そして玉砕したような……

 まずはこの話題を避けて通るわけにはいかないでしょう。そう、ララノコンです。いきなりたくさんの方々が商業レーベルからデビューされました。このヤロー、じゃなくて、おめでとうございます、なのです。

 KDPではおなじみの作家さんもいらっしゃれば、そうでない方もいらっしゃいますが、さすがに狭き門(たしか応募は300を超えていたと記憶しています)をくぐり抜けた力作揃いです。

 さて次の話題は、僕が懇意にさせていただいている方々です。まずは、犬吠埼さん。重い腰を上げ、いよいよ新作の執筆に入りました。犬吠埼ナイン構想の五番目の章作品、「割られよ、凍てついた王冠よ」という新作を、現在執筆中です。きっと壮大なファンタジニーになることでしょう、完成がとても楽しみです。
 そして、幻夜軌跡さん。もうすぐです。次作は度肝を抜く、とんでもない作品になりますよ。まずはこれをご覧下さい。



 どうですか? みなさんもあまりの驚きにきっと鼻毛が飛び出したことでしょう。これぞ、幻夜軌跡の世界、なのです。おそらくあと1週間くらいで発売になると思います。これは個人出版の世界を変えます。というか、きっとここから新しい世界が始まります。


出版社の方々、唾をつけるなら今のうちですよ!

 次は、小生の愚作を飽きもせずに読んで書評を書いてくださっている、個人出版界の暴れん坊、そう、月狂四郎さんです。どうやら長編を執筆されている模様です。それも、三人称一視点らしいです。えっ、三人称一視点ってなんだって? 僕に訊くなよこのおたんこなす。知る分けねーだろ。とにかく、いろいろと難しいやつなんだよ、きっと。
 ま、冗談はさておき、これほどの筆致を誇る暴れん坊将軍のことです、世間をアッと言わせる大作になるに違いありません。

 そして最後に、僕同様、KDPエブリスタの二股をかけている婆雨まうさんです。どうやらKDP1本行くかどうか悩まれている模様。わかります。じつは僕もそうですから。KDPセレクトで70%の印税を得るためには、アマゾンに身も心もすべて捧げなければならないのです。(じつは僕も悩み中です)

 ということで、とりとめのない話で汚してしまって申し訳ありませんでした。また新着ニュースが入り次第、報告させていただきたいと思います。

 (ウンコ出版記者:如月)