2013年12月22日日曜日

次の作品で世界をあっと言わせてやるんだ――いや、言わせたいです

 本当は「除妖師III」を書きたかったんだけれど、つい魔がさして、マッドな作品を書いています。(もちろん除妖師IIIも書きます。この作品の後で)
 以下は紹介文と、新作の冒頭です。
 


【魂を揺さぶる、甘く切ないマッド・ファンタジー】
 正義なのか、あるいは狂気なのか? 男は憎悪に、女は愛に突き動かされて、この世にはびこるクソ野郎どもをぶった切る。
 非情な殺戮マシーンと化した二人が紡ぐ、甘くも切ないマッド・ファンタジー。


【解説】
 好評だった除妖師シリーズに続く長編フィクション。ユーモラスな前作とは打って変わり、全編に漂うシュールでクールな狂気の世界。元格闘家でありキックボクサーでもあった著者実経験にもとづくかつてない迫真の格闘シーン(当社比)も見逃せない。(著者談)


殺人は、甘く切ない薔薇の香り

 とても静かだった。いや、何も聞こえなかった。頭の中は真っ白で、目の前の床に広がる血の池が、まるで敷き詰めた薔薇のように美しかった。その薔薇の絨毯の上で、腕と足が反対方向にひん曲がった山下が、潰れたバッタのように転がっている。すでに息はない。
 なんという恍惚感。ゆっくりとアドレナリンが希薄され、かわりに、得も言われぬ充足感が心底から沸々と込み上げてくる。
(終わったよ、美晴……)
 最後に山下の腹を踵で踏みつけると、僕は事務所の出口に向かった。
 アルミの引き戸を開けるとそこはまるで映画の中の一シーンのようで、虹色に滲んだ灯りの交錯する夜の繁華街が、静寂の中で幻想的な絵を描いている。まるで夢の中にでもいるようで、自分が現実の世界に存在している気がまったくしなかった。このまま夢の中にいたい気もしないではなかったけれど、それよりも、早くこの夢を終わらせたいと思った。僕は夢の出口を探して、高速の高架下の大通りに沿ってしばらく歩いた。
(あれだ――)
 前方に青い看板が見えた。麻布警察署――ボンヤリと浮かぶ白い文字。僕はそこに、夢の世界からの逃げ道を見つけた。あそこに行けばまた現実の世界に戻れる。迷わず僕は、そこに向かってまっすぐ歩を進めた――

「堂本、面会だ」
 看守の野太い声がした。
「はい……」
 僕は素っ気なく返事をした。誰かは訊かなくてもわかる。きっとまたあの弁護士だ。頼みもしないのに、まったくお節介な男である。
 ガラスの向こうの面会室にいたのは、やはりあの丸山という弁護士だった。委員会派遣制度とかいうやつで、先方が勝手に僕の弁護を申し出たらしい。丸山は、ホームベースのように四角い顔にかけた銀縁のメガネを指で押し上げながら、諭すように言った。
「いいですか、堂本さん。私だって、あなたを助けたいんです。でもこのままじゃ駄目だ。よくて無期懲役、下手をしたら死刑ですよ。だから、ちゃんと答えてください。あなたには殺意はなかった、そうですよね?」
 僕は黙ったまま首を横に振った。当たり前である。殺意どころか、地獄の苦しみを味あわせてやろうと思ったくらいなのだ。おかげで今の僕は充足感にどっぷりと浸り、これ以上ないほどに多幸な日々を送っている。しかし丸山はそれが気に入らない様子だ。いきなり窓ガラスを叩き、
「わかってんですか、三人も殺したんですよ! 動機もなく、ただ殺したかっただけだなんて、あり得ないでしょう!」
 顔を真っ赤にして、つばを飛ばしながら声を荒らげた。
(何を言ってんだ、こいつ。ただ殺したかっただけじゃないよ、苦しみを味あわせて殺したかったんだ)
 そう反論しようかとも思ったけれど、ますますこの男が逆上しそうなのでやめておいた。しばらくの沈黙の後、何も言わない僕にしびれを切らしたのか、丸山は顔がガラスにくっつくほどに身を乗り出して言った。
「で、今は後悔しているわけですよね? そうでしょ?」
 どうしてもそう言わせたいらしい。でも残念ながら、この男の期待には沿えない。
「いえ、まったく――」
 僕が言った瞬間、丸山は天を仰ぎ、フウーッと溜息を漏らした。そして眼鏡の奥の冷淡な目で僕を睨みつけ、感情をむき出しにしてまくし立てた。
「まったく話にならんな。あんたはそれでよくても、こっちはそれじゃ困るんだよ。僕たちはね、人の命を勝手に裁く現代の法制度にメスを入れたいんだ。だから、君には頑張ってもらわなきゃ困るんだよ!」
(知るか、そんなもん)
 こんな独りよがりの偽善に付き合うほど、僕はお人好しじゃない。
「もういいでしょうか――」
 僕が迷惑そうに言うと、丸山は眉を斜めにひん曲げ、
「ったく、少し冷静になって考え直しておいてくださいね。じゃあ、また来ます」
 そう言って、重そうに腰を浮かせた。
(二度と来るな)
 口の中で悪態をつくと、僕もゆっくりと腰を浮かせた。

