2013年12月30日月曜日

今年を振り返って ――いろいろなことがありました――

 少し早いけれど、僕的な今年のベストファイブの発表です。

おい、誰も訊きたくねえよ・・・

 あー、うるさい。外野は黙ってな! ということで、さっそく始めますよ。まずは、ベスト5。

 KDP界の書評家のパイオニアと言っても過言ではないあの「音楽通・・・」さんに、拙著「出来損ないの天使」が、栄えあるNo.1の評価をいただきました。KDPが日本に上陸して間もない時期のことです。


 なんでこんな作品が、と思われた方も多いかと思いますが、実は僕もそう思っています

駄目じゃねえか・・・

 うるせえな、ほっとけよ・・・ということで、さっそくベスト4へ進みたいと思います。今年のベスト4は、そう、賢明なる読者の方々はもうおわかりですね。

わかんねーよ

 とても残念です。バカはいつまで経ってもバカということなのでしょうか。
 では改めて、今年のベスト4は――そう、ビジネスライターであるエバンジェリスト ZOROさんとの出会いです。きっかけは、メールでした。誤字脱字だらけで有名な拙著に、なんと校正をしていただいたのです。ありがたい話です。それ以来ZOROさんは、僕の新作が出る度に、しかも無料キャンペーンを実施することがわかっていながらその前の有料販売期間中に拙著を購入して、世界一誤字脱字の多いといわれる拙著を校正してくださったのです。ZOROさんなくして今の僕はあり得ないといっても、過言ではありません。でもそれだけじゃありません。ZOROさんを通じて、とても素敵な方に出会えました。実際に現実の世界で会ったわけではないのですが、その素晴らしい人となりは、その方の綴る文字からにじみ出ていました。
 でも残念なことに、その方はもうこの世にはいらっしゃいません。忘れもしない今年の9月のことです。その悲報を知らされた僕は、しばらくは筆をとろうという気力もありませんでした。でもそんな僕に渇を入れて下さったのもZOROさんです。余命幾ばくもない病床で愚輩の作品をお読みになられていたという話をうかがったときには、もう溢れる涙を止めることは叶いませんでした。この場を借りて、改めて崇高なる魂に合掌をさせていただきたいと思います。

 さて、それでは次に今年のベスト3です。ベスト3は、今年始めて参加した文学フリマです。文学という世界にまるで縁のなかった僕にとって、それはとても新鮮で、そしてとても刺激的な経験でした。しかも素敵な出会いがありました。Twitter等では存じていましたが、実際に会ってみると、感動もひとしおなのです。あのとき拝見した犬吠埼さんと幻夜さんの熱く滾る魂――きっとこの先も決して忘れることはないでしょう。いつかあの方々と酒を交わしながら熱く語る、それが僕の夢なのです。

 ではいよいよベスト2です。何を隠そう、それは、「除妖師」シリーズの創作です。春先に色々と悩み、それまでの文体(といってもゴミのようなものですが)を捨て、魂の叫びに忠実に従って書いたのが、この作品です。今でもたまに読み返すことがありますが、おそらく今の僕にはこれ以上の作品は書けないだろうと、そのたびに思うのです。

 そして最後に、今年のベスト1です。もう賢明なる読者様はおわかりですね。そう、つい先日の経験です。ほんの3年前まで小説を読むこともほとんどなかった僕が、評論家の栗原裕一郎さんや、作家の朝倉かすみさん、それどころか、作家であり教授である、あの盛田隆二さんにまでお会いし、しかも貴重なお話まで聞けたのです。
 おそらく今の僕は、ご飯を食べなくても3ヶ月は生きていけるでしょう。それくらい、でっかいエネルギーをいただきました。

 ということで、今年一年をひと言で表現するとすれば、

とても素敵な一年でした

 そして改めて最後に、僕の愚作を読んでいただいた読者の方々、共に電書の世界で頑張って下さった作家の方々、きんどうさんをはじめとする電書世界の伝道師の方々に、深く御礼を申し上げたい次第なのです。

本年はまことにありがとうございました。来年も、よろしくおねがい申し上げます





2013年12月28日土曜日

素敵な方々にお会いしました

 昨夜のことがまるで夢のようでいまだに現実の出来事として受け止められないでいる、KDP界のラストランナー、如月恭介です。

 さて、昨夜は評論家の栗原裕一郎さんと作家の朝倉かすみさんが司会を努められた「1979年—アイドル暗黒年の徒花たち」というイベントに一般参加してきました。年内最終勤務日だというのに昨日も夕刻までびっしりと働かされた社畜の僕は、体内エネルギーのおよそ80%を消費した後で都内某所へ向かったのです。
 比較的こじんまりとした会場は20人強の人たちで埋まり、しばらくの歓談の後、イベントが開始されました。(歓談と言ってもそれは会場の皆さんのことであって、誰も知人のいない一般参加の僕が借りてきた猫のように小さく固まっていたのは、言うまでもありません)

 とても楽しいイベントでした。栗原裕一郎さんのトークは知的で且つユーモラスで、一方の朝倉かすみさんは少しボケを入れた絶妙な返しをされていて、まったく飽きることのない2時間でした。

 そしてイベントが終わり、宴会へと突入したわけですが、当然場違いの僕は一人椅子に座ってハイボールを片手に、日頃見ることの出来ぬ別世界の様子にただただその羨望の眼差しを向けて眺めていました。そしてお酒もずいぶん回ってきていい気持ちになり、そろそろ帰ろうとしたときでした。ある方が僕のそばにいらっしゃって、「もうお帰りですか? もう少し楽しんでいきましょうよ」と声をかけて下さったのです。なんとその方は、評論家の栗原裕一郎さんではないですか! あまりに恐縮してその場を脱兎の如く逃げ去ろうとした僕に、信じられない事案が勃発しました。

 「どういうきっかけで?」と訊かれた僕が「朝倉先生のTwitterを読ませていただいていて・・・」と言うと、「じゃあ先生を紹介しましょう」と言って僕を朝倉さんのそばまで連れて行って下さったのです。しかし僕の驚きはそれだけじゃ済みませんでした。なんと、先生の横の席を指差し、「どうぞこちらへお座り下さい」と――

 実はなにを話したのかまるで憶えていません。それでなくとも慢性アル中で記憶力が著しく欠如している上に、極度の緊張感。それでもはっきりと憶えていることがあります。それは朝倉さんの人となり、っていうやつです。5流の物書きの僕からすればそれこそ雲の上の方なわけですが、そんな驕りや慢心など微塵も感じることのない気さくな方で、僕はすっかりファンになってしまいました。しかし僕の驚きは、まだまだそれだけでは終わりませんでした。朝倉さんの近くに座っておられた紳士が僕に話しかけてこられたのです。なんと、作家であり教授の盛田隆二さんではないですか! そしてやはり盛田さんも、とても気さくで素晴らしい方でした。有益なお話をたくさん聞かせていただいたのですが、先にも申しましたとおり、すっかり忘れてしまいました。

申し訳ございません

 でもいいんです。具体的な内容ははっきりとは憶えていませんが、とても大切なこと、そう、驚きと感動は今もはっきりと記憶にありますから。そしてそのおかげで、少し萎えていた文筆意欲もすっかり回復しました。しかし、頑張って書くぞ、と気合いを入れてキーボードを叩き始めた今日の午後、我がバカ娘が僕に悪態をついたのです。

いったいつになったら年賀状つくる気?

 現実は厳しいな、と思いながらようやく裏面を印刷し終えて、今は少しホッとしたところです。そして一息つくと、ふたたび思うのです。昨日の出来事は本当に現実に起こったことなのだろうか、と。それくらい、僕にとっては夢のような夜でした。


 
     

2013年12月22日日曜日

次の作品で世界をあっと言わせてやるんだ――いや、言わせたいです

 本当は「除妖師III」を書きたかったんだけれど、つい魔がさして、マッドな作品を書いています。(もちろん除妖師IIIも書きます。この作品の後で)
 以下は紹介文と、新作の冒頭です。
 


【魂を揺さぶる、甘く切ないマッド・ファンタジー】
 正義なのか、あるいは狂気なのか? 男は憎悪に、女は愛に突き動かされて、この世にはびこるクソ野郎どもをぶった切る。
 非情な殺戮マシーンと化した二人が紡ぐ、甘くも切ないマッド・ファンタジー。


【解説】
 好評だった除妖師シリーズに続く長編フィクション。ユーモラスな前作とは打って変わり、全編に漂うシュールでクールな狂気の世界。元格闘家でありキックボクサーでもあった著者実経験にもとづくかつてない迫真の格闘シーン(当社比)も見逃せない。(著者談)


殺人は、甘く切ない薔薇の香り

 とても静かだった。いや、何も聞こえなかった。頭の中は真っ白で、目の前の床に広がる血の池が、まるで敷き詰めた薔薇のように美しかった。その薔薇の絨毯の上で、腕と足が反対方向にひん曲がった山下が、潰れたバッタのように転がっている。すでに息はない。
 なんという恍惚感。ゆっくりとアドレナリンが希薄され、かわりに、得も言われぬ充足感が心底から沸々と込み上げてくる。
(終わったよ、美晴……)
 最後に山下の腹を踵で踏みつけると、僕は事務所の出口に向かった。
 アルミの引き戸を開けるとそこはまるで映画の中の一シーンのようで、虹色に滲んだ灯りの交錯する夜の繁華街が、静寂の中で幻想的な絵を描いている。まるで夢の中にでもいるようで、自分が現実の世界に存在している気がまったくしなかった。このまま夢の中にいたい気もしないではなかったけれど、それよりも、早くこの夢を終わらせたいと思った。僕は夢の出口を探して、高速の高架下の大通りに沿ってしばらく歩いた。
(あれだ――)
 前方に青い看板が見えた。麻布警察署――ボンヤリと浮かぶ白い文字。僕はそこに、夢の世界からの逃げ道を見つけた。あそこに行けばまた現実の世界に戻れる。迷わず僕は、そこに向かってまっすぐ歩を進めた――

「堂本、面会だ」
 看守の野太い声がした。
「はい……」
 僕は素っ気なく返事をした。誰かは訊かなくてもわかる。きっとまたあの弁護士だ。頼みもしないのに、まったくお節介な男である。
 ガラスの向こうの面会室にいたのは、やはりあの丸山という弁護士だった。委員会派遣制度とかいうやつで、先方が勝手に僕の弁護を申し出たらしい。丸山は、ホームベースのように四角い顔にかけた銀縁のメガネを指で押し上げながら、諭すように言った。
「いいですか、堂本さん。私だって、あなたを助けたいんです。でもこのままじゃ駄目だ。よくて無期懲役、下手をしたら死刑ですよ。だから、ちゃんと答えてください。あなたには殺意はなかった、そうですよね?」
 僕は黙ったまま首を横に振った。当たり前である。殺意どころか、地獄の苦しみを味あわせてやろうと思ったくらいなのだ。おかげで今の僕は充足感にどっぷりと浸り、これ以上ないほどに多幸な日々を送っている。しかし丸山はそれが気に入らない様子だ。いきなり窓ガラスを叩き、
「わかってんですか、三人も殺したんですよ! 動機もなく、ただ殺したかっただけだなんて、あり得ないでしょう!」
 顔を真っ赤にして、つばを飛ばしながら声を荒らげた。
(何を言ってんだ、こいつ。ただ殺したかっただけじゃないよ、苦しみを味あわせて殺したかったんだ)
 そう反論しようかとも思ったけれど、ますますこの男が逆上しそうなのでやめておいた。しばらくの沈黙の後、何も言わない僕にしびれを切らしたのか、丸山は顔がガラスにくっつくほどに身を乗り出して言った。
「で、今は後悔しているわけですよね? そうでしょ?」
 どうしてもそう言わせたいらしい。でも残念ながら、この男の期待には沿えない。
「いえ、まったく――」
 僕が言った瞬間、丸山は天を仰ぎ、フウーッと溜息を漏らした。そして眼鏡の奥の冷淡な目で僕を睨みつけ、感情をむき出しにしてまくし立てた。
「まったく話にならんな。あんたはそれでよくても、こっちはそれじゃ困るんだよ。僕たちはね、人の命を勝手に裁く現代の法制度にメスを入れたいんだ。だから、君には頑張ってもらわなきゃ困るんだよ!」
(知るか、そんなもん)
 こんな独りよがりの偽善に付き合うほど、僕はお人好しじゃない。
「もういいでしょうか――」
 僕が迷惑そうに言うと、丸山は眉を斜めにひん曲げ、
「ったく、少し冷静になって考え直しておいてくださいね。じゃあ、また来ます」
 そう言って、重そうに腰を浮かせた。
(二度と来るな)
 口の中で悪態をつくと、僕もゆっくりと腰を浮かせた。

