2013年9月16日月曜日

台風が過ぎ去りました

 血に飢えた獣の咆哮の如く響き渡る、天の叫び。木々をなぎ倒し、大地を溢れる涙で覆い尽くさん――

 とうとう狂っちまったか……

 詩心の理解できないバカはほうっておいて、今日は、台風のお話です。台風一過、のはずが、なぜかここ横浜では暴風が吹き荒れています。いったいどうしたことでしょう?

 ところで、台風と言えば、やっぱり甘酸っぱいロマンですね。

 不謹慎だろうが

 まあ話は最後まで聞いてください。僕の生まれ育った山口県は、毎年のように台風の直撃する、まさに、台風銀座でした。そして幼い僕にとって台風は、恐ろしくもあり、それでいて、とても心弾む存在でもあったのです。
 台風が近づくと、窓という窓に板を当てて釘で打ち付けます。ドアにもX印に棒を組み、やはりこれも釘で打ち付けます。完全なる密室のできあがりというわけです。そしていよいよ台風がやってくると、おきまりのように停電するのです。よしきた!とばかりに僕は暗闇の中を手探りであれを見つけます。そう、懐中電灯です。でもそれは、ただの懐中電灯ではありません。この日のために一生懸命こしらえた、手作りの懐中電灯なのです。

 きたよ……今度は貧乏自慢かよ――

 バカはほっときましょう。で、どうして手作りの懐中電灯なのか? それを説明するには、当時の世相から語らなければなりません。当時は、特に地方は、一家の主である父親が絶対的な権力を持っていて、誰にも逆らうことができない存在でした。そういう家庭にあって、子供たちは、父親に対して密かにライバル心を燃やしていたのです。絶大なるが故に沸々と沸き起こる闘争本能、とでも言いましょうか。でも腕力ではとてもかないません。そこで懐中電灯の出番なのです。

 電池を二本直流につないで、そこから這わせたリード線を豆電球にくっつけ、最後にそれを厚めの段ボールでくるむだけ。サルにでもできそうな代物ですが、当時はこれでも、ハイテクガジェットだったのです。

 そしていよいよその出番がやってきます。蝋燭の灯す薄暗い部屋で、台風が過ぎ去るのを身を縮めて待つ両親。そこにさっそうと僕が登場するわけです。後はもうおわかりですね。おーっという父親の嘆声。まあっ、と驚く母親の顔。その瞬間、僕はそれまでの僕ではなく、ウルトラマンにも匹敵するヒーローになるのです。

 昔っから病気だったんじゃねえのか?

 男のロマンが理解できないバカは無視しましょう。
 さて、あの頃からすっかり世相は変わってしまいました。父親の権力は東電の株価のように暴落し、逆に子供は、水を得た魚のようにのびのびと羽を伸ばしています。でもそれが悪いとは、ちっとも思いません。かといって、昔が悪かったとも思いません。要は環境じゃなくて、気の持ちようなんじゃないかと。

 澱んだ海にも逞しい魚は育ちますし、澄んだ川にも生きていけない魚がいます。じゃあ、どっちが幸せなのか? 答えはわかりません。敢えて言うならば、それを決めるのは環境じゃなくて、そこに生きるあなた自身なのではないでしょうか。

 自分に酔ってんじゃねーよ

 大変失礼いたしました。何やらNHKラジオの”宗教の時間”みたいになってしまいましたね。

 ところで、大変困ったことになりました。新作の執筆が遅々として捗らず、とても公約した日に間に合いそうもありません。でもしょうがないんです。仕事は忙しいし、あれもしなきゃなんないし、これもしなきゃなんない。とても落ち着いて小説を書ける環境じゃないんです。

 おめーが一番ダメじゃねーかよ

 へっ?

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