2014年11月15日土曜日

先日発表しました「老探偵の事件簿」、そこそこの売れ行きです。調子に乗ってさっそく続編を書いております。最低でも一ヶ月に一作、できれば二作、頑張りたいものです。では、第二作目の冒頭をば。


老探偵の事件簿 其のニ


 横浜は関内の、大通りから一本中に入った裏通り、その通り沿いの赤茶けた煉瓦造りの雑居ビル、その一階が我が探偵事務所と書斎兼リビングで、二階が我輩の住居になっておる。
 正月、といっても完全自由業の我輩にとってはいつもと別段変わるはずもないのじゃが、いちおう気分だけはあやかろうと朝から酒を飲み、そして書斎兼リビングでソファーに横になって、夕方まで昼寝をしておったら、とつぜん毛布を引っぺがされてしもうた。
「じいさん、じいさん、じいさん! たいへんだア!」
 寝起きと、酔い覚めが重なり、わしはもう不機嫌きわまりない。
「なんじゃ、このバカタレ!」
 思わず怒鳴りつけたのは、不機嫌だけが理由ではない。なにしろこの伊集院の「たいへん」は、十中八九、たへんだったためしがないのだ。そんな我輩の気持ちを知る由もなく、こやつは続けた。
「寝てる場合じゃないだよ、じいさん」
「だからなんじゃ!」
「仕事だよ。クライアントさまが隣の事務所でお待ちだよ」
「クライアント? 男か、それとも女か?」
「女だよ」
「若いのか?」
「若いよ」
「よっこらしょ、っと」
 わしはこやつに、はやる気持ちを悟られまいと、努めて落ち着いた風に腰を浮かしたさ。よれよれのジャケットを羽織り、髪をなでつけ、曲がった腰を無理やり伸ばして、わしは事務所へ通じるドアを開けたのさ。
「おおっ!」
 っと、いかん、いかん、いかん。つい声に出してしもうたがな。まあそれも無理なからぬことよ。なにしろ夕日差し込む茜色の事務所の中には、まるでファッション雑誌から飛び出したような、八頭身の美女が佇んでおるではないか。それにしてもあのバカタレ、まったく気の利かんやつじゃて。
「まあお座りなされ、お嬢さん」
 わしは娘さんに席を勧めるとすぐに、「このバカタレ、お茶をもってこんかい!」伊集院に怒鳴りつけてやったさ。こやつ、「へ、へいっ」あわてて流しに向かったよ。使えん、まったく使えんやつじゃ。こりゃ来月からは給料も考えんといかんな。
「で、どういったご用件かな?」
 わしが努めて丁寧に訊ねると、
「父を、父を助けてください……」
 娘さんが涙声で言ったよ。嫌な予感がしたな、わしは。この前――そう、あの花椿教授の事件のことが頭をよぎったんじゃ。それでなくとも不自由なわしの足、その右足がいまもときどき痛んでいかんわ。いつもなら「喜んでっ」というところじゃが、今回のわしは冷静だったよ。
「お父上を? はて、いったいどうされましたかのう?」
「じつは――」

 話しを聴き終わって、うーん、とわしはうなったさ。こりゃとても探偵なんぞの出る幕じゃない。警察の仕事じゃ。でもその警察が拉致があかんからこそ、ここに来ておるのじゃ。藁をもつかむ思い、ってやつか。わしはもう一度娘さんの顔に目をやった。澄んだ目に滲む涙が、そこに映り込む赤い夕陽に彩られ、まるでルビーのように輝いておるじゃないか。思わずわしは言ったさ。
「よろしかろう、お嬢さん。まあわしに、まかせてちょんまげ」
 いかん、いかん、いかん! またおちゃらけた物言いになってしもうた。これもあいつのせいじゃ。あのバカ男の。
「コラッ、伊集院。お茶はどうした!」
 わしが怒鳴ると、「へ、へいっ」やつはあわてて駆け寄ったさ。そして、
「あーっ!」
 わしの目の前でずるっと転げおった。しかも、
「ごめんよごめんよじいさん!」
「あーちっちっ!」
 わしはポッケからハンケチを引っ張り出し、ひっしでズボンの股間を拭いたさ。使えん、まったく使えん男じゃ……

 気を取り直し、わしはお嬢さんの話を心の中で復唱した。事件のあらましは、ざっとこうじゃ。

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