 独房に戻り、畳の上に寝っ転がって、窓の外の景色に目をやった。景色と言っても、単調に広がる空が見えるだけだ。青い空に白い雲が、綿菓子を伸ばしたように薄く膜を引いている。ここへ来て二週間、僕の心はその秋空よりもずっと晴れやかだった。もしかするとあのとき吹き出たアドレナリンが、憎悪も後悔も、それどころか生への執着心までをも、すっかり洗い流してしまったのかもしれない。
 その日の午後は珍しく、というかここに収監されて初めて、弁護士以外の面会者があった。例のように面会室の前まで行くと、ガラスの向こうに見慣れぬ顔があった。引き締まった大柄の身体を折り曲げるようにして、初老の男が窮屈そうに椅子に座っている。看守が言った。
「牛島さんだ」
 聞いたこともない名前だ。白髪混じりのその初老の男は、無駄のない精悍な顔を無理やり崩して、ぎこちない笑みを浮かべた。
「やあ、堂本さん。初めまして、牛島といいます」
 名前を名乗られても、どう反応していいかわからない。僕が曖昧に「はぁ……」と小さく答えると、牛島というその男は看守に向かって、
「悪いけど、ちょっと外してくれるかな」
 そう言って顎をしゃくった。看守は大きく首を縦に振り、逃げるように小走りで去って行った。
(なんだ、また弁護士かよ……)
 僕が勝手にそう決め込んだのには、理由がある。一般の面会には必ず看守の立ち会いが必須であり、例外が許されるのは弁護士だけなのだ。たちまち不機嫌になった僕は、言葉遣いや態度まで露骨に変えてみせた。
「なんの用でしょう――」
 ぶっきらぼうに僕が言うと、牛島は目尻に皺を寄せて苦笑いを浮かべ、
「ずいぶんと迷惑がられているようだな」
 そう言って、両手を顎の前で結んだ。そのいかにも横柄な態度に、ますます僕は気分を害した。
「弁護なんていりませんから、放っといてもらえませんか」
 吐き捨てるように僕が言うと、牛島はその顔に笑みをたたえたままジッと僕の目を見つめた。
「なるほど、私を弁護士だと勘違いしたわけだ。残念ながら、私には君を弁護する資格なんてないし、そのつもりも全くない」
「じゃあなぜ――」
 なぜ看守が席を外したのか、それにいったい何をしに来たのか、と訊こうとする僕の言葉を遮り、牛島は僕の顔を覗き込んで訊ねた。
「で、後悔はしていないのかね?」
「何を?」
「山下たちを殺ったことだよ」
「…………」
 予期しない意外な問いかけに、僕は少し戸惑った。牛島はさらに顔を突き出して、
「どうなんだ?」
 責めるような目で僕を見つめた。
「まったく――」
 僕が冷めた声で返すと、
「うん、それでいい」
 牛島は、さも満足げに大きく頷いた。
 このあたりから、僕の頭は少し混乱し始めていた。そしてその後に続いた牛島の話が、その混乱にますます拍車をかけた。
「それでいい。でも君は大きな勘違いをしている」
「勘違い?」
「ああ、とんだ勘違いだ。山下なんて下っ端を殺って溜飲を下げてるようじゃ、話にならんってことさ。君のやったことは、ただのトカゲの尻尾切りに過ぎないんだ」
 いつのまにか牛島の顔から笑みが消え、かわりに射るような鋭い眼光が僕の目を捉えて放さない。
「別に溜飲を下げてるわけじゃ……」
 僕が口の中で言葉を籠もらせると、牛島はくっつきそうなほどに顔をガラスに近づけた。
「いや、そうだ。君はあれですべてが片付いたと勘違いをしているんだ。いいか、よく聞け。また被害者が出たぞ――」
「被害者?」
 ハッとして僕が訊き返すと、牛島は思わせぶりに腕を組み、大きく後ろへふんぞり返った。
「自殺だ。二十歳の女子大生。理由はまったく同じだ。そう、川上美晴のときとな。そして警察は何もできない。これも同じだ」
(な、なにを言っているんだ、この男は?)
 いや、言っていることはわかる。でもそんな話をどうして僕にするんだ――山下らをなぶり殺したおかげで、せっかく無の境地になれたというのに……
 混乱する僕にかまわず牛島は続けた。
「かわいそうに……まだ二十歳だぞ、人生まだこれからだというのに。しかも本人にはまったく非がない。遺書もなく、完全な無駄死にだ。悔しくてしょうがなかったろうに――」
 身体が震え始めた。動揺を悟られまいと必死に堪えようとしたけれど、今度は奥歯までもがガチガチと音を立て始めた。すっかり忘れていたあの吐き気にも似た不快なうねりが、心底からとぐろを巻いて蘇ってくる。しかし牛島は容赦なかった。
「いいのか、このまま放っておいて? 連中はなんとも思っちゃいない。数ある商品の中の一つが消えたに過ぎない、かわりを見つけりゃ済む、それくらいにしか思っちゃいないんだ」
 僕はとうとう震えを堪えきれなくなった。嗚咽を抑えながら声を振り絞った。
「ぼ、僕に、どうしろと――」
「君はどうしたい?」
 突然訊ねられ、僕は少し戸惑った。でも楽になる方法は、もうそれしか思い浮かばなかった。
「そ、そいつらを、ぶっ殺してやりたい……」
 僕が言った瞬間、牛島は目を大きく見開き、顔を前に突き出した。そして低い声で囁いた。
「よかろう、君の希望を叶えてあげようじゃないか。但し、条件がある」
「条件?」
「私の部下になることだ。そうすれば、君の思いどおりに連中を殺らせてあげよう」
 牛島はそう言ってニヤッと笑った。僕はその顔をジッと見つめた。この男がいったい何者なのか、どうして僕にそんなことを打診するのか、わからないことだらけだ。ただ一つだけわかったのは、僕には他に選択肢がないということだ。僕は震える声を絞り出した。
「――やらせてください」
 その瞬間、僕の未来が決まった。この世にはびこるクソ野郎どもの鮮血に染まった、薔薇の香り漂う素敵な未来が――

 それから三日後、娑婆に出てアパートに向かう僕は、思わず肩をすぼめた。街路樹の葉はすっかり枯れ落ち、吹き付ける風には乾いた冬の臭いが香る。
(そうか、もうすぐクリスマスなんだ……)
 すべての過去を捨て去るついでに、季節までをも忘れてしまっていたようだ。牛島から渡されたしわくちゃの手紙を片手に、ようやく目的の場所に辿り着いた。そこは横浜駅から歩いて二十分ほどのところにある、異臭を放つどぶ川沿いに建った朽ちかけのモルタルのアパートだった。玄関はない。赤茶色に錆びた鉄製の外階段を、音程の揃わない甲高い音を冷たい空気に響かせながらゆっくりと昇る。廊下を進み、三つ目のドアの前で立ち止まった。表札に目をやる。
(ここだ……)
 速見真一――横長の白いプラスチックに書かれた見慣れぬ楷書体の黒い文字。そう、それが僕の新しい名前だ。少し月並みなようにも思えるけれど、意外と尖った感じもして、けっして悪くはない。封筒から鍵を取り出し、さっそくドアの鍵穴に差し込んだ。ドアノブに手をかけそれを手前に引いた瞬間、青臭い畳の臭いが鼻腔をくすぐる。木枠の窓から差し込む柔らかい陽射しが部屋の隅々まで照らし、六畳ほどの狭い空間を、まるで昭和六十年代の青春映画を想わせるような懐古的な絵に仕立て上げている。幸いにも陽当たりは悪くはなさそうだし、一人で住むには十分な広さだ。
 僕は白いスニーカーを脱ぎ、畳の上に足を踏み出した。ツルッとした真新しい感触が素足に伝わり、新しい時間の胎動を感じさせる。
 部屋の中は閑散としていた。左の壁際に黒いスチール製のベッドがあるだけで、それ以外には何も見当たらない。僕は部屋の中を進み、カーテンのない窓を開けた。
(う、うっわーっ)
 あわててまた閉め直す。とんでもない臭いだ。汚物と海藻を混ぜたような、この世のものとは思えない絶望的な悪臭。きっと目の前のどぶ川が犯人に違いない。よくもこれで『リバーサイド・ハイツ』なんて名乗ったもんだ――誰に言うでもなく悪態をつくと、僕は壁際のベッドに向かった。
 硬いベッドの上に横になり頭の下で両手を組んでまどろむ。しばらくすると耳元で懐かしいメロディーが流れ始めた。白鳥の湖、いや、くるみ割り人形だっただろうか――音楽にとんと疎い僕にはよくわからなかったけれど、聞き慣れた曲であることには間違いない。音のする方に顔を傾けると、ずいぶんと小型のスマホが、その黒いボディーを小刻みに振るわせていた。きっと牛島からに違いない。慌てずゆっくりと手を伸ばす。
「もしもし――」
『やあ、どうかね、久しぶりの娑婆の空気は?』
 やっぱりそうだ。感情を無理やり押し殺したような低い声、牛島は続けた。
『ゆっくりしたまえ、と言いたいところだが、そういうわけにもいかない。時間が経てばそれだけ犠牲者が増えることになるからな。さっそく今夜から活動を開始してもらおう。夕方、君の相棒をそこへ行かせる。話は彼女から聞いてくれ。それじゃあ――』
 電話がぷつりと切れた。言いたいだけ言っておいてまったく勝手な男である。それにしても、いったいどういうことだ? 相棒? 彼女? まるで要領を得ない僕はもう一度スマホの画面に視線を戻した。
(午後三時か――)
 いずれにしても、あと数時間もすればわかることだ。僕はそれ以上詮索するのをやめて、ふたたび顔を天井に向けて目を閉じた――



2013年12月12日木曜日

個人出版が成功する一つの形 ―幻夜軌跡さんの新作に思う―

 年末になり仕事もあれやこれやと忙しくなってきた最中、目覚まし時計の騒音の件で娘と大喧嘩をしてしまい、心身共にボロボロの如月です。さて、今日は僕の話を聞いていただく前に、このブログを読んでいただきたいと思います。幻夜軌跡さんのブログです。

幻夜軌跡のブログ(のぎのぎ出版) 『疎外』アップロードしました!

 幻夜さんの新作発表のお知らせなわけですけれど、読む進めるうちに、僕には個人出版のあるべき未来の姿が見えてきたような気がします。キーワードは、以前にもブログで申し上げた『品質の担保』です。

 執筆の後しばらく時間をおいて自分の作品を読み返すと、実はいろいろなことが見えてきます。それは構成の甘さであったり、文章の稚拙さであったり、あるいは不十分な状況描写であたりするわけです。しかし実はこの”しばらく時間をおく”という作業はとても無駄なことであり、決して必要ではないような気がするのです。一人でやろうとするからそうなるわけで、白紙の状態の第3者がいれば、リアルタイムでそれを実現できるはずです。

 僕はよくは知りませんが、商業出版の世界ではおそらくそれが当たり前のようになされているのではないかと推測します。そう、著者と出版社の担当の方との間でです。そしてそれが結局、作品の『品質の担保』に繋がっているのではないでしょうか。

 もしそうであれば、商業出版にあって個人出版に欠けている決定的なもの、すなわち『品質の担保』は、今回の幻夜さんのような試みによって補完できる可能性があると思います。

 商業出版のインフラを介さずに、フリーの作家推敲(校正)担当者イラストレーターが作品を仕上げ、そしてそれを世に出す。まさに電子書籍時代の一つのあり方のような気がしてならないのです。

 僕はオタクで対人関係が大嫌いな人間なので幻夜さんのようなチャレンジは出来ませんが、是非とも幻夜さんには成功していただいて、個人出版という世界の勝利の方程式を完成していただきたいと願うばかりです。

2013年12月11日水曜日

個人作家の時給

 こんな話をすると気分を害する人がいることを百も承知で書きます。ついつい気になったのです。個人作家の労働に対する報酬は時給に換算するといくらなのだろう、と。
 もちろん個人作家といっても、様々です。アマゾンで年間なんとか賞に入賞したあんな人もいれば、僕のようにそれを鼻毛を抜きながら他人事のように眺めている間抜けもいます。なので今日は、その間抜けを例にとって検証してみたいと思います。

 先月、今月は売上げがとても好調でした。ですからこれは本来の僕の姿ではないことを前置きして話を進めます。(よろしいですね、税務署殿)

 先月の有料本の売上げはおよそ300冊でした。今月は10日が終わって50冊強。ということは、今月末には100冊から150冊になるものと予想されます。来月はさらに減って50冊か、いっても100冊まででしょう。そして再来月は新作の発表がありますのでふたたび300冊を目指すと。(本当かよ、おい・・・)
 以上から推測するに、一ヶ月当たりの平均売上げはおよそ170冊です。これがすべて250円の本だと仮定すると、1冊当たりの利益が170円ですから、1ヶ月の総収入が3、170円X170冊=3万円弱。

 次はいよいよ時給の計算です。3ヶ月に1作のペースで長編を発売することを前提としていますから、1日の平均執筆時間は2時間ほどでしょう。と言うことは1ヶ月で60時間。もう簡単ですね。

30,000円÷60時間 = 500円/時間

 サルでも出来る計算です。そうです、時給は実は500円だったのです。これが高いと考えるか安いと考えるかは、人それぞれでしょう。もちろん各自治体が決めている最低時給(800円強)には遠く及びませんが、メリットもたくさんあるのです。

1.実は趣味であって、収入はおまけに過ぎない
2.誰に指図されることもなく自由である
3.時間に縛られることなく、書きたいときに書けばいい

 これで最低時給の6割以上ものお金まが貰えるなんて、素晴らしいですね。複雑で難解な計算に敢えてチャレンジした甲斐もあったというものです。
 しかし忘れてはいけないことが一つあります。それは、

必要経費です

 パソコンや一太郎といった執筆に必要な設備投資は一切考慮していません。それよりも何も、僕の場合は、実はもっと大きな必要経費が隠されているのです。そう、頭のいい読者さまなもうおわかりですね。

酒です

 発泡酒を1日2本、ウィスキーを1週間にやはり2本、これがなければ小説なんて絶対に書けない僕にとっては、まちがいなく必要経費です。そうやって色々と考えてみると、

実は時給どころか大赤字

 なわけですね。

 やっぱり計算なんてしなきゃよかった、といまさら後悔している情けないオヤジでした。

2013年12月8日日曜日

ワールドカップのもう一つの魅力

 いよいよ組み合わせが決まりました。僕は「おー」っと声を上げずにはいられませんでした。なんとあのコロンビアが同組ではないですか。僕の脳裏に、あの’94の、熱く、そして狂気に満ちたワールドカップが想い起こされたのです。

 あの頃、南米に一人の天才サッカー選手がいました。金色の髪をなびかせ、ピッチの上で魔術師のようにボールを操る天才。彼の名はバルデラマ。優勝候補と言われたコロンビアは、そのほとんどのゴールを彼を介して奪っていたのです。しっかりとボールを保持して、3、4人ものディフェンダーを引きつけて放つ、あのマジックのように意表をついたパス。もはや芸術です。でも彼が率いるコロンビアは、前評判も虚しく、予選で敗退してしまいます。

 今でも忘れません、あのオウンゴール。それは初戦でルーマニアにまさかの敗戦を喫した後の、絶対に負けられないアメリカ戦でのことでした。ゴール前に放たれたクロスに足を伸ばしたアンドレス・エスコバル、無情にもボールはコースを変えて、ゴールに吸い込まれてしまいます。悲しいことにコロンビアのワールドカップはそれで終わってしまいました。でも本当の惨劇が起こったのは、その後です。

 当時は(今は知りませんが)コロンビアは異様なサッカー熱に包まれ、しかもとても治安が悪かったのです。敗退した選手たちは身の危険を察して祖国に帰ることを諦めました――ただ一人を除いて。その一人とは、そう、あのオウンゴールをやらかしたアンドレス・エスコバルです。彼は言いました。

「僕には、祖国に帰ってきちんと釈明する義務がある」

 
 残念ながら、それは美談になることはありませんでした。コロンビアの郊外のバーから出てきた彼に、無数の銃弾が襲いかかりました。英雄になるはずだったスポーツ選手が、たった一つのミスで命を奪われたのです。とても悲しい話です。でもサッカーというスポーツは、それほどまでに人々の心を鷲づかみにして離さない、想像以上に恐ろしくも魅力的なスポーツなのです。

 来年のワールドカップは、いったいどんなドラマを生むのでしょう? まさに筋書きのないドラマ、それは決して美談だけでは終わらない、ときには胸を締め付けるような悲しい物語をも紡ぐのです。

今は亡きエスコバル選手に、哀悼の意を込めて、合掌

 

2013年12月3日火曜日

あるよね、未だに死にたくなる恥ずかしい想い出って

あるのかよ?