 独房に戻り、畳の上に寝っ転がって、窓の外の景色に目をやった。景色と言っても、単調に広がる空が見えるだけだ。青い空に白い雲が、綿菓子を伸ばしたように薄く膜を引いている。ここへ来て二週間、僕の心はその秋空よりもずっと晴れやかだった。もしかするとあのとき吹き出たアドレナリンが、憎悪も後悔も、それどころか生への執着心までをも、すっかり洗い流してしまったのかもしれない。
 その日の午後は珍しく、というかここに収監されて初めて、弁護士以外の面会者があった。例のように面会室の前まで行くと、ガラスの向こうに見慣れぬ顔があった。引き締まった大柄の身体を折り曲げるようにして、初老の男が窮屈そうに椅子に座っている。看守が言った。
「牛島さんだ」
 聞いたこともない名前だ。白髪混じりのその初老の男は、無駄のない精悍な顔を無理やり崩して、ぎこちない笑みを浮かべた。
「やあ、堂本さん。初めまして、牛島といいます」
 名前を名乗られても、どう反応していいかわからない。僕が曖昧に「はぁ……」と小さく答えると、牛島というその男は看守に向かって、
「悪いけど、ちょっと外してくれるかな」
 そう言って顎をしゃくった。看守は大きく首を縦に振り、逃げるように小走りで去って行った。
(なんだ、また弁護士かよ……)
 僕が勝手にそう決め込んだのには、理由がある。一般の面会には必ず看守の立ち会いが必須であり、例外が許されるのは弁護士だけなのだ。たちまち不機嫌になった僕は、言葉遣いや態度まで露骨に変えてみせた。
「なんの用でしょう――」
 ぶっきらぼうに僕が言うと、牛島は目尻に皺を寄せて苦笑いを浮かべ、
「ずいぶんと迷惑がられているようだな」
 そう言って、両手を顎の前で結んだ。そのいかにも横柄な態度に、ますます僕は気分を害した。
「弁護なんていりませんから、放っといてもらえませんか」
 吐き捨てるように僕が言うと、牛島はその顔に笑みをたたえたままジッと僕の目を見つめた。
「なるほど、私を弁護士だと勘違いしたわけだ。残念ながら、私には君を弁護する資格なんてないし、そのつもりも全くない」
「じゃあなぜ――」
 なぜ看守が席を外したのか、それにいったい何をしに来たのか、と訊こうとする僕の言葉を遮り、牛島は僕の顔を覗き込んで訊ねた。
「で、後悔はしていないのかね?」
「何を?」
「山下たちを殺ったことだよ」
「…………」
 予期しない意外な問いかけに、僕は少し戸惑った。牛島はさらに顔を突き出して、
「どうなんだ?」
 責めるような目で僕を見つめた。
「まったく――」
 僕が冷めた声で返すと、
「うん、それでいい」
 牛島は、さも満足げに大きく頷いた。
 このあたりから、僕の頭は少し混乱し始めていた。そしてその後に続いた牛島の話が、その混乱にますます拍車をかけた。
「それでいい。でも君は大きな勘違いをしている」
「勘違い?」
「ああ、とんだ勘違いだ。山下なんて下っ端を殺って溜飲を下げてるようじゃ、話にならんってことさ。君のやったことは、ただのトカゲの尻尾切りに過ぎないんだ」
 いつのまにか牛島の顔から笑みが消え、かわりに射るような鋭い眼光が僕の目を捉えて放さない。
「別に溜飲を下げてるわけじゃ……」
 僕が口の中で言葉を籠もらせると、牛島はくっつきそうなほどに顔をガラスに近づけた。
「いや、そうだ。君はあれですべてが片付いたと勘違いをしているんだ。いいか、よく聞け。また被害者が出たぞ――」
「被害者?」
 ハッとして僕が訊き返すと、牛島は思わせぶりに腕を組み、大きく後ろへふんぞり返った。
「自殺だ。二十歳の女子大生。理由はまったく同じだ。そう、川上美晴のときとな。そして警察は何もできない。これも同じだ」
(な、なにを言っているんだ、この男は?)
 いや、言っていることはわかる。でもそんな話をどうして僕にするんだ――山下らをなぶり殺したおかげで、せっかく無の境地になれたというのに……
 混乱する僕にかまわず牛島は続けた。
「かわいそうに……まだ二十歳だぞ、人生まだこれからだというのに。しかも本人にはまったく非がない。遺書もなく、完全な無駄死にだ。悔しくてしょうがなかったろうに――」
 身体が震え始めた。動揺を悟られまいと必死に堪えようとしたけれど、今度は奥歯までもがガチガチと音を立て始めた。すっかり忘れていたあの吐き気にも似た不快なうねりが、心底からとぐろを巻いて蘇ってくる。しかし牛島は容赦なかった。
「いいのか、このまま放っておいて? 連中はなんとも思っちゃいない。数ある商品の中の一つが消えたに過ぎない、かわりを見つけりゃ済む、それくらいにしか思っちゃいないんだ」
 僕はとうとう震えを堪えきれなくなった。嗚咽を抑えながら声を振り絞った。
「ぼ、僕に、どうしろと――」
「君はどうしたい?」
 突然訊ねられ、僕は少し戸惑った。でも楽になる方法は、もうそれしか思い浮かばなかった。
「そ、そいつらを、ぶっ殺してやりたい……」
 僕が言った瞬間、牛島は目を大きく見開き、顔を前に突き出した。そして低い声で囁いた。
「よかろう、君の希望を叶えてあげようじゃないか。但し、条件がある」
「条件?」
「私の部下になることだ。そうすれば、君の思いどおりに連中を殺らせてあげよう」
 牛島はそう言ってニヤッと笑った。僕はその顔をジッと見つめた。この男がいったい何者なのか、どうして僕にそんなことを打診するのか、わからないことだらけだ。ただ一つだけわかったのは、僕には他に選択肢がないということだ。僕は震える声を絞り出した。
「――やらせてください」
 その瞬間、僕の未来が決まった。この世にはびこるクソ野郎どもの鮮血に染まった、薔薇の香り漂う素敵な未来が――

