amazon様にアカウントを削除されてしまい本作品の公開場所を失ってしまいましたが、これにめげずに書続けます。では、いよいよ第二章に入りたいと思います。
(本作品の公開場所を探しています。もし引き受けていただける方がいらっしゃいましたらご連絡いただければ幸いです)
二 粉飾決算
「沢井、これを調べてくれ」
編集長の大嶋に呼ばれた祥子は、一枚のコピーを手渡された。それを見るなり、祥子は訝しげに首を傾げた。
「五洋電気、ですか――」
「ああ。お前も知ってのとおり、週間真実が粉飾決算の疑いをすっぱ抜いた。たぶん事実だろう。なにしろ手口がやけに具体的だからな。しかしあれはおそらく、氷山の一角だ」
「といいますと?」
「いいか沢井、工事進行基準での原価計上なんて、会計処理の基本中の基本だ。普通だったら、こんな幼稚な細工がまかりとおるわけがないんだ」
「つまり――」
「普通じゃないってことさ。会社の仕組みそのものが破綻してるんだ。叩けばいくらでも埃が出るぞ。それに――」
「なんですか?」
「きっと会社そのものの存続にかかわる話になる。いいか、まともな会社だったらこんな原始的な粉飾が見過ごされるわけがないんだ。それも十年にも亘って。つまりだ――最初からわかってて、上層部が意図的にやらせてるとしか思えないんだよ」
「…………」
「すぐに調査を始めるんだ」
「で、でもどうしてこんな大事件を、私に?」
「お前しかいないんだよ。山下も大竹も、それに佐々木も、例のケイマンの件で高木電脳につきっきりだからな。あっちも今が勝負だ。手をぬくわけにはいかないんだよ。だから、たのんだぞ、沢井」
「は、はい……」
どうやら期待されての任命ではなさそうだ。だからといって祥子はべつに落胆することもなかった。なにしろこの編集部の記者はみな辣腕揃いで、一緒に仕事ができるだけでも光栄なくらいなのだ。それに天下の五洋電気の不祥事の調査である。こんなチャンスは滅多に巡ってくるものではない。祥子ははやる気持ちを抑えながら自分の席へ戻った。
それからの三日間は机上調査に時間を費やした。五洋電気の歴史、ここ二十年の業績、主だった事業の推移、そして経営陣のパーソナリティーとそのバックグラウンド。
「まったく……利己主義を絵に描いたような連中ね……」
調べれば調べるほど、彼女は沸き起こる憤りを禁じ得なかった。仕事に私情ははさまないように心がけてはいるものの、どうにも抑えきれない。それは彼女の個人的な経験にも原因があることは、彼女自身にもよくわかっていた。
「おとうさん、ごめんね。しばらく私の中から消えてちょうだい……」
これくらいのことで平静を保てないようでは先が思いやられる。そう思い、彼女は天国の父親に語りかけた。
三日間の机上調査を終え、次はいよいよ取材の開始だ。最初のターゲットはもちろん内部告発者である。しかしことはそう簡単にはいかない。なにしろこの内部告発者を知る唯一の者は、その告発を受けてこのスクープを記事にした、彼女たちの商売敵ともいえる『週間真実』の編集部員なのだ。しかし祥子には確たる勝算があった。
その翌日――
「取引だって?」
週間真実の記者、轟正志は、大げさに驚いてみせた。
「悪い話じゃないわ。お互いの調査が捗るんだから。こっちは五洋電気の、そっちはソフトブレインのね」
マスコミ各紙がケイマンリークスの調査に奔走する中、週刊真実がソフトブレインに注力しているのは周知の事実だ。じっさいここのところ、誌面の多くをその記事に割いていた。一方でジャパン・ウィークリーは、ケイマンリークスに関しては、大嶋の判断で高木電脳の調査に資源を集中投下することになっていた。人的・金銭的リソースの限られた中、なにもかも一社でというわけにはいかない。だからソフトブレインに関する調査情報の提供は大嶋編集長も了承済みだ。というよりも、むしろソフトブレインに関するこれまでの調査結果を有効活用することは、彼の望むところといった方がいい。
「たしかに今うちはソフトブレインに勝負をかけている。でも――」
「でも何よ」
「僕の一存じゃ決められないよ。社に戻って編集長に相談しないと……」
「ばかね。黙って自分の手柄にしたらいいじゃない。内部告発者を教えたことは黙ってればいいのよ。どうせ誰にもわからないんだから。ソフトブレインのスクープだけを会社に報告すればいいのよ。自分が調べたことにして」
「い、いや、そういうのはちょっと……」
「…………」
祥子はあきれて言葉を失った。生き馬の目を抜くような猛者揃いのこの業界で、これでよく生きてこられたものだ。祥子はあらためて轟正志をしげしげと眺めた。
角刈りの頭に厳つい顔、そして骨太のがっしりした体躯。いかにも粗暴な体育会系といった風貌だ。しかしその実は真面目で誠実で、人一倍正義感の強い素朴な男なのだ。たしか歳は三十八才、八年前に祥子がこの業界に入ったときには、すでに一線で活躍するバリバリの記者だった。
少し考え、祥子は作戦を変えることにした。
「轟さん、あなた以前言ってたわよね。弱い者を助けるためにこの仕事をしてるんだって」
「そ、そんなこと言ったっけ――」
「ええ言ったわ。権力を笠に着た横暴な連中が許せない、ともね」
「そ、そうだっけ……」
「いいの? このままその横暴な連中どもを放っておいて」
「…………」
「私は許せない。だから五洋電気の不祥事を徹底的に調べたいの。そしてあなたには、ソフトブレインの横暴を暴いて欲しいの」
轟はじっと祥子の顔を見つめ、しばらく考えた後、おもむろに口を開いた。
「わかった。話にのろう。後でメールで教える。それを確認したら、そっちのも送ってくれ」
「ありがとう」
祥子が頭を下げると、轟はさも言いにくそうに、視線をそらして呟いた。
「それと……ど、どうかな、こんど一緒に食事でも――」
「だめ。目的は一緒でも、いちおうライバルなんだから。一線は越えられない。そうでしょ」
「そ、そうだよね。そうだ、そりゃそうだ。ライバルなんだし」
轟が言った途端、祥子は顔をしかめ、思わず心の中で舌打ちをした。
(まったく、この根性なし……)
とはいっても、轟の反応は彼女の予想したとおりだし、これがこの男のよさでもあるのだ。祥子は腰を浮かし、レシートを掴んだ。
「じゃ、私は先に行くわ。これ払っといてね」
そう言って、レシートを轟の前に放った。
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