 うん、死ぬほどたくさん。まず最初に頭に浮かぶのが、小学校低学年のときの夏の切ない想い出。そう、ラジオ体操の朝だよ。歩いて5分の小学校に行くときから、人の視線が気になっていたんだよね。でも当時は今にもましてバカだったから、ちっとも気づかなかったんだ。体操が終わって家に帰って母ちゃんに、

「このばかたれっ!」

 そこで始めて気づいたってわけだよ。パジャマの上に半ズボンをはいていたことに。

「…………」

 で次が、そうだね、これもやっぱり小学校低学年のときの夏の切ない想い出。当時僕の家は農業兼雑貨屋をやってて、アイスキャンディーも売ってたんだ。あれだよ、食べた後で木の棒に『あたり』って書いてあるともう一本貰えるやつ。そんで僕は考えたんだ。自分で書いたら良いじゃん、ってね。チャレンジ精神に満ち溢れていた僕は、さっそく実行に移したよ。そう、マジックで書いたのさ。でもとても残念なことに、脳の発育がずいぶんと悪かったせいか、僕は字が書けなかったんだ。それでも一生懸命書いておやじに渡したら、グーで殴られたよ。

「な、なんで?」

 鏡で映したように、字が左右反対だったんだよね。

「…………」

 次はなんだっけ……そうだ、あれだ。お漏らしだ。これもやっぱり小学校のときのことなんだけど、当時から僕はとても謙虚で、自分勝手な都合を人に押しつけることが出来なかったんだ。であるとき授業中に急に尿意をもよおして、でも先生に言えなくて、気がついたら僕の椅子の周りが小便だらけになっていたってことさ。泣ける話だろう?

「…………」

 そして次は、いきなり飛んで大学生。えっ、なぜ急に飛ぶのか? 聞くなよ、恥ずかしい。記憶を無くしてすっかり忘れちまったからに決まってるだろ。で、大学に入って、僕は初めてデートってやつをしたんだ。でも生まれ育ったのが辺りに田んぼしか無い田舎で、しかも高校時代は応援団、僕はそういうことにまるで要領を得なかったんだ。さらに悪いことに大学で寮に入った僕の周りも同じような田舎者ばかり。愚かな僕は奴らに訊いたよ、どこに行けば良いかなって。

そりゃ、六本木のアマンドだろ。ちょー有名らしいぜ

 迷わず行ったね、アマンドに。そしてコーヒーを飲んださ、その子と二人でね。もちろん、その子とはそれっきりさ……

 最後に、昨日の話をして終わりにしようかな。朝通勤電車に乗ってて、やたらと他人の視線が気になったんだよね。そう、グッと僕の顔を見入る熱い視線。おや、突然キムタクみたいなイケメンになっちゃったかな、ボク? なんて思いながら会社について、トイレで用をたして、そんで鏡を見たわけだよ。驚いたね、ボクは。

「どうしたんだよ?」(棒読み)

口の周りが歯磨き粉で真っ白だったんだよね。あー、恥ずかしい。

――大変失礼いたしました。すべて本当の話です

2013年11月23日土曜日

偽装の放置に憂う、おっさんの戯れ言

 最近話題の食品偽装。ニュースを見る度に絶望感にうち拉がれている今日このごろです。
しかも巷では、騙される側の問題点(ブランド指向)を論じたり、騙されないように偽装食材を見破る方法を説明したりと、まるでとんちんかんなことに焦点を当てる馬鹿者まで現れる始末なのです。

なんと情けない・・・

 問題は偽装食品を騙されて買ってしまった消費者の損失にあるわけでは決して無いのです。そんなことは容易に騙された自分を恥じ入れば済むことです。
 じゃあ何が問題なのか? それは、嘘をついた者勝ちという、極めて民度の低い文化を助長していることです。実際に食品偽造は数年も前から行われていたわけで、高価な食材を正直に使用していた業者は、当然不利な競争を強いられてきたわけであり、この不況の中で営業を諦めたところだってあるかもしれません。とんだ不公平です。
 もちろん、嘘をつきたくなる気持ちもわからないわけでもありません。なにしろ、誰も彼もが嘘をついて安い材料を使っているのですから。自分たちだけだ正直にやっていたらとても競争には勝てないわけであり、利益至上主義の経済論理に乗っ取れば嘘もつきたくなろうというものでしょう。じゃあ何が問題なのか? 答えは簡単です。

偽装を野放しにしてきた行政であり、監督義務を怠ってきた消費者庁です

 勝手に嘘をついて好きにやってください、と言わんばかりの野放し状態。さらに驚くべきことは、これだけの大問題(もはや国内に留まらず、海外でも日本神話が崩壊しつつある)になっているにも拘わらず、未だに偽装の有無を自己告発に頼っているということです。企業の自浄努力に期待するのだそうです・・・

バカです。ほんとうのバカです

 正直者が損をするという最低の文化を増長していることに、まるで気づいていないのです。あちこちでメニューの書き換えや過去の偽装の隠匿がこっそりとが行われていることを、この鈍感なおっさん達は知っているのでしょうか?
 消費者庁に比べれば税務署は極めて立派な仕事をしていると思います(もちろん好きではありませんけれど)。針の穴をも見逃さない、ときには穴が無くてもあると言い張る、あの職務に対する責任感は半端じゃありません。しかも見つかったときの罰則がとてもきつい。だから企業は常日頃から脱税を犯さないように神経を尖らせているのです。意図的で無くとも、仮に処理を間違えて結果として脱税になってしまっても、誰も許してはくれません。誤表示でした、などとしらを切ることなんて決して許されない、とても厳しい世界なのです。
 こういうところは、是非とも消費者庁にも見習って欲しいものです。場合によっては税務監査に同行するのも良いかもしれませんね。仕入れから販売まで取引証憑をくまなくチェックするわけですから、偽装なんて容易く見破ることが出来るでしょう。

 ということで、きょうはとても堅い話になってしまいました。皆さんも、嘘だけはつかないように気をつけましょう。と言うことで今日は――

ちょっと待てよ、おっさん!

 な、なんでしょうか?

嘘ついただろ

 へっ? な、なんのことですか?

知ってんだよ。3ヶ月以上も前に出版した本を、『新着』って嘘ついて出し直しただろう

 ち、違うんです。あれは、システムのせいなんです。価格を変更したら、勝手に発売日がリセットされちゃって、それで・・・だから、あれは嘘じゃなく、誤表示なんです。

おめえもあのおっさんと変わらねえじゃねえか・・・

2013年11月16日土曜日

電子書籍時代の、勝利の方程式

おいっ!

 な、なんだよ・・・・

なーにが勝利の方程式だ! 業界のラストランナーのお前の話なんぞ、聞きたくもないわっ!

 まあ落ち着きなよ。せっかくためになる話をしようとしているんだから。いいかい、僕にはわかったんだよ。書籍ビジネスの向かうその先が。鍵は、品質の担保だね。

品質の担保?

 そうだよ。例えば本を読もうとするとき、君は何を基準に選ぶ?言っとくけど表紙がエロいとかは無しだからね。えっ、世間の評判

とても良い答えだね

 で、ほかには? 出版社? それも悪くないね。日和見主義で主体性のない君らしい考えだ。でも間違ってはいないよ。世間の人の大半はそうなんだから。そして、まさにそこに勝利の方程式が隠されてるってわけさ。その秘密を解く鍵が、君の言った世間の評判出版社という言葉に隠されているわけだ。

 実際これまでは、書店の目立つところに並べられた大手出版社の本が飛ぶように売れたわけだ。でも決して面白いから売れたわけじゃない。なにしろ読み終わるまではその本が面白いかどうかなんてわからないわけだからね。じゃあなぜ人はそれを買うのか?

面白いに違いない、からだよ

 大手出版社の厳しいフィルターにかけられ、とことんチェックされた作品、、しかも書店がコストをかけてまで売り出す作品。それだけで面白さが担保されていているわけだよ。だから人は安心してその本を買う。その次に来るのが、世間の評判さ。まずは人に読まれなきゃ、評判も何もあったもんじゃないからね。

まさにお前の本だな

 ・・・まあね。で、そこで次代の電書ビジネスの話になるわけだ。まずは出版社。これは今言ったように、電書の世界においてもとても重要な役割を果たすと思うよ。でも従来とはその存在意義が大きく変わると思うんだ。なにしろ、製本や流通といった機能はどんどん必要なくなってくるわけで、一方で、良作を発掘してそれを磨き上げる能力が、今まで以上に重要になってくる。つまり作品の質が今まで以上に重要になってくると思うんだ。なぜならば、電書時代になるとネットの存在がとても大きくて、評判を思うようにコントロールできなくなってしまうからだよ。好評にしろ悪評にしろ、瞬く間に世間に広まってしまうからね。

 そういう時代に対応するためには、紙の本の製造や流通に割いてきたリソースを出来るだけ早く縮小し、代わりに、創作に対して今まで以上にリソースを投入した会社が成功をおさめるんじゃないかと思うんだ。この出版社の作品なら、きっと面白いと、品質を担保できる会社こそが、より成功をおさめるんじゃないかと。

 でも、よくよく考えたら、それは従来の出版社じゃなくても出来ることなんだよね。むしろ製造や流通といったよけいな負の資産がない分だけ、却って新参者にチャンスがあるのかもしれない。要は、良作を厳選し、それを完成させる能力、さらに言えば、それを売り込む広告宣伝の力。もちろん、世間から認められるには時間がかかるだろうし、すぐには成功しないだろうけど、品質を担保できることがいったん認知されれば、新しい形態の、いわゆる電書販売元として確たる地位を築けるかもしれないよ。
 
でも、メガネにかなわない君のような個人作家は、ますます居場所がなくなるね

 まあそういうことさ・・・だから今のうちにたくさん作品を書いて、次代が訪れるまでの短い春を謳歌しようってわけさ。

だから、もう僕のことはほっといてくれ
   

2013年11月9日土曜日

インタビュー:個人出版で注目の、あのおっさんに聞く

なんだよ、このタイトル・・・

 いや、誰もインタビューしてくれないんで、自分ですることにしたんだよ。じゃさっそく。

〈今回のインタビューは、除妖師シリーズで文壇に旋風を巻き起こしている、KDP界のサラブレッドこと、如月恭介さんです〉

 
              

お、おい、いきなり今流行りの偽装かよ・・・

 あー、うるさい。外野は無視して、さっそく始めるよ。


Q-1:年齢や、職業等、お話いただける範囲で構いませんので如月恭介さんについて教えてください。

 歳は100歳、仕事はうたた寝です。


Q-1:ご、ご趣味は?

 酒です。一人で飲むのが好きです。えっ、銘柄? マッカランですね。ネットリとした上品な甘さの中に香る、スパイシーなビート臭。もうたまりません。あ、それからラフロイグも好きです。劇薬にも似た荒々しい香り、喉を焼くような刺激が僕を涅槃へと誘うのです。

Q-2:(そのまま涅槃で成仏しろよ・・・) で、除妖師を書かれたきっかけは?

 きまってるでしょ、そこに白紙の原稿用紙があるからです。まっさらな原稿用紙を見ると、素敵な文字で埋めて魂を入れたくなってしまうんですね、僕は。(`・ω・´)

Q-3:(いっぺん死ねよ、おっさん・・・) 好きな作家は誰ですか?

 浅田次郎さんに、奥田英朗さん。赤川次郎さんや、阿部寛さんやキョンキョンも大好きです。

Q-4:(おい、作家じゃない人が混じってんじゃねーかよ・・・) 作品を書く上で心がけていることはありますか?

 冷蔵庫のビールが空になっていないか確認することですね。あ、それから、煙草の買い置きをチェックすることも、とても重要です。

Q-4:もしあなたの作品が紙の本として書店に並ぶとして、この本の隣に並べて欲しいというような本を、3冊挙げてください。

 出来損ないの天使、優しい悪魔、ハンター

い、いえそうじゃなくて、他の方の作品を・・・

 出来損ないの天使、優しい悪魔、ハンター!

・・・Q-5:次の作品の構想がありましたら、教えてください
 ポップでビビッドなマッド・ファンタジー

はあっ? なんですか、それ?(゜Д゜)

 だから、ポップでビビッドなマッド・ファンタジー! 読んだら鼻血が出るような、エキサイティングでマッドな異次元世界! 心臓の弱い人は、ぽっくり逝かないように気をつけな!

 こ、ここでインタビューは強制終了とさせていただきます。読者の皆さま、大変お見苦しいものをお見せしましてまことに申し訳ございませんでした。

 

2013年11月8日金曜日

諸行無常、まるで売れなくなってしまいました (ノД`)・゚

「こ、このやろー!」

な、なにパソコン叩いてるんだよ?

 いや、どうも壊れちゃったみたいなんだよね。

壊れた、って?

 KDPの売上レポートの画面が、凍りついたように動かなくなっちゃったんだよ。こ、このやろーっ!

お、おい、それって……

 ――売上ゼロが1日以上続いて、壊れたのはパソコンではなく僕のほうでした。諸行無常、ほんの数日前まではあれほど嬉々としていたのに、いきなりこれです。売れた原因も、そしてパタリと売れなくなった原因も、結局はわからずじまいです。元来営業センスのなさを自他共に認める僕のことです、この先も永久にわかることはないでしょう。いずれにしても、創作から出版、プロモーションに至るまでの全てを自分でこなさなければならない個人出版の難しさと非情さを、ひしひしと感じる今日この頃です。

P.S でもなぜかランキングはほとんど変わらない、というかむしろ上昇しているのも解せないですけれど。(除妖師IIまで、一時300位台になってしまいました) まあ、そもそもアマゾさんのランキングの仕組みも良くわかっていないわけですが……

後述:どうやらアマゾン側の問題でレポートが更新されていないだけのようです。お騒がせしました。

さらに後述:やはり止まってしまいました。あっというまに祭りは終わってしまったようです。しょうがありません、これが現実。次作で頑張ります。

2013年11月4日月曜日

文学フリマは、甘くて酸っぱい柑橘系

 文学フリマに行ってきました。

 要領を得ないまま入り口で無料の冊子をいただき、いざ会場へ。

(ひえー!)
 いきなり圧倒されてしまいました。すごい数のブースです。しかも圧倒的に若者が多い。ジジイはすっかりビビってしまいました。でもせっかく足を運んだことだし、勇気を振り絞ってブースを見て回ります。
(オーマイガッ……)
 凄まじい数の本、しかもみんなしっかりと製本されていて、とてもりっぱ。順番に見て回るうちに、KDPでもご活躍の方々も数名発見! まずは犬吠埼一介さん。そう、あのツイッター界の暴れん坊将軍です。
(おやっ?)
 どうも様子が変です。暴れん坊将軍の席に、背筋をぴーんと伸ばした文学青年が座っているではないですか。表情も少しというか、かなり緊張気味です。もちろん僕は挨拶に立ち寄りました。

驚きました

 なんという礼儀正しい好青年。しかも、本をただでくださると言うではないですか。もちろん、お金を払いましたよ。

本当かよ……

 本当です。普段は十円でさえケチる僕ですが、今日の僕はひと味もふた味も違います。ビシッと五百円玉を渡しましたとも。戦利品↓


 そしてそのブースのすぐ近くに、見慣れた名前が。そう、幻夜軌跡さんです。黒いTシャツ一枚で、立ちっぱなしで声を張り上げています。さっそく挨拶に向かいました。

感動しました

 なんという好青年。爽やかで、しかも漲る熱い闘志がひしひしと伝わってきます。きっと近い将来大変な大物になるに違いないと、僕は確信しました。戦利品↓


 コンビニの戦士達外伝は、おまけで貰っちゃいました。申し訳ございません。<(_ _)>

 手ぶらで行ったせいであまり多くの本は買えませんでしたけれど、それでもすごい掘り出し物も見つけました。例えば、


 紫仙という方の作品ですが、僕なんかよりも10倍上手で、10倍面白いです。これもそうです。


 幻想銀座というファンタジー系ライトノベル合同誌なんですけど、すごく完成度が高いです。すっかり感心。

というか、お前が駄目なんじゃねーのか?

 そうです。色々と見て回りましたけれど、みんな僕よりも上手で、面白い作品ばかりでした。最初は立ち直れないくらいにショックでしたけれど、次第に闘志が湧いてきました。そして決めました。来春は、僕も参戦します。

は、恥かくぞ、おい……

 いいんです。ジジイだって負けていられません。これから頑張って、恥ずかしくない作品を書くのです。
 でも問題は、本です。本なんて創ったこともないし、作り方も知りません。それにずいぶんとお金もかかりそうだし……

 と言うことで、これから本の作り方を勉強して、お金も貯めます。お陰様で除妖師が(僕的には)売れまくり、恐ろしいことに今現在〈Kindleストア 有料タイトル - 237位〉です。しかも除妖師IIまでもが〈Kindleストア 有料タイトル - 576位〉
 夢でも見ているかのようです。まあ、もう二度とこんなことはないでしょうけれど。で、これで稼いだ、いや、皆さまに買っていただいたお金で、本を作ろうと思います。

待ってろよ、文学フリマ

 と、今からやる気満々なのです。

2013年11月1日金曜日

出来損ないの天使、無料キャン-ペンのお知らせ

 日曜日の夕方まで無料キャンペーンを実施中。僕の作品の中では一番売れた小説です。


 地球に取り残された一人の創造主(神)の独善的な欲望と、それに翻弄される青年の葛藤を描いたSFファンタジーです。

2013年10月29日火曜日

祭りの後 -KDP無料キャンペーン、後日談-

 ここのところ急に寒さが増し、1ヶ月くらい暦をスキップしたような気候になりました。
 さて、先日終了しましたきんどうさん主催の第3回一斉無料キャンペーン『Kindle1周年杯』ですが、2日間でのDL数が約520と、僕にすれば出来過ぎとも言える結果に終わりました。ランキングが3位となっていますが、実際は4位です。終わり際にたまたま晴海さんを追い越してしまったためで、総DL数では圧倒的に劣っていますから。(ちなみにNo.1の晋太郎さんは800超えらしいです。恐ろしい話ですね)

 さて先日も述べましたように、問題なのはその後です。ではどうなったのか? 以下が、キャンペーン後の(現時点での)販売数(概数)です。

          2日後  3日後   4日後 ・・・ 6日後  7日後
 □ 除妖師    35冊   50冊   57冊     79冊   96冊
 □ 除妖師II    12冊   21冊   24冊     32冊   39冊

 ※青字は後日追記 4日目にして早くも完全失速状態に・・・
 ※と思ったら、6日目にまた少し盛り返し
 ※7日目、なぜか勢いが止まらない

 除妖師の35は、まあキャンペーン2日後としてはありきたりの数字ですが、問題なのは、除妖師IIです。除妖師のキャンペーンの520DLユーザーのうち、実際に読まれた方はおそらく50人程度と思われます。ということは、その続編である除妖師IIは、その50人のうちの僅か4分の1の方にしかご購入いただけなかったことになります。とても哀しい事実です。それにしても、なぜなのでしょう?

言わせるなよ・・・面白くなかったからに決まってんだろ

 とても残念です。連載ものというのは、知りたくもない事実を容赦なく露呈する恐ろしい悪魔ですね。しかし、悔やんでいても仕方がありません。事実は事実であり、おかげですっかり踏ん切りがつきました。次作は除妖師IIIをやめて、新しいジャンルにチャレンジすることにしました。テーマはずばり、

マッド・ファンタジー

 です。殺人を題材にしながらも、それでいてポップビビッドなファンタジーという荒技に挑戦するつもりです。これも連作ものにする予定すが、第一話を書き終えたらいったん除妖師IIIに戻るかもしれません。(実は除妖師はIIIから、世界を股にかけて弾けまくる予定だったんです)

未練がましい奴だな

 許してください。除妖師と除妖師IIを書き続けたこの5ヶ月間、すっかり主人公になりきっていただけに、簡単には諦めきれないのです。それに、作者の意図を超えて勝手にアドリブで暴れ回った登場人物たちにも、少なからず思い入れがあります。とは言っても、読んで貰えなければただのゴミです。いや、ゴミ以下です。ということで、次作こそは頑張ります。そして世間をアッと言わせてやります。

アーッ、と言われるのがおちだな・・・

 まるでわかっていませんね。毎度言いますが、重要なのはチャレンジです。まだ誰も経験したことのないような、ポップでビビッドな狂気の世界。これも3ヶ月でかき上げますので、是非期待して待っていてください。

P.S と、空元気で吠えまくっていますが、さすがに少し疲れました。できればしばらく冬眠していたい気分です。

2013年10月26日土曜日

無料キャンペーンに思うこと -中間報告と御礼と今後-

 出だしは悪かった無料キャンペーンですが、次第にペースも上がり、1日目が終わってかつてない結果を残すことが出来ました。皆さまのおかげです、本当にありがとうございました。もう1日残していますが、経験的にもそろそろ終息に向かうことでしょう。

 さて、ここからは僕の根拠のない勝手な理論に元づく現状分析と将来予想です。

 まず、無料キャンペーンでダウンロードされた方のいったい何名が実際に作品を読まれるのか? ずばり僕は、

10分の1くらい

 だと思います。理由は? 単純です。僕がそうだからです。有料で買った本は必ず読みますが、無料本を読むのはそれくらいなのです。いわゆる”つんどく”ってやつですね。

 現時点でおよそ390DL、最終的にはおそらく450~500くらいになることでしょう。ということは、4,50人の方に読んでいただける計算になります。

素晴らしいことです。

 有料でもこのくらい買っていただければウハウハなんですが・・・

調子に乗るなよ!

 失礼いたしました。さて、実は今回の無料キャンペーンには、僕にとってはとても重要な意味があるのです。それは、読者の方々の評価を如実に計れる、ということです。
 キャンペーン自体のDL数は作品の価値とはまったく無関係であり、目立った作品がDLされるだけでしょう。有料では売れない本が無料になった途端にDLされるという事実が、それを物語っています。
 それでも、僕にはとても意味があるのです。その答えは、”連作”というキーワードに隠されています。
 以前も書きましたように、今回対象の作品”除妖師”は連作ものであり、すでに続編"除妖師II”を発売しているわけです。こちらは有料で250円、つまり1作目が面白くなければ絶対に買わないわけですね。
 ということはです、もし万が一、この先除妖師IIが売れなければ、本作除妖師は★1つの評価、いや、それ以下だというわけです。出来れば知りたくない事実ですが、それが現実なのだから仕方がありません。仮に今回の実際の読者が50人程度として、僕的には、この先2週間で20冊売れれば大満足です。いわゆる★3つってところでしょうか。その場合にはおそらく除妖師IIIを書き始めることでしょう。でももし10冊に満たなかった場合は、

潔く諦めます

 それが今の実力なのです。いつまでも執着していても何も生まれません。心機一転、まったく新しいジャンルにチャレンジしたいと思います。優柔不断と思われるでしょうが、

実際、そうなのです

 文章が下手で、表現力に欠ける僕が生きる道は、”成長”しかないのです。湯水のように湧き出る妄想を表現する筆力をいかに伸ばすか、僕にとってはそれがとても重要なことなのです。

 ということで、無料キャンペーンに火蓋を切った僕の戦いは、今始まったばかりです。

えらそーに・・・

 失礼いたしました。

2013年10月25日金曜日

『除妖師』、無料キャンペーン開始 #KDP  #Kindle1周年杯

 KDP上陸1周年を記念したきんどるどうでしょうさん主催のイベントに参加し、拙著「除妖師」の無料キャンペーンを実施中です。日曜日の夕方までとなります。



 この機会に是非!

P.S
 先日の告知どおりではありますが、これまで有料でお買いいただいた読者の方々に、深くお詫び申し上げます。
 http://kyousukekisaragi.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html

 また除妖師IIにつきましては、今後もキャンペーンをする予定はありません。

2013年10月23日水曜日

幸せを感じるメカニズム

 台風が一度に2つもやってくるというのに、金曜日にゴルフを命ぜられたとても哀れな社畜です。

 さて、今日はとても深くて小難しいお話をさせていただきます。と言っても、いつものように答えはありません。というか僕自身が今もなお、いえ、おそらく生きてる間ずっと悩み続ける命題かもしれません。

 ところで、皆さんはどういうときに幸せを感じるでしょうか? えっ、道でお金を拾ったとき?

とても寂しい人生ですね

 ちゃんと警察に届けましょう。話を戻しますと、僕は最近、そのことがようやくわかりかけてきたような気がします。幸福感というのはあくまでも相対的な比較の中で覚える感情であって、決して絶対的な境遇に対して覚えるものではないと。

 例えば年収2千万円の人と500万円の人がいたとして、どちらが幸せだと思っているか、それはこの数字だけでは計れないはずです。じゃあ、相対的ってなんだ?

 一つは、昨日と今日。或いは、他人と自分。昨日まで30万円だった給料が32万円になった――多くの人が喜ぶでしょう。でもそれは32万円という数字に喜んでいるのではなく、今までよりも2万円増えたことに喜んでいるわけです。或いは、同僚よりも少し多く貰っていることに喜んでいるわけです。

とても寂しい人生ですね

 永久に幸せになることはないでしょう。なにしろ、いつかその32万円が基準になってしまい、そのまま変わらなければすっと幸福感を覚えることが出来なくなってしまうのです。

 ここで話を変えて、僕の小説の話をさせていただきます。えっ、聞きたくない? それは困った人ですね。そういう人はさっさと寝て、明日も世界一不幸な自分を楽しんでください。

失礼だろう!

 申し訳ございません、言い過ぎました。さて話を戻しましょう。先日新作を発表した私は、しばらく執筆を休んで悠々自適に仕事の余暇を満喫する予定でした。でも残念ながら余暇はキャンセルとなり、すぐに次作に取り欠かざるを得ない羽目になってしまいました。なぜ? 答えは簡単です。

幸せになりたいからです

 じゃあ、幸せってなんだ? 1万冊売れたら幸せなのか? ★5つがズラズラッと並んだら幸せなのか?

 今の自分から見れば、それは幸せに違いありません。でも、仮にそうなったら、きっと幸せなんて感じないでしょう。逆にその後に出した本がそれよりも少なく、例えば千冊しか売れなかったとしたら、自分が世界一不幸だと思ってしまうかもしれません。バカな話です。今の僕からすればとても素敵なことなのに。でも実際これまでそういうことを繰り返してきたわけです。

 そんなことをつらつらと考えながら、僕はようやくそのことに気づきました。そう、幸せを感じるメカニズムです。人が幸せの尺度としているのは、

期待値と現実との比較

 なのではないかと。こうありたい姿と現実の姿、その差異が人を不幸にしたり幸せにしたりする。もしそうであるとすれば、幸せになるのは簡単です。そう、

期待値を低く設定する

 これだけでいいのです。昨日までの自分や、他人との比較は一切やめて、自分がこうありたいという姿だけを比較対象とする。その”こうありたい”という姿も、出来るだけ手の届く現実的な範囲にとどめる。そして重要なのが、その期待値を変えないということです。千冊を期待値としたならば、仮に1万冊売れても期待値は変えない。そうすれば幸せでいられるわけです。でもたいていは1万冊売れたら次の期待値を5万冊にしてしまう。そこから不幸が始まり、よく芸能人にありがちな、過去の栄光に苛まれながら崩壊していく人生を歩んでしまうわけです。これも僕から見れば、不思議でなりません。売れなくなった芸人と言ったって、僕なんかからすれば、それでも十分成功者なわけですから。

 よく学校や会社で、「目標は高く設定しなさい」などと偉そうにいう奴がいますが、そんなものは無視です。そういう教えが人を不幸にし、思いやりに欠けた利己的な人間を生んでしまうのです。自分はバカで無能なダメ人間なんだ。そう思い続けることが出来れば、人生はバラ色に変わるに違いありません。

ほんとかよ・・・で、お前はバラ色なのか?

 毎晩泥酔し、次第に脳が溶けてきて、バラ色と言うよりも、むしろ桃色です。でも、これはこれで幸せなのです。

 

2013年10月22日火曜日

KDPでの無料キャンペーンの効用

 先週の土曜日の会社のボーリング大会での奮闘が災いし、今頃になって腰痛に苦しめられている、運動不足の老いたオタクです。

 さて、今日も前回に引き続きKDPに関するお話を少しばかり。テーマは、無料キャンペーンです。

 ところで、読者の皆さんは無料キャンペーンでダウンロードした本をどうされていますか? ぜんぶ読んでいる?

それは素晴らしい、読者の鏡です

 でもそういう人は、実はあまり多くはないんじゃないでしょうか? 実際、僕もそうです。というか、ほとんど読みません。仮に読んだとしても、たいていは途中で放置してしまいます。面白くないから? いいえ、違います。

貧乏性だからです

 無料だとついついダウンロードしてしまう。でもそこでもう満足してしまって、読まないうちに書庫にたまる一方。でもお金を出して買った本は違います。勿体ないからと、多少面白くなくても最後まで読もうとする。そして読んでいるうちに次第に面白くなってくることもしばしば。その頃には無料でゲットした本のことなんてすっかり忘れてしまっている。埃は被らないけれど、メモリを食いつぶすただのゴミとなっているわけです。
 つまり、僕たちが無料キャンペーンをやっても、そして何百ダウンロードされたとか言って喜んでいても、実はそれを読んでいる人はほとんどいないのです。

じゃあ、無料キャンペーンなんて意味ないじゃん

 ふうっ・・・あなたは個人出版の厳しさが何もわかっちゃいませんね。いいですか、何もしなければ一冊も売れないこともあるのです。運良く書評のサイトに取り上げていただければ別ですが、これだけ個人出版が増えてくると、それすらも狭き門です。

だから無料キャンペーンなんです

 仮に400部ダウンロードされたとすれば、そしてもし10人に1人くらい奇特な方がいたとすれば、その本は40人くらいの方に読んでいただけることになるのです。
 しかも無料キャンペーンの効果はそれだけじゃありません。というか、こっちの方が重要です。それは、キャンペーン終了後に一時的に本がたくさん売れるということです。これはとても重要なことです。なにしろ有料で売れるわけで、おそらく貧乏性に違いないその読者たちは、その本を最後まで読まれることでしょう。

失礼だろう

 すみません、つい口が滑ってしまいました。

 ところで、無料キャンペーンンをやった後にどうして本が売れるのでしょうか? 最初は僕も不思議でなりませんでした。実はいまだにはっきりとはわかっていないのですが、その答えは、ランキングアフェリエイトさんにあるような気がします。

 無料キャンペーンで販売数が上位に食い込むと、アマゾンでのランキングが上がります。そして上位ランクの本は、アフェリエイトさんの目に留まり、突然のように露出が増えるのです。そして露出が増えると売上げが増し、書評サイトに取り上げられる可能性も高まります。こうなると、もうウハウハです。でも勘違いしてはいけません。

決してあなたの作品が評価されたわけじゃありませんから

 ただ目立っただけなのです。そしてここで調子に乗っていると、その後の反動に再起不能なまでに打ちのめされるハメになります。2週間もすればまったく売れなくなり、しかも、もしあなたの作品が駄作であったとしたら、もう二度とその人はあなたの本は読まなくなるでしょう。それどころか、お金を払って、しかも貴重な時間を費やして、場合によってはあなたへの殺意が芽生えるかもしれません。

それ、おまえだな――まちがいなく

 ・・・だから後で後悔しないように、無料キャンペーンは自分の一番の自信作でやった方がいいと思います。それで駄目だったなら、あきらめもつくというものです。

 僕なんて、いったい何度諦めをつけたことでしょう。でも結局は諦めきれずに、サルのように同じことを繰り返しているわけです。そのたびに読者を怒らせ、きっと巷には、僕への殺意が溢れ返っているに違いありません。

 出来るだけ外出を避け、どうしても、というときは、なるべく明るくて人通りの多い道を選ぶ今日この頃です。

2013年10月18日金曜日

KDPが上陸して1年が経とうとしています

 実はまだたったの1年なんですね。言われるまでまったく気づきませんでした。それにしても、とても長い一年でした。電子書籍に対する過剰な期待から始まって、そして挫折を経験し、今は次第に落ち着き場所を見つけ始めているといったところでしょうか。いずれにしても、紙や電子を問わず、出版という業界そのものが縮小していることだけは間違いないのではないでしょうか。

 読者の数は限られていて、各人が読む書籍の数にも限りがある。数的なパイがさほど変わらないのに、消費者単価はどんどん下落する。市場が縮小するのは当たり前ですね。そして当たり前のようにその被害を被るのは、物理的媒体に関わる人たち、すなわち、印刷・製本・販売店の人たちでしょう。

とても寂しいことです

 でもこれだけはどうしようもありません。結局は、音楽業界の辿った道をなぞるようにして突き進んでいるということなのでしょう。

 そんな中で、僕たち個人作家はどうなっていくのでしょうか? 聡明期とも言えるこの一年は、とても素晴らしい年でした。かつては誰にも読んで貰えなかった本が売れ、各所で書評を貰い、この先のバラ色の世界に夢を馳せた年でした。でも僕は、

それもそう長くは続かない

 と思っています。電子化による価格下落で、次第に商業出版の作品と個人出版の作品との価格差は縮まっていくでしょう。そんな中、限られた時間で読む本を選ぶ上で、敢えて無名の個人作家の作品を手に取る人は、ごく少数なのではないでしょうか。実際、最近はそういう雰囲気が感じられるようになってきました。例えは悪いですが、ジャンクフードに飽きて、そろそろまたレストランに戻ろうかな、といった。

 でも、個人作家が活躍できる可能性がないわけでもないと思います。鍵を握るのは、僕は評論家だと思っています。特定の利権に染まらず、無理に持ち上げることもせず、思ったことをズバッとストレートに切り込む。読者はその書評を読み、納得した上で個人作家の作品を読む。この納得感が信頼を生み、マニアックな探究心がニッチなマーケットを創造する。そういった中からブレークする作家や作品も生まれ、それがまたそのニッチ市場を刺激する。

 だから、この場を借りて是非ともお願いしたいのです。読書好きのあなた斜め視線の嫌な奴のあなた

今こそ、個人作家の評論家として大成するチャンスなのです

 ブログをつくって書評を書いてみてはいかがでしょうか? 個人作家の作品を評論する人はまだ少数です。今こそが、いや、今しかありません。もちろん結果の責任は負いませんし、僕の作品の悪口だけは書かないでくださいね

――結局それかよ・・・やっぱり、最低な奴だな

 小説書くのをやめて、評論家になろうかと思い始めた如月でした。

2013年10月16日水曜日

アロマテラピー

 台風による悪天候をいいことに十時過ぎに出社したら、何事もなかったように皆が仕事をしていて、今日はとても気まずい思いをしてしまいました。それにしても日本人、生真面目すぎます。まあ、そこがいいところなんですけれどね。

 さて、新作の発表も無事終えて、今は少し気が緩んでいます。こういうときは、酒を飲みながら”アロマ”の香りに耽るに限ります。そう、アロマオイルです。何を隠そう、実は私、アロマ・フェチなのです。

おまえのフェチ自慢なんてどうでもいいよ・・・

 
 ・・・さて、どのくらいフェチかというと、このくらいです



 大したことないとおっしゃられる方もいるかとは思いますが、そんなあなたは、

きっと病気です

 さっそく明日にでも病院に行った方がいいでしょう。といっても、僕にはその必要はありません。なにしろ、自分が病気であることをしっかりと自覚していますから。

 で、今日の話はというと、”なぜ人は香りに幸せを感じるのか”という、とても深い話です。アロマに限らず、世の東西を問わず、人類は太古より様々な香りに惹かれ、香りと共に暮らしてきました。その理由を簡単に言ってしまえば、”癒やし”であったり、”恍惚”であったり、あるいは宗教的な儀式における、いわゆる”トリップ”効果であったりするわけですが、(とりあえずトリップはおいておいて)なぜ人は香りに癒やしや幸せを感じるのか、そこのところを考察してみたいと思います。

 一般的に言われているのは、アドレナリンドーパミン、あるいはセロトニンといったホルモン(カテコールアミンという化学種に分類される)の分泌を促進する、というものです。こいつらが中枢神経に作用して、人をいい気持ちにさせるというわけですね。なんとも素敵なやつらです。と、喜んでばかりはいられません。それじゃあ、薬物とかわらないじゃないか――

 さっそく調べて見ました。その結果、

実はよくわかっていないようです

 しかも怪しい煽り文句がやたらと目立ちます。例えば「依存症にはアロマテラピーで癒やしを」とか。科学的根拠なんてもちろんありません。もう売りたくてしょうがないといった感じですね。

どこかにもいたな、そういう物書きが

 ・・・結論から言うと、よくわかりません。でも決して安心もしていられないようです。もちろん僕は続けます。なにしろ、あんなに買い込んじゃったわけですから。もったいなくて捨てる勇気もありません。

 ということで、まったく役にも立たない話になってしまいましたが、安易に快楽を求めることは常にリスクと背中合わせ。それだけは注意した方が良さそうです。

えっ、いまいちピンとこない?

 わかりました。そういう人には、この本がおすすめです。賢明なる読者ならもうおわかりですね。そう、除妖師IIです。実はこの作品の副題は、「快楽の代償」なのです。薬物の恐ろしさに斬新なるメスを入れた、今話題の問題作ですね。

お、おいっ・・・

 ただし残念ながら、この本だけを読んだだけではなんのことやらさっぱりわかりません。そんなあなたにおすすめなのが、第一話目の除妖師です。これであなたの素敵な未来も約束されたに等しいでしょう。

今度はマルチ商法かよ・・・

 いえ、違います・・・幸せ宅配便なのです。たったの¥349で幸せが買えると思えば、安いものです。ということで、なんだか新興宗教のいかがわしい霊感商法みたいになってきたので、これでやめておきましょう。要するに、今日は自分のアロマ自慢をしたかっただけなのです。

ほんっと、最低なクズだな

2013年10月12日土曜日

新作発売のお知らせ

 このたび、新作「除妖師II」を発表いたしました。




 本作は、あの大好評だった

嘘付け

 ……やや好評だった前作「除妖師」の続編で、主要登場人物はそのままで、前作を遥かに超える力を持った妖術師たちが暴れまわります。脱法ドラッグを題材に、人間の魂や、愛憎に対する小生なりの疑問を投げかけた作品です。といっても、答えはありません。

だめじゃねーか

 そう、だめです。でもダメな人間が書いたのですから、ダメで当たり前です。それに薀蓄めいた説教や押し付けの意見を書くつもりは毛頭ありませんし、書こうと思ったって書けません。なにしろ頭の中はアルコールが蔓延していてほとんど壊死状態ですから。

 本来であれば、さらに続編を、といきたいところですが、本シリーズは本作を持って一旦終了とさせて頂きます。理由は聞かないでください。

不評だったからだろ

 ……違います。長編を1作書き上げるのに3ヶ月、仕事以外の時間のほとんどを費やし、途中で投げ出したくなることも多々あります。それを克服して書き上げる為には、モチベーションが必要なのです。でもシリーズものの場合、これがとても難しいのです。以前も書きましたが、1作目が売れなければ2作目は絶対に売れないわけですから。正直、今のままモチベーションを維持する自身はありません。

だから、売れなかったんじゃねーか

 ……とても残念です。いつか日の目を見るようなことがあれば、3話目以降に取り掛かりたいと思います。(すでに3話目のプロットは作成済みで、本来であれば最低でも4話まで書くつもりだったのです)

 さて次作ですが、実はまだ決まっていません。クリスマスに向けて少し短めの恋愛物もいいかな、とか、ブレードランナーのような幻想的なSFもいいし、あるいはノルウェーの森のような自己回想的な文学作品も面白いな、とか色々思案中です。

むりだよ

 ……重要なのは、チャレンジ精神です。かのジョブス氏もそう言っていました。(たぶん、嘘です)
 とにかく、もう少し考えてから決めたいと思います。なにしろ、一旦決めれば3ヶ月間もの貴重な時間を費やすわけですから、納得がいくまで妥協はできません。(実際、過去3作もゴミ箱に捨てる羽目になりましたから)

 ということで、新作「除妖師II」をよろしくお願いいたします。なに、前作をお読みでない?

それはいけませんね

 さっそくアマゾンで購入しましょう。ちなみに、近いうちに前作の無料キャンペーンを実施しますが、もちろん今すぐ買って頂いてもかまいません。いや、むしろ買っていただきたい。(¥99ですし)


買わねーよ

 とても残念です。じゃあ無料キャンペーンまで待って、ダウンロードでもしやがれ――いや、してください。

 いずれにしても、今夜は、とても酒が美味いのです

2013年9月29日日曜日

連作ものに隠された、身の毛もよだつような罠

 今日は娘のたっての願いで、ホームセンターに出かけることになりました。目的のブツは、虫かごと虫取り網です。久しぶりに車に乗り込み、キーを回して――あれっ? 

 ウンともスンともいいません

 おかしいなあ――でも何度やっても駄目です。どうやら、ご臨終なされたようです。まだ10年弱しか乗っていないのに、とても残念です。(もうすぐ車検も近いというのに、出費がかさむ一方です) しかも娘には無能呼ばわりされてしまうという、それはもう散々な一日でした。

 さてそんなこともありつつも、本日、無事に新作の草稿を書き終えました。ピッタリ300ページ、ほぼ予定どおりです。これから二週間ほどかけて推敲を行う予定です。

 それにしても今回の執筆は多難続きでした。一番の問題は、モチベーションです。そしてその問題は、今回の作品が連作ものだということに起因しています。(僕にとっては連作ものは今回が初めてです)

 バカな僕は、2話目を書き始めるまではそのことにまったく気づいていませんでした。そして本作の執筆に入ったとき、ハタと思ったのです。ニュートンの法則よりもわかりやすい、その自然の原理に。

 誰も読まないんじゃねーか、もしかして

 当然の疑問です。連作ものの第2話は、第1話を読んで始めて読むものです。と言うことは、1話目が不発に終わったら、2話目も間違いなく失敗に終わるということです。そしてとても残念なことに、その1話目は、

 恐ろしいほどに、不発に終わってしまったのです

 これでは2話目の執筆に気合いが入ろうわけがありません。でも何とか頑張りました。そして自分なりには納得のいく作品を書き終えることができました。まあ実際には、これから最も過酷な推敲が待っているわけですけど……

 さて、そんなこともあって、今回僕が考えさせられたことがあります。それは、

 リスクとリターンです

 連作ものというのは、書く側にとっては、実はとても楽なのです。なにしろ主要な登場人物は一緒で、悪い言い方をすれば、1話目の使い回しがきくのです。それに1話目で物語や人物の背景は出来上がっているわけで、2話目からはよけいな説明も省けます。だから愚かな僕は、密かにほくそ笑んでいたものです。

 やっぱ、連作ものだよな、これからは

 まったくのバカ者ですね。そこに隠された大きなリスクにまるで気づいていなかったわけです。

 ということで、除妖師は第2話でいったん終了させていただきます。次に何を書くかはまだ決めていませんが、また作風をガラリと変えて、まったく新しい分野にチャレンジしようかとも考えています。

 逃げてんじゃねーのか、現実から

 違います。もう一度言いますけれど、チャレンジです。

 では最後に、2週間後くらいに発表する予定の新作、「除妖師II」の表紙デザインがほぼ固まりました。これからまだ少し手を入れる可能性もありますが、まずはご紹介まで。

 

2013年9月27日金曜日

神にもの申したい

 今日は、どうにもやるせない気分です。その方が先月他界されたことも知らずに、ふざけたエッセイを書き続けていた自分が、とても恥ずかしい。

 きっかけは、某ビジネスライーターさんでした。この際なので明かしてしまいますが、僕の作品を推敲していただいているのは、この方です。アマゾンにはとても厳しい書評もいただいていますが、だからこそ嬉しいんです。本当に読んでいただいている、それがひしひしと伝わってきます。

 話を戻すと、その方はこのビジネスライーターさんのお知り合いで、僕の作品や晴海さんの作品を読んで、素敵な感想をブログに載せておられました。二年も前に末期がんの宣告を受けたとはとても思えない、常に人の心を思いやる優しい言葉。

 だからこそ、許せない

 神に言いたい。あなたは何がしたいのか。人間の心を弄んで笑ってるだけじゃないのか? あなたにしてみれば、たしかに人間は愚かで取るに足らない生き物かもしれない。でも僕は言いたい。

 あんたこそ、なんだんだよ

 万能? 全知? ふざけるな! 悪しきものを世にはびこらせて、美しき魂を闇に葬る。とても我慢なりません。

 今日は、これでやめておきます。あまりのショックに、頭が変になりそうです。最後にひと言だけ言わせていただきます。

 おい神よ、改心するなら、今のうちだからな

2013年9月26日木曜日

日本語にまつわる恥ずかしい話

 ここのところブログのアクセス数が順調に増え、いよいよカウンターが7千の大台を突破しました。ありがたいことです。

 自分でクリックしてんじゃねーのか

 いいえ、違いますっ!

 さて今日は、日本語にまつわる話題です。といっても、真面目な話は期待しないでください。なにしろ、幼少の頃から国語がまるで駄目で、いまだに自分のペンネームさえ漢字で書けない有り様なのです。だから今日の話は、僕のおかした恥ずかしい失敗談です。

 3年前から小説を書き始め、当時は、漢字はおろか、まともに口語と文語の区別もつきませんでした。それに1人称と3人称の表現の違いも、はっきりいってよくわかりませんでした。(実はこれは、今でもときどき錯乱しますが)
 そのくせ玄人ぶって、少し気取った表現や、ちょっと難解そうな表現を無理やり使おうとしたものです。そう、

 能のない見栄っ張りがよくやることですね

 嫌なことは酒を飲んで忘れる特技を持ち合わせているおかげで大概のことは憶えていませんが、ときどき想い出しては死にたくなる失敗があります。例えば、

 狐につつまれる

 お、おい……毛皮にくるまれてどうするつもりだよ……

 あるいは、

 的を得る
 
 標的を手に入れても、何も良いことはありませんね。ちゃんと射らなきゃ。もっとひどいのになると、

 こともあろうか

 なんだか2つの言い回しが、いつのまにか頭の中でくっついちゃったんですね。

 でも小説を書こうと思わなかったら、いまだにこれを使っていたわけです。きっとみんなは僕のことを馬鹿にしていたんでしょう。陰でこっそりと。とても恐ろしい話です

 さて、これらは言葉自体が間違っているわけですが、それとは別に、意味を取り違えていたものも多数あります。たとえば、

 僕の小説は、すべからく人気がある

 もう、まるで意味がわかりませんね。でも、ほんの少し前までは、僕の中ではこれで意味が通じていたんです。ほんとにおそろしいですね、無知って。

 おめーだけだよ

 まだまだ知らないところで、恥ずかしい過ちを犯しているに違いありません。でもそんななかで、一つだけ良いことを学びました。それは、

 漢字の使用を極力避けて、できるだけひらがなで書く

 もちろん、読みやすくするためでもなければ、情緒豊かに表現しようというわけでもありません。ただ単に、漢字の誤用を避けるためです。でも人はそうは思いません。

 おっ、村上春樹ふうじゃん

 も、申し訳ございません、春樹さま。けっしてそんなつもりじゃ……

 ということで、今日も洒落たオチもなく終わります。あっ、それと最後に――

 ブログのアクセスは順調なんですけど、本の売上げがさっぱりで……

 あなたの見ている画面の右上に、そう、そこの右上です。何やらちっちゃな絵があるますね。赤と白のそれです。あ、何も考えなくて良いんです。それをかるーくクリックして、そうです。後は”購入”ってボタンを……

 死ねよ、おっさん

 大変失礼いたしました。


【お詫び】

 狐に――の表現に、さらに誤りがありました。とても恥ずかしい話です。こっそりと修正しておきましたこと、ここにご報告させて頂きます。
 

2013年9月23日月曜日

かの隣国が、ずいぶんともめているようです

 すっかり過ごしやすい気候になりました。と言うか、少し肌寒いくらいです。かく言う僕も、今日は迂闊に昼寝をしてしまい、風邪をひいてしまったようです。とんだバカ者ですね。

 さて今日は、本来は触れないはずの政治ネタです。もちろん無知な僕のことですから、少々、というか、かなり的を外れていることをご承知おきのほど。

 皆さんもご存じのように、えっ、ご存じない? それはとても残念です。もう一度小学校からやり直しましょうね。

 早く次に進めよ

 大変失礼いたしました。で、多くの皆さんがご存じのように、中国は今、一大スキャンダルで大もめです。そう、これですね。

 薄熙来元重慶市書記に判決、無期懲役=収賄、横領、職権乱用で

 ニュースによれば、5000億円くらい溜め込んじゃったらしいです。そう思うと、この判決も別に驚くことでもないようにも思えます。でも、僕は驚きました。一つは、その処罰です。とてもあの国の判決とは思えないほど、軽いのです。贈収賄に関して、よく言われることがあります。それは、中国は収賄に厳しく、アメリカは贈賄に厳しい。そしてこの日本は、両方に分け隔てなく厳しい。その収賄に厳しい中国にあっては、上級公務員の収賄は、ほとんどが死刑なのです。だからこの判決だけでも驚きなのですが、さらに驚くべきニュースが舞い込んできました。これです。

 「不公正だ」薄被告、判決直後に大声でどなる

 中国国内では伝えられていなかったようですが、どうやら香港紙がすっぱ抜いたようです。真偽のほどは別として、もしこれが本当だとしたらと、また僕の妄想が膨らむわけです。

 おいおっさん、いい加減にしろよ

 無視しましょう。で、興味深いのが、「不公平だ」という言葉の真意です。取り方によればそれは、「俺だけじゃないだろう」ともとれます。だとしたら、大変なことな訳です。なにしろ放っておいたら、他の共産党幹部たちにも飛び火しかねないわけですから。大騒ぎになるのもわかろうというものです。でも僕は、この言葉には他の意味の可能性もあるんじゃないかと、邪推したわけです。

 酔っ払ってるだけじゃねーのか?

 はい、鼻からウィスキーが零れ出そうなほどに、酔っ払っています。話を続けましょう。僕が思ったのは、この言葉は中国の裁判のあり方に対する批判じゃないのか、ということです。つまり、一方的に権力者側の意見だけを聞き入れ、その権力者の邪魔になる人間の意見は無視をする。それを指して不公平といったんじゃないかと。一説によると、この薄被告は共産党の権力争いに敗れたと言われていますから、あながち的外れでもないような気がするのです。それにもし口封じをしたいのなら、死刑にしない意味がよくわかりません。

 この先どういう展開になるのか、目が離せませんね

 ところで、目が離せないと言えば、これもそうです。そう、あのジャンケン大会です。青春のすべてを賭けて戦う乙女のマロン。なんと素敵なことでしょう。それだけでも十分素敵なのに、もっと素敵なニュースが舞い込んできました。

 じゃんけん大会“ヤラセ説”一蹴 秋元才加「本当にガチの勝負」

 いったい誰なんでしょう、この熱くも美しい戦いにケチを付けたのは。とても残念でなりません。そういう人たちは、改めてこの言葉を読んで、反省していただきたい。
 
 本当にガチの勝負。勝ちたいって気持ちがこうやって叶うんだなって
 
 お、おい……他に頑張ることがあるんじゃねーのか……勝ちたいって気持ちが、って、その気持ちがあるなら、ジャンケンじゃなくて、もっと他の――

 おおっっと、つい本音が漏れてしまいました

 でも、AKBファンの方々には内緒ですよ。殺されかねませんからね。もちろん、僕の娘にも内緒でお願いします。

2013年9月20日金曜日

全然関係ない話ですが、表紙を変えました

 拙著「除妖師」の表紙を変更しました。理由は、値下げしたにも拘わらず、

 ちっとも売れない

 からです。実はこの作品には非常に思い入れがあって、今のお寒い状況をどうしても放っておくわけにはいかなかったのです。
 その思い入れとは――

 元気です

 科学技術が発展し、コミュニケーションの環境が驚くほど整備され、もう何も言うことがないように思えますが、本当にそうなのでしょうか? なんだかみんな疲れてしまって、元気がないように思えるのです。

 おい、お前が一番元気なさそうに見えるぞ……

 そのとーりです。もう、まるで元気がないのです。そこで僕は考えました。元気の出る小説は書けないものか、と。いろいろ考えたあげく、それは常識から乖離していて、でももしかしたら、実際にあってもおかしくないファンタジーに違いない。そういう結論に達しました。しかもそれは、徹底的に明るくなきゃならない。そこで僕は、ある方法を考えました。それは、

 酒を飲んで書く

 ということです。妄想が極限まで膨らみ、空でも飛べそうな気分で書けば、根暗な僕でも夢のある物語が綴れるんじゃないかと。決して、好きで毎日酒を飲んでるわけじゃありません。小説のためなのです。

 うそつけ……

 はい、申し訳ございません。完全にうそをついてしまいました。ただ、朝書くのをやめて夜に集中したのは事実です。もちろん毎日酩酊状態です。だからしょうがないのです。多少の誤字脱字も。だって酔っ払ってんですから。

 多少じゃねーよ

 そうでした。ということで、新しい表紙をご紹介しましょう。ついさっき酒を飲みながら一時間もかけて作成した大作です。小細工はやめて、シンプル&ポップでまとめてみました。これで売り上げも百倍くらいになることでしょう。明日からが楽しみです。ちなみにアマゾンで更新されるのは明朝あたりになるかと思います。でわ。

【後日談】

 売上カウンターを見て、凍り付いています。カウンターが壊れてしまったのでしょうか? ちっとも動きません……

 いいんです。もう慣れていますから。打たれ強くなったどころか、パンチドランカーになってしまいました。

法人税の引き下げについての、サルの戯言

 やけにお月さんが綺麗だな、と思っていたら、どうやら中秋の名月だったようですね。暦に疎い僕は、さっぱり気づきませんでした。

 さて今日のお話は、法人税の引き下げに関してです。

 おい……

 ご心配も、もっとも。サルに語れる話じゃないことは、重々承知。でも、やめません。

 さて、いよいよ消費税の引き上げがほぼ確定し、それに呼応して、法人税の引き下げが濃厚になってきました。素晴らしいことです。これで企業の懐も温かくなり、皆さんの給料もばっちり増えることでしょう。――ということで、今日はお終い。

 では、ちっとも面白くありませんね。しょうがないので、無理やり話しを歪曲させましょう。さて、法人税の引き下げで、本当に給料はばっちり上がるのでしょうか? 

 わかりません、そんなこと。僕に訊くだけ無駄というものです。

 ふざけんな、ぼけっ

 どこからか、罵声が聞こえてきました。しょうがないので、少しだけ無い知恵を絞ってみます。

 ご存じのように、皆さんの給料は人件費――つまり経費です。経費には税金がかかりません。だから給料をたくさん払えば払うほど、企業が負担する税金の額は減るのです。もちろんその分、利益も減ります。でもその減り方は、税率が高ければ高いほど少ないのです。

 おかしーじゃねーか

 はい、おかしいですね。企業にとっては、税率が高いほうが、給料をたくさん払う価値があるわけです。わかりにくければ、極端な例で説明させていただきましょう。例えば会社の利益に対する税率が100%だったとしましょう。そうすると、利益はぜーんぶ税金で持っていかれます。あなたが経営者だったらどうします? 僕だったら、利益の分をぜーんぶ社員に給料として支払います。当たり前ですね、どっちにしても、会社に残る利益は同じ(ゼロ)なんですから。

 じゃあ、なんで法人税を下げるんだよ?

 勘違いしてるんですね。あるいは、勘違いさせているわけです。法人税を下げれば企業の業績が上向いて、給料も増えて、景気も上向く、と。

 嘘です

 けっきょく誰が得をするのか? 答えは簡単。お金持ちです。法人税を下げれば、当然企業の利益は増えます。そのおかげでハワイ旅行を満喫できるのは、残念ながら、しがないサラリーマンである皆さんではありません。

 おい、失礼だろう!

 はい、たいへん失礼いたしました。で、話を続けます。ハワイでビキニの女性を眺めてニヤニヤできるのは、資本家であり、あるいは成功報酬で懐の温まる一部の役員連中だけなのです。会社の利益が出れば出るほど儲かる彼らが、仮に税率が下がったとして、社員への給料を増やす理由は、かのアインシュタインでさえ見つけるのは困難でしょう。

 これ以上書くとわが身も危なくなりそうなので、もう終わりにしたいと思いますが、それにしても困ったものです。

 収入がなければ所得税を払う必要もない。ここのところ本の売れ行きもさっぱりで、僕にとっては税率なんて、実はどうでもいいことなのです。税率が上がろうが下がろうが、

 何も変わりませんから

【追記(9月29日)】

 法人税引き下げの概要が明らかになってきました。大枠としては、
 1.設備投資減税
 2.賃金増に対する減税の対象枠の拡大

 一見、おー、っと思いますね。これで給料もばっちりアップなのか? 

 いえ、とても残念です

 2は、”賃金を3%上げれば、増やした分の1/10を減税する”というもので、企業にとって食指の動くものとは、とても思えません。それよりも、経営者は1の設備投資減税に目がいくでしょう。詳細はまだ明らかになっていませんが、例えば従来なら5年かけて償却する設備投資を一括で経費算入できるとなると、これはインパクト大です。儲かっているときなら、「どうせ税金で持っていかれるなら今のうちに設備を増強――」という気にもなろうというものです。給料を上げるよりも設備投資が先決、となりかねません。まあそれでも、景気高揚効果はありそうです。なにしろ設備投資をすれば、何らかの需要が発生するわけですから。でも、皆さんの給料は、きっと変わらないでしょう……結局得をするのは、

 大株主を始めとした資本家

 なのです。たぶん、きっと……

2013年9月17日火曜日

素敵なニュースに感動しました

 あいかわらず小説の売り上げはさっぱりですが、ブログのアクセス数がそこそこ伸びて、複雑な心境の今日この頃です。

 さて、先日、感動的なニュースが世間を賑わせました。

 濁流飛び込み、男児救出=中国人留学生、とっさに―大阪

 中国人留学生が溺れていた小学生を助けたという話です。しかも台風の影響で増水した、濁流でうねる川に飛び込んでです。とても出来ることじゃありません。というか、ほとんど自殺行為に近いでしょう。このニュースを見て色々と思うことのあった人も多いと思いますが、小生もその一人です。

 極力、政治的な話題には触れないことにしている小生ですが、今日は右足のつま先だけ、ほんの少しそこにさわってみたいと思います。

 さて、小生のように長く生きてきたじいさんにとっては、今の両国、つまり日本と中国とのぎくしゃくした関係が、不思議でならないのです。かつてはお互いをリスペクトし合い、それぞれの発展を心から願っていたあの両国が、どうしてこうなってしまったのでしょうか?

 もちろんその理由は、皆さんもよくご存じのとおりです。えっ、知らない?

 とても残念です……

 でも、心配なさることはありません。なにしろ、うちのバカ家族もいっさい知りませんから。

 さて話を戻しましょう。両国の関係が悪化した理由として一般的に言われているのが、24年前に起こったあの事件です。そう、”てんあんもん”事件です。あの事件以来、民衆の暴動を恐れた中国政府は反日教育を徹底し、民衆の不満の矛先を内政から日本へ向けようとしたと言われています。いわゆるガス抜きってやつですね。その結果、ちょうどその頃教育を受けた子供たちが青年になり、日本に対する憤懣を露わにして、諸々の問題を起こしているというわけです。なるほどっ!とつい納得してしまいそうになりますが、ほんとうにそうなんでしょうか?

 僕は違うと思います

 たしかに反日感情を持っている人たちはいます。でもそうじゃない人たちもたくさんいるのです。じゃあなぜここまで? もしかすると、

 問題は、僕たち日本人にあるんじゃないでしょうか?

 どの国にも良い人もいれば悪人もいるでしょう。中国にしても同じに違いありません。ところが、邪心を持った一部の中国人たちの言動に過剰に反応し、その人たちと同じ土俵に乗って心ない発言や行動をしてしまう、そんな日本人がずいぶんと増えてしまったような気がします。

 とても悲しいことです

 邪悪な人たちの挑発に乗って愚劣な言動に走る――まさに飛んで火に入る夏の虫。まんまと悪意ある連中の罠に嵌っているようなものです。

 そこでもう一度、あの素敵な記事の出番です。ここで皆さんに問いかけたい。仮にあなたが中国にいたとして、黄河の濁流にのまれている子供を見たとき、川に飛び込めますか?

 僕は、ノーです

 田舎にいた幼少時代はカッパと称された僕でさえ、とてもそんな勇気はありません。それをやってのけた中国人青年。素晴らしいではないですか。そして、皆で感謝と、尊敬の念を送ろうじゃないですか。実は今日、僕が言いたかったのは、このことなのです。

 アラを見つけて罵声を浴びせるよりも、良いところを見つけて賛辞を送ろうよ。でも、同じことを相手から期待するのはやめようね。

 きっと相手も変わります。いや、そう思っている人たちがきっと彼らの周りを変えてくれます。そう思える優しさこそが、世界に誇れる、

 日本人の美徳

 だと思うのです。

2013年9月16日月曜日

台風が過ぎ去りました

 血に飢えた獣の咆哮の如く響き渡る、天の叫び。木々をなぎ倒し、大地を溢れる涙で覆い尽くさん――

 とうとう狂っちまったか……

 詩心の理解できないバカはほうっておいて、今日は、台風のお話です。台風一過、のはずが、なぜかここ横浜では暴風が吹き荒れています。いったいどうしたことでしょう?

 ところで、台風と言えば、やっぱり甘酸っぱいロマンですね。

 不謹慎だろうが

 まあ話は最後まで聞いてください。僕の生まれ育った山口県は、毎年のように台風の直撃する、まさに、台風銀座でした。そして幼い僕にとって台風は、恐ろしくもあり、それでいて、とても心弾む存在でもあったのです。
 台風が近づくと、窓という窓に板を当てて釘で打ち付けます。ドアにもX印に棒を組み、やはりこれも釘で打ち付けます。完全なる密室のできあがりというわけです。そしていよいよ台風がやってくると、おきまりのように停電するのです。よしきた!とばかりに僕は暗闇の中を手探りであれを見つけます。そう、懐中電灯です。でもそれは、ただの懐中電灯ではありません。この日のために一生懸命こしらえた、手作りの懐中電灯なのです。

 きたよ……今度は貧乏自慢かよ――

 バカはほっときましょう。で、どうして手作りの懐中電灯なのか? それを説明するには、当時の世相から語らなければなりません。当時は、特に地方は、一家の主である父親が絶対的な権力を持っていて、誰にも逆らうことができない存在でした。そういう家庭にあって、子供たちは、父親に対して密かにライバル心を燃やしていたのです。絶大なるが故に沸々と沸き起こる闘争本能、とでも言いましょうか。でも腕力ではとてもかないません。そこで懐中電灯の出番なのです。

 電池を二本直流につないで、そこから這わせたリード線を豆電球にくっつけ、最後にそれを厚めの段ボールでくるむだけ。サルにでもできそうな代物ですが、当時はこれでも、ハイテクガジェットだったのです。

 そしていよいよその出番がやってきます。蝋燭の灯す薄暗い部屋で、台風が過ぎ去るのを身を縮めて待つ両親。そこにさっそうと僕が登場するわけです。後はもうおわかりですね。おーっという父親の嘆声。まあっ、と驚く母親の顔。その瞬間、僕はそれまでの僕ではなく、ウルトラマンにも匹敵するヒーローになるのです。

 昔っから病気だったんじゃねえのか?

 男のロマンが理解できないバカは無視しましょう。
 さて、あの頃からすっかり世相は変わってしまいました。父親の権力は東電の株価のように暴落し、逆に子供は、水を得た魚のようにのびのびと羽を伸ばしています。でもそれが悪いとは、ちっとも思いません。かといって、昔が悪かったとも思いません。要は環境じゃなくて、気の持ちようなんじゃないかと。

 澱んだ海にも逞しい魚は育ちますし、澄んだ川にも生きていけない魚がいます。じゃあ、どっちが幸せなのか? 答えはわかりません。敢えて言うならば、それを決めるのは環境じゃなくて、そこに生きるあなた自身なのではないでしょうか。

 自分に酔ってんじゃねーよ

 大変失礼いたしました。何やらNHKラジオの”宗教の時間”みたいになってしまいましたね。

 ところで、大変困ったことになりました。新作の執筆が遅々として捗らず、とても公約した日に間に合いそうもありません。でもしょうがないんです。仕事は忙しいし、あれもしなきゃなんないし、これもしなきゃなんない。とても落ち着いて小説を書ける環境じゃないんです。

 おめーが一番ダメじゃねーかよ

 へっ?

2013年9月15日日曜日

音楽を聴きながら思う、美意識の不思議

 久しぶりに喜多郎さんのシルクロードを聴いて、すっかり心が洗われてしまった如月です。

 ということで、今日は音楽について戯れ言を少し。

 じつは長い間ずーっと不思議に思っていたことがあります。

 どうして人は音楽に惹かれるのだろう?

 素敵な曲を聴くと、なんて美しいんだろうと感動し、心に染み入る歌詞に思わず涙を流す。僕には不思議でならないんです。音楽なんて結局はただの音に過ぎないし、食べ物なんかと違って、それが直接僕らの肉体に恩恵をもたらすわけでもないし――。じゃあなぜ?

 一時期僕はそれを経験と結びつけて、無理やり自分を納得させていました。そう、あのパブロフの犬です。ある種の音楽を聴いて良いことがあったり、或いは逆に、良いことがあったときにある種の曲を聴いたりします。するとそれを繰り返すうちに、それと似た音楽を聴くと、ある種の酵素が分泌され、気持ちをハイテンションにしたり、或いは落ち着かせたり、はたまた深い感動を沸き上がらせたりするわけです。
 そう考えると、もしかすると美男美女を美男美女と思う理由も同じなのかもしれません。ドラマやアニメのヒーローやヒロイン、それが美男美女であり、悪役や卑劣な役どころに共通する容姿が、すなわち醜男醜女。つまり僕たちの美意識というものは生まれ持ったものではなくて、後天的に、経験の中で培われてきたものなんですね。

 本当かよ、おい

 黙ってろボケッ、とは今日は言いません。なにしろ僕もそのことに疑問に思っているのですから。
 お子様のいらっしゃる方には、きっと経験があるに違いありません。幼い子供を笑わせるときに、両手で目尻を引っぱってひょっとこのような顔をしますよね。あるいは鼻の頭を持ち上げて豚のような顔を作ってみせます。たいていの子供は笑います。それでも笑わない子供は、まあ、よっぽどのひねくれ者でしょう。

 将来がとても心配です

 逆もしかりで、おいたをしたときには、眉間に皺を寄せ、鬼のような表情をつくってみせます。たいていの子供はそれを見て泣き、二度と同じ過ちは犯さなくなります。えっ、何度やってもやめない?

 とても残念です

 でも守ってあげるのは、親しかいません。温かく見守ってあげてください。

 で、なにが言いたいかと言いますと、ドラマやアニメの甘いマスクが僕らの美意識を培ったんじゃなくて、もともと生まれながらにそう思っていることを、ドラマやアニメで表現しただけじゃないのか、と。
 だから、もしかすると美しい音楽もそうじゃないのかと、つい思ってしまうのです。

 もしそうだとすると、僕らの遺伝子の中には、遙か太古から受け継がれてきた美意識というものが、どこかにひっそりと隠されていることになります。

 だったらどうなんだよ――

 もちろん、今日も答えはありません。そもそも、そんな難しいことを僕に訊くだけ無駄というものです。なにしろ今日も、ビールをチェイサーにウィスキーを飲んだくれている、

 ただの酔っ払いですから

2013年9月13日金曜日

神話に隠された、ちょっと面白い話

 世間がiPhoneで盛り上がっている中、スマホからガラケーに戻そうかと真剣に悩んでいる、ガラパゴス野郎の如月です。

 さて今日は神話にまつわる、ちょっと面白い話を。その神話というのは、あの有名なギルガメシュ叙事詩っていうやつです。古代シュメール遺跡から発見された神話なわけですが、その物語の主人公であるギルガメシュが、とても興味深いんです。

『ウルクの城に生まれたギルガメシュは、神々の恵みを受け立派に成長して王となるが、国民に乱暴を働くようにる。それに困った人々に救いを求められた神々が、ギルガメシュのライバルとしてエンキドゥを創造する。
 最初二人は対決し闘うが、やがて二人は無二の親友となり、さらには怪物退治をして国の英雄となった。
 その後ギルガメシュは女神イシュタルに誘惑されるもそれを断り、怒ったイシュタルは、巨大な天牛を差し向ける。二人は力を合わせてこれを退治するも、その呪いのせいか、エンキドゥが病に倒れ、衰弱して死んでしまう。ギルガメシュは親友の死を悲しみ、死を恐れるようなり、そしてついには不死を求めて旅に出た』

要するに、人間離れした力を有しながらも寿命に限りある彼が、(神のような)永遠の命を求めて冒険をする物語です。

 ちっとも面白くねーじゃねーか

 最後まで話を聞いてください。ものには順番というものがあって――

 早くしろよ、ぼけっ

 わ、わかりました。実は面白いのは物語そのものではなく、ギルガメシュの生い立ちなのです。叙事詩によれば、彼は母親が神で、父親が人間となっています。ところが一方では、三分の二が神で三分の一が人間、という記述もあるのです。どうでもいいことかもしれませんが、とても引っかかるのです。ハーフなら、両方とも二分の一だろうが、と。そこで遺伝子の出番なわけです。

 大丈夫かよ、おっさん……

 黙ってろ、タコ野郎。で、遺伝子なんですが、それを構成するのはDNAです。皆さんも学校で習った、いわゆる二重ラセン構造ってやつです。でも、実はこのDNAには二種類の、まったく異なるものが存在します。一つが核DNA。これがメインのやつで、一般にDNAというと、こいつを指します。そしてもう一つが、ミトコンドリアDNA。そう、かの有名な小説、パラサイト・イヴに出てくる、あいつです。
 
 では、それぞれの役割はというと、核DNAの方は人間の基本的な動作をつかさどます。その一方でミトコンドリアは、細胞が活動するためのエネルギーを生成しているんです。たとえて言えば、人間の中の発電所のようなものです。まあいずれにしても脇役的な存在には違いなく、まるで僕の人生を転写したような――

 おめーの話なんて聞いてねえよ

 大変失礼いたしました。話を戻します。

 で、面白いのが、その遺伝の仕組みなんです。核DNAは両親から受け継ぎますが、実は、ミトコンドリアDNAは母親からしか受け継がないんです。パパのミトコンドリアDNAは完全に無視されてしまうわけです。と、

 もう頭のいい読者はおわかりですね
 
 わからない? それは残念です。でも心配なさることはありません。景気も上向きだと聞いています。多少頭が悪くたって、何とか生きていける世の中になるんじゃないでしょうか。

 で答えですが、子供が受け継ぐ遺伝子には3つあって、1つが父親の核DNA、1つが母親の核DNA、そして最後が母親のミトコンドリアDNAなわけです。だから、父親から受け継ぐのが三分の一、母親から受け継ぐのが三分の二。神話の話にピッタリ合致しますね

 ここからは百パーセント、僕の推測です。

 寿命を決める因子は核DNAの中にあって、彼は神と人間の中間を受け継いだのでしょう。不老不死ではないけれど、それなりに長生き。でもパワーは桁違い。なにしろ神である母親のミトコンドリアDNA――つまりスーパーチャージャーつきハイパワーエンジンを得たわけですから。

 これですべてのつじつまが合いましたね。

 無理やりじゃねえかよ――

 悲しいですね、夢を見れないバカヤロウって。

 と言うことで、最後に少し宣伝を。僕の小説のいくつかは、このような夢のある神話を題材にしています。それは以下の3作品です。

 【聞かせてくれ、命の調べを】
 【優しい悪魔】
 【出来損ないの天使】

 但し断っておきますと、神話には確かに夢がありますが、僕の作品に夢があるかどうかは、保証しかねます。もちろんクレームは受け付けますが、

 消費者庁にはタレこまないでくださいね

 

2013年9月12日木曜日

指紋認証に潜む、光と影

 書き始める前から、頭が沸騰してしまいました。

 そんな難しい話、僕にはとても無理です――

 と、ここで終わりにしたいところだけれど、どうしても気になることがあるので、無知を承知で話を進めます。
 きっかけは、もちろん先日発表になったiPhone5s。「Touch ID」ってやつです。最初はあまりピンとこなかったんですが、次第に夢が広がり、「こりゃすげーや」となってしまったのです。

 もともと記憶力が欠如していている上に、嫌なことがある度に酒を飲んで忘れる術を覚え、気がつくと大切なことまで忘れるようになってしまった愚か者の僕。そんな僕に、悪魔が囁いたのです。

 もう、パスワードを覚えなくてもいいんだぜ

 マジっすか、悪魔さん? パスワードを要求される度にあたふたと慌てふためき、ときには二度とログイン出来ないこともしばしば。そりゃ、悪魔に魂を売ろうという気にもなるでしょう。

 でも本当にそんなことができるの?

 調べてみると、そういうことも可能なようです。実際過去には、あのマイクロソフトからも、Webサイト等へのパスワードの入力を指紋認証で肩代わりしてくれるキーボードが発売されています。こうなると、夢がますます膨らみます。初期設定だけをしておけば、後はスーイスイ。ホームボタンに指を乗せるだけ。なんて素晴らしい!

 でも、ちょっと待てよ

 おかしいじゃないか――と、ふと疑問が湧いたのです。だってそうじゃないですか。指紋を画像データとして読み込むわけで、それを照合するためのレファレンス(つまり、あらかじめ登録しておいた僕の指紋のデータ)もどこかに保存されているわけです。と言うことは、そのデータがハッキングされてしまったら、あるいは何かのアクシデントで漏れてしまったら、悪用されまくりじゃないですか。しかもパスワードとは違って、指紋を簡単に変えられる訳もないし。(まあ、簡単に変えられるようだと、そもそも指紋認証自体が意味をなさないわけですけど)

 なんと恐ろしや

 次第に背筋が寒くなってきました。でも妄想暴走させるうちに(ちょっと韻を踏んでみました)、もっと恐ろしいことに気づいたのです。そう、あれを思いだしたんです。おいたをしたときに警察で取られた指紋のことを。一度指紋を取られると、もう二度と悪いことはできません。地球の裏までインターポールに追いかけられるのです。

 病気じゃねえのか……

 無視しましょう。で、僕が言いたいのは、「個人の特定」です。僕の指紋と僕の個人情報がセットで揃った時点で、もう僕のプライバシーはノミの目ほども存在しないのです。指紋認証をする度に、僕が働く悪事の数々が、すべて白日の下に晒されるのです。アカウントやパスワードを変えても、もう逃れられません。指紋は、一生ついて回るのです。

 じゃあ、悪いことしなきゃいいじゃん

 その通り。清く正しく生きる。これが一番です。でも世の中そんなに甘くはありません。悪意によって貶められる可能性もあるわけです。デジタルコピーされた僕の指紋があちこちに貼り付けられ、パン泥棒や下着泥棒等のあらぬ容疑で、あるとき突然捕まってしまうこともあるやもしれません。

 実際やったんじゃねーのか?

 やってません! いずれにしても、とても希望を感じさせるテクノロジーであると同時に、とても恐ろしいテクノロジーにも思えるのです。まあ、Appleさんのことです。きっとそのあたりはお見通しで、「光」の部分だけを上手く活用する運用方法を考えているに違いありませんけど。

 ということで、今日は残念ながら落ちはありません。そう、

 僕の小説と同じですね

2013年9月10日火曜日

オリンピックがやってくる!

コングラッチュレーション!

 7年後に、自分の娘が活躍する姿を妄想しながらにやける、日本一のバカおやじの参上です。

 それにしても感慨深いものです。東京オリンピックと言えば、もちろん1964年の、いや、1960年代の最大の一大事であり、あの大会が今の日本を築いたと言っても過言ではないでしょう。

 若い人たちは知らないかもしれませんが、当時の日本は、今の日本とはまるで別物でした。特に地方はそうです。土間にしつらえられたかまどでご飯を炊き、洗濯板で服を洗い、洗髪をするのは2日に一度でした。電話なんて町内(お店をやっていた僕の家)に一台しかなく、毎日近所の人を呼んで回っていたものです。でもそれが当たり前で、それが貧乏だとか、不便だとか思っている人間は、一人もいなかったのです。それがみるみる世界が変わり、鼻くそほじってたガキが首からナプキンをかけてフォークを握り、ステテコで散歩していたおっさんがまるで似合わないスーツを着るようになりました。

 と、ずうっと思っていましたが、どうやら都会は少し違っていたようです。当時の東京の様子が、僕の敬愛する奥田英朗さんの、

 オリンピックの身代金

 という小説に、見事に表現されています。出稼ぎにヒロポンに学生運動――当時の世相をリアルに描写した、素晴らしい小説です。

 と前置きはこのくらいにしておいて、本題に入りたいと思います。

 さて、高度成長に浮かれて国中がむしゃらに駆け続けた時代もとっくに終わり、世間で言うところの”失われた二十年”が矢の如く過ぎ去ってしまいました。そして皆が、あの頃はよかったと、不毛な懐古主義に染まっている今日この頃です。でも本当にそうなのでしょうか?

 僕は思うのです。永遠に続く成長などあり得ないし、実は、かつて日本が目指していた世界こそが、今の日本なのではないか、と。ただそれを青写真に描けなかったが故に、今の現実を許容できないでいるのではないか、と。

 こいつ、ついに壊れたな……

 無視します。で、最近よく言われるのが、社会保障や税負担の増加です。でも僕は思うのです。実はこれは、社会が成熟した証なのではないか、と。そして本来であれば、あの高度成長の時代にこそ、その先に来るであろう、成熟した社会を青写真に描いておくべきだったのではないのか、と。

 ある人の収入は、ある人の犠牲の上に成り立っています。足せば実はゼロなのです。それなのに、その犠牲になった人を、”努力が足りない”、”能力がない”と言って否定することで、今の資本主義は成り立っているわけです。

 30年前に比べて僕の生活は驚くほど豊かで便利になりました。でも決して、世界中の人がそうなったわけではありません。僕たちは、とても幸せな環境に置かれているのです。喉が乾いて死ぬ思いをすることもなくなったし、お腹が空いて人様の物を盗む必要もなくなりました。でも、それを有り難っている人は、露ほどもいません。それが当たり前だと思っているし、それどころか、まだ物足りないとさえ思っているのです。

 まったくもって傲慢だな

 い、いえ、僕が言ったんじゃありません。どこからか聞こえてきた幻聴です。

 またまた脱線してしまいました。話を戻します。そう、7年後のオリンピックです。7年後と言えば、今の小学生、中学生が活躍する時代です。その頃日本はどうなっているのでしょうか。それを決めるのは、我々大人です。今回の招致の活動の中で、あの滝川クリステルさんが、とても素晴らしいスピーチをしました。そう、

 おもてなし

 です。とても深い言葉です。自己の利益を犠牲にしてまで、人の笑顔が見たい――。これぞまさに、僕たち日本人の誇るべき文化であり、誇り高き民族性だと思うのです。西洋的な資本主義にはまったく逆行する(要するに、無駄な)思想かもしれませんが、これこそが、7年後のオリンピックに向けて、僕たち日本人が守るべき『美徳』なのではないのかと思うのです。

 知らないうちに日本は、共存共栄的な社会主義国家になりつつあるのかもしれません。でもいいじゃないか、と僕は思うのです。弱き者を助け、横暴な権力には牙を剥く。その先に、きっと素晴らしいオリンピックが待っている。きっと世界中の人が感動することでしょう。

 なんて素晴らしい国だ、ニッポン!

 

2013年9月8日日曜日

ついよけいなことを言ってしまう、人の心理

 まさに僕のことを言っているような見事な標題。幾多もの後悔を重ねてきた僕ならではの、心の叫びといっても過言ではないでしょう。

 ところで、先ほどある記事を目にしました。これです。

 【朗報】Kindle作家さん、売上や販売部数はドンドン公開していってOKなんだって


 おー、それは素晴らしい! と一瞬思いましたが、よくよく考えてみれば、ちっとも朗報なんかじゃありません。生き恥をさらすだけなのです。小学生の小遣いにも満たない売上を公開して、いったいどうしようというのでしょうか?

 おい、ゴミくず。そりゃ、おめーだけだよ

 どこからか、あまりよろしくない声が聞こえてきました。もちろん無視です。で、話を戻しましょう。「たくさん売れています」というコピー、僕にはそれが宣伝効果になるとはあまり思えないのです。むしろ、逆効果なのでは、と。でももし仮にそれが効果的だとしたら、こまった人たちが出てきそうです。そう、嘘つきです。百万部突破、だとか、売り上げ一千万円、だとか――

 そりゃちょっとやり過ぎだろう

 たいへん失礼いたしました。でも、百部しか売れていないのに「一万部突破」くらいのほら吹きなら、出てきてもおかしくはありません。じっさい某Twitterでは、ちっとも売れていなくせに「大人気!」だとか「売れています!」だとか、見る方が恥ずかしくなるような文言を並べている人も見受けられるわけです。

 それって、おめーじゃねーのか?

 ち、違います。大好評、くらいは言ったことがありますが……(でも本当は、ちっとも好評じゃありませんでした)

 やっぱりそうじゃねえか

 嫌な過去は、この際きっぱり忘れましょう。で、問題なのは逆効果だけではありません。会社でエセ財務をやっている僕からすれば、飛んで火に入る夏の虫な訳です。良いですか目立ちたがやりさん、年間20万円を超える副業での収入は、雑所得として確定申告しなきゃならないんです。そう、国民の義務、納税です。もちろん納税は、安全で快適な社会生活を送る上で当然のことです。でももしあなたがそれを怠っていたとしたら、たちまち税務署から強面のおじさんが押しかけてきます。

 まあ、自業自得ですけどね

 と、毎度のように話が脱線してしまいました。本題に戻しましょう。どうして人は、言わなくとも良いことを、つい口走ってしまうのでしょうか? SNSでの暴言騒ぎもしかり、けっきょく最後は謝らなきゃならない事件が後を絶ちません。僕はその原因は、孤独にあると思っています。

 またかよ……

 呆れて鼻くそをほじる前に、ぜひとも聞いていただきたい。多くの人にとって一番辛いのは、罵声を浴びせられることよりも、無視されることではないでしょうか。自分自信の存在を否定されることが、とてもいやなのです。そしてその孤独に耐えきれなくなって、ついよけいなことを、しかも実際よりも大げさに言ってしまう。ある意味、人間の性なのです。

 じゃあ、どうすればそれを防げるのか? そんなことは、僕に聞かないでいただきたい。なにしろ今日も、

 ついよけいなことを言ってしまったばかりなのですから

出っ張った耳に思う、ダーウィン先生のこと

 「今日飲まなくていつ飲むんだ」と、土曜日出勤を終えた僕は無理やり理由をつくって、今日泥酔モードです。といっても、いつもほどには、愉しくはありません。つい今しがた見終えたトータル・リコール (2012年リメーク版)のせいで、とても虚しい気分に浸っているのです。

 リメークじゃなくて、改悪じゃん……

 とそんな愚痴はおいておいて、昼は会社、夜は酒に映画にブログ。このおっさんはいったいいつ小説を書いているのでしょうか? 答えは言うまでもなく、

 ちっとも書いていませんとも!

 いばるなよ、じじい……

 と前置きはこれくらいにしておいて、今日の話題は、緊迫したシリア情勢が世界経済にもたらす影響――

 うそです。ちょっとかっこつけたかっただけです

 気を取り直して本題へ。今日の話は、です。
 えっ、どうして耳なの? よくぞ訊いてくれました。それを説明するには、今日の僕の会社での経験からお話をしなければなりません。
 今日は朝から会議でした。いつものように最後列に陣取り、何かを悩むような難しい顔を無理やりつくった僕は、さっそく船をこぎ始めました。そしてしばらくして、まるでナイアガラの滝から落ちるような衝撃に、思わず目を覚ましたのです。そのとき僕の霞んだ視界に、みんなの耳が見えました。誰にも彼もにも、横に出っ張った耳がくっついています。まあ当たり前のことなんですけれど、それをただ当たり前だと思っていたら、せっっかくの人生が愉しくありません。

 いや、別に愉しいけど……

 「…………」
 もう少しで椅子から転げ落ちるところでした。と、気を取り直して、凡人の意見は無視して話を進めさせていただきます。
 さて、耳ってやつは、もちろん音を聞くためにある器官です。そしてそれは、とてもよくできているのです。集音に最適化された朝顔のような形状、周波数を的確に捉える、プルプルした質感。実によくできています。まさに長い年月をかけて得られた進化の賜でしょう。
 まあ、普通であればこれで納得してしまう話なのですが、すっかりボケてしまっている僕は、はたと疑問に思ったのです。

 おかしいじゃねえか――

 何がおかしいんだよ? はい。それは、進化論です。皆さんよくご存じのダーウィン。あのガラパゴスです(ガラケーとはまったく関係ありませんよ)。
 ダーウィンの唱えた進化論、つまり自然選択説の基本は、突然変異がもたらす多様性と選択、です。耳に例えるならば、よく聞こえるように目的を持って進化したわけじゃなくて、突然変異を繰り返すうちに、たまたまよく聞こえる耳の形状を持った種が存続した、と言うことなのです。

 ほんとかよ……

 と、思わず言いたくなるのは、僕だけじゃないはずです。乱数表を回してランダムに突然変異を発生させれば、頭の上や、足の裏に耳のある人間が生まれるかもしれません。形にしてもそうです。蓮のようにでっかいやつや、ラッパのように出っ張ったやつがいてもおかしくはありません。でも、誰の耳も、みんな同じ場所についていて、おんなじ形をしているのです。ダーウィンの説に従えば、少しでも違った者は淘汰されてしまったことになります。

 おかしいでしょ、ダーウィン先生

 そもそも、お腹に耳がついてる人間の化石や、ラッパの形をした耳を持った人間の化石なんて、見たこともないですから。

 じゃあ、お前の意見はどうなんだよ?

 よくぞ聞いていただけました。ありがとうございます。僕の意見は、百年も前から変わりません。”多様性と選択”なんてまったくの戯れ言で、真実は、

 プログラム

 なのです。最初からそういう耳になるように、遺伝子に、誰かがプログラムしていたのです。お尻に耳のついた人間が淘汰されたんじゃなくて、そんな設計図がもともとなかっただけなのです。

 バカだとお思いでしょうが、実際、バカです。毎晩こんな妄想を膨らませながらニンマリと宙を見つめる、とても危ないバカです。しかも黙ってりゃ良いのに、つい、口が滑ってしまうんです。でも、悪気があって言ってるわけじゃないんです。だから、

 ぜったいに警察などには、通報しないでくださいね

2013年9月6日金曜日

スマホなんてもう過去の遺物、未来のガジェットを切る!

 大胆なタイトルにしてみました。まったく売れないSF作家が口にする言葉とはとても思えませんが、本人はいたって本気です。

 だからダメなんだよ――

 何かおっしゃいましたでしょうか? 年老いると、都合の悪い声が聞こえなくなってしまいます。

 さて、昨日来、世間はドコモとAppleの不倫の話題で持ちきりのようですが、僕にはまるで興味がありません。なぜなら、スマホそのものがもう過去の遺物になりつつあると感じているからです。
 かつてメインフレームがミニコンに取って代わられ、さらにそのミニコンがパーソナルコンピュータに取って代わられたように、オールインワンのガジェットであるスマホは、今後、機能分散したよりシンプルなガジェットたちにその市場を奪われるに違いない。そう考えているわけです。だから僕には、ドコモのニュースよりも、サムスンのスマートウォッチの発表の方が、遙かに興味深いものでした。

 http://wired.jp/2013/09/06/samsung-galaxy-gear-smartwatch/

 まあ、売れないでしょう。機能を詰め込みすぎです。タブレットと連携して電話だけできればいいのに――なんて僕の勝手な要望は置いておいて――この製品の登場は、ウァラブルコンピューティングの時代の幕開けを暗示しているように思います。

 おそらくこれから後を追うように、他社から類似製品が山のように発表されるでしょう。そして次第に求められる形に収束していき、最終的にはとても便利なガジェットになると思います。そしてそのときには、もうスマホには電話機能はいらなくなるでしょう。電話機能のないスマホはもはやスマホとは呼べません。強いて言えば、スマ、でしょうか。

 大変失礼いたしました

 しかし、スマホの仕事を奪うのはスマートウォッチだけではないかもしれません。写真や動画を撮る、これはスマートグラス(グーグルグラス)の出番ですし、そのスマートグラスがあれば、ちっちゃな液晶も、眼前に広がるでっかい画面に変わるわけです。

 もしかすると、キーボードの代わりになるセンサーつきの手袋――スマートグラブ――なんてものも登場するかもしれません。ちなみにこれは、僕の小説”除妖師”に登場します。読めとは言いません。ぜひ読んでみてください。

 姑息な宣伝もいい加減にしろよ

 大変失礼いたしました……。

 けっきょく何が言いたいのかというと、聞く、見る、話す、触る、と言ったそれぞれの人間の基本動作をサポートする機能は、それをするのに最も便利な場所(耳の近く、目の近く、口の近く、手の近く)で、しかもさりげなく(シンプルで遅滞なく)動作することが望まれるでのではないだろうか、と言うことです。

 今のスマホ人気は物珍しさに支えられている嫌いが多分にあり、そろそろ皆はそれに疲れ始めていて、これからは、本当につかいやすく便利な物へとその嗜好を変えるのではないか、そう思うわけです。

 では最後に。明日は土曜日というのに出勤日。とても辛い。そしていつも思うのです。

 僕が本当に欲しいのは、素敵なガジェットよりも、ドラえもんのコピーロボット