 それから三日後、娑婆に出てアパートに向かう僕は、思わず肩をすぼめた。街路樹の葉はすっかり枯れ落ち、吹き付ける風には乾いた冬の臭いが香る。
(そうか、もうすぐクリスマスなんだ……)
 すべての過去を捨て去るついでに、季節までをも忘れてしまっていたようだ。牛島から渡されたしわくちゃの手紙を片手に、ようやく目的の場所に辿り着いた。そこは横浜駅から歩いて二十分ほどのところにある、異臭を放つどぶ川沿いに建った朽ちかけのモルタルのアパートだった。玄関はない。赤茶色に錆びた鉄製の外階段を、音程の揃わない甲高い音を冷たい空気に響かせながらゆっくりと昇る。廊下を進み、三つ目のドアの前で立ち止まった。表札に目をやる。
(ここだ……)
 速見真一――横長の白いプラスチックに書かれた見慣れぬ楷書体の黒い文字。そう、それが僕の新しい名前だ。少し月並みなようにも思えるけれど、意外と尖った感じもして、けっして悪くはない。封筒から鍵を取り出し、さっそくドアの鍵穴に差し込んだ。ドアノブに手をかけそれを手前に引いた瞬間、青臭い畳の臭いが鼻腔をくすぐる。木枠の窓から差し込む柔らかい陽射しが部屋の隅々まで照らし、六畳ほどの狭い空間を、まるで昭和六十年代の青春映画を想わせるような懐古的な絵に仕立て上げている。幸いにも陽当たりは悪くはなさそうだし、一人で住むには十分な広さだ。
 僕は白いスニーカーを脱ぎ、畳の上に足を踏み出した。ツルッとした真新しい感触が素足に伝わり、新しい時間の胎動を感じさせる。
 部屋の中は閑散としていた。左の壁際に黒いスチール製のベッドがあるだけで、それ以外には何も見当たらない。僕は部屋の中を進み、カーテンのない窓を開けた。
(う、うっわーっ)
 あわててまた閉め直す。とんでもない臭いだ。汚物と海藻を混ぜたような、この世のものとは思えない絶望的な悪臭。きっと目の前のどぶ川が犯人に違いない。よくもこれで『リバーサイド・ハイツ』なんて名乗ったもんだ――誰に言うでもなく悪態をつくと、僕は壁際のベッドに向かった。
 硬いベッドの上に横になり頭の下で両手を組んでまどろむ。しばらくすると耳元で懐かしいメロディーが流れ始めた。白鳥の湖、いや、くるみ割り人形だっただろうか――音楽にとんと疎い僕にはよくわからなかったけれど、聞き慣れた曲であることには間違いない。音のする方に顔を傾けると、ずいぶんと小型のスマホが、その黒いボディーを小刻みに振るわせていた。きっと牛島からに違いない。慌てずゆっくりと手を伸ばす。
「もしもし――」
『やあ、どうかね、久しぶりの娑婆の空気は?』
 やっぱりそうだ。感情を無理やり押し殺したような低い声、牛島は続けた。
『ゆっくりしたまえ、と言いたいところだが、そういうわけにもいかない。時間が経てばそれだけ犠牲者が増えることになるからな。さっそく今夜から活動を開始してもらおう。夕方、君の相棒をそこへ行かせる。話は彼女から聞いてくれ。それじゃあ――』
 電話がぷつりと切れた。言いたいだけ言っておいてまったく勝手な男である。それにしても、いったいどういうことだ? 相棒? 彼女? まるで要領を得ない僕はもう一度スマホの画面に視線を戻した。
(午後三時か――)
 いずれにしても、あと数時間もすればわかることだ。僕はそれ以上詮索するのをやめて、ふたたび顔を天井に向けて目を閉じた